日常の終わり
2月14日の朝……
俺は布団にも入らずにいつのまにか眠ってしまったらしく、寒さに震えて目が覚めた。
そして、横にある携帯を見て昨晩の感情が蘇ってきて、顔が歪む。
今日も美樹の登下校に付き合うので早めに美樹の家に行かなくてはならない。だけど、美樹に合わせる顔がない。俺は美樹にどんな顔で会えばいいか分からなかった。
しかし、とにかく分かっていることがある。
“今日、俺の前に優子が絶対に現れる”ということだ。
優子がストーカーだということを念頭に置いて、今日どうするべきか考えることにした。
とにかく、今だけは美樹を支える資格とかは置いといて、それよりもとにかく美樹だけは守りたいと思った。後から美樹にどう言われても仕方ないし、それを受け入れる気でいた。
美樹の安全を第一に考えるなら、今日は学校を休んでもらうのが一番だ。そして、もう周りの人間を巻き込みたくないので今日は一日できるだけ一人でいようと決めた。しかし、あまり普段と違う行動をしたら、どこからか見ている優子に警戒されるかもしれないので、できるだけいつも通りの行動を心がけようと思った。
それだけだと、まだ足りない気がした。そんなとき、事故の日の二人組みの警官を思い出した。もし、警察が動いてくれるなら美樹の安全はさらに保障される気がした。俺の携帯に届いたメールを見せればもしかしたら話を信じてくれるかもしれない。連絡先を確認するために名刺を見ようと思ったが、貰った名刺をどこにしまったのか忘れてしまったいた。鞄や机の中、ノートの間まで探し回って、制服の上着のポケットの中の入れっぱなしにしている生徒手帳の間に挟まっているのを見つけた。そして、名刺をそのまま生徒手帳に挟み直してポケットに戻した。
次に、美樹を学校を休んでもらうための説得はどうしようか悩んだ。なんとなく会いにくいのでメールにしようか考えたけど、美樹にはちゃんと話さないといけないと思った。
一緒に学校に行くために美樹の家に行く予定が、美樹を休ませるための説得に行くことに変わった。
当初の予定よりさらに早い時間に家を出て、自転車で美樹の家に向かった。美樹の家に着いて、チャイムを鳴らした。すぐに鍵を開けて美樹の母親がドアを開けて中に入れてくれる。
「あら、純ちゃん。おはよう。今日は早いのね」
「おばさん、おはよう。で、美樹は今、部屋?」
「え、ええ。そうだと思うわよ」
「おばさん、ありがとう!」
急いで靴を脱いで家に上がった。美樹の母親は不思議そうな顔をしながら、「そんなに急いでどうしたの?」と首をかしげていた。俺は「後で説明します、ごめんなさい」とだけ言い残し、美樹の部屋に向かった。
美樹の部屋まで駆けていき、ノックなしでドアを開けた。美樹はちょうど制服に着替え終わったところのようで、いきなりのことでかなり驚いているようだった。
「な、なに? 急にどうしたのよ??」
俺は息を整え終わる前に美樹に話を切り出す。
「あのさ……いきなりで悪いんだけど、今日は学校休めない?」
「はあ?? なんで??」
俺はポケットから携帯を取り出し、昨日届いた優子からのメールを画面に出して、美樹に渡す。美樹は戸惑いながら携帯を受け取り、画面を見るなり唇が小刻みに震えだした。
「ねえ……これって……??」
「うん。あの事故は優子のせいだったんだ」
「そこまでやる? 普通?」
美樹は自分で言った“普通”という言葉に引っかかっているようだった。
「普通……じゃなかったね、あの子は……」
「だからさ……美樹の事故の原因は俺だったんだ……許されることでも、謝ってすむことでもないけど、本当にごめん……」
俺は頭を下げる。美樹はそんな俺の頭を撫でながら話す。
「ううん。純平は悪くないよ。だから、謝ることはないんだよ。ただあの子が異常なだけ……」
顔を上げると美樹は優しい目で俺の方を見ていた。その目が胸をさらに締め付けてくるような思いにさせた。
「それでも、俺はお前に……」
「だから、謝らないでいいって、言ったでしょ! あんまりしつこいとまじで怒るよ?」
俺は美樹に何度救われてきたのだろうと思った。今回もまた美樹の優しさに救われ、そしてそれに甘えた。
「ねえ、純平。こんな早い時間に来たってことは、それを言うためだけじゃないよね?」
「うん……まだどうなるかとか、上手くいくかとか全く分からないんだけど、色々考えてることあってさ……美樹に協力して欲しいんだ」
「協力?? それで、私は何をしたらいいの? 学校を休むだけでいいの?」
美樹はすんなり了承をしてくれた。もっと学校を休まないといけない理由を聞かれたりするものだと思っていたので驚いた。
「あ、ああ。でも、ほんとにいいのか?」
「あのさ、いいに決まってるじゃん。お母さんにはとりあえず、怪我が痛むからとかなんとか言って、病院に行ってそのまま休みたいとか言って誤魔化すからさ。今の私がそう言えばお母さんは休ませてくれると思うからさ」
美樹は見くびらないでとでも言わんばかりの表情を浮かべる。
「でさ、私はそれだけでいいの?」
「じゃあ、病院から帰ってきた後でいいから、警察に連絡して美樹から事情を話してもらえないかな? ほら、前に病院で警官から名刺もらっただろ? あの人たちなら話しても信じてもらえるだろうし」
「あっ、ちょっと、ごめん……名刺もらったのは覚えてるんだけどさ、どこにやったか覚えてないんだけど……」
俺は制服の上着から生徒手帳を取り出し、そこに挟んでる名刺を2枚とも美樹に渡す。
「これで連絡できるだろ?」
「うん。それにしてもよく持ってたね」
「俺もないのに気づいて、探したからな」
美樹はくすっと笑う。
「それで連絡して家に来てもらって、さっきのメールのことも合わせて、これまであったことを警察に全部伝えてくれる?」
「わかった」
「あと、優子がストーカーで、特に放課後は絶対に俺を近く見ているだろうから、俺の周りを注意して警戒してもらえるように説得してもらえる? それで、警察なら不自然な行動する人の中から優子はすぐに見つけれると思うんだ。それが無理でもいざというとき警察が近くにいるってだけで俺も安心だからさ」
「うん……たしかに、そうかもしれないね」
「でさ、俺が警察とか意識して変な行動して優子に気付かれるのを避けたいから、今日全てが終わるまでは警察からも美樹からも俺にどうするか知らせたり、連絡しないで。というか、連絡来てもわざと無視するかもだけどね」
「わかった。てか、ちょっと待って? 覚えきれないから何かにメモしなきゃ」
「メモって……」
俺は美樹の右手のギブスに目をやる。俺は鞄からルーズリーフを1枚取り出し、美樹の机の上にあったボールペンでさっきまでの話の要約を箇条書きで書き出した。
「これで大丈夫か?」
「たぶんね。ところで、さっきのメールの説明ってどうする? 携帯置いていくわけにもいかないでしょ?」
俺と美樹は少し頭を悩ませる。転送してもいいが、そうじゃない方がいい気がした。結局、スクリーンショットで撮影したものを美樹に送るという方法にした。美樹は届いた画像を確認した。
「これで大丈夫かも。ねえ、純平はどうするの?」
「さっきも言ったけど、できるだけ普通にいつも通り過ごすよ。ただ、もう周りを巻き込みたくないからできるだけ一人になるようにはするけどさ」
美樹は心配そうな顔をしている。俺はできるだけ自然に笑いかけた。
「そんな顔すんなって。絶対に無事に美樹のところに戻ってくるからさ」
「うん……」
美樹はまだ心配そうに俯いている。
「俺さ、分かったんだ。こんなことになって、美樹と付き合う資格とかそばにいる資格なんてないのかもしれないって思った。けど、わがままかもしれないけど俺はそれでも美樹のそばにいたいと思ったんだ。俺は美樹のことが本当に好きで大事で……これ以上傷つけたくないと思った。何としても守りたいんだ」
美樹は困ったような喜んでいるような中途半端な顔をしていた。そして、笑顔に変わった。
「ありがとう。じゃあ、私は純平が私のところに無事に戻ってくるのを待ってるね」
「おう。じゃあ、俺はそろそろ学校に行ってくるわ。美樹もくれぐれも気をつけろよ」
美樹の部屋を出る前に少し長いキスをした……
そして、美樹の両親に挨拶だけして、自転車で駅まで飛ばして、電車で学校に向かった。
俺は美樹には普通に過ごすとは言ったはいいものの、一日中落ち着くことができなかった。学校にいる間はとにかく、美樹が心配だった。病院へはきっと親の車で行くだろうし、その後は計画通り進めば警官が来てくれているはずだ。連絡を取らないと自分で言いだしたのだが、メールくらいならという誘惑に何度も負けそうになったが、ギリギリで思いとどまっていた。美樹から届いていたメールも見ずに放置した。
俺はだんだん自然にするとはどういうことか悩みだしてもいた。自然にするといっても意識してっ簡単に出来るものではないし、逆に意識すればするほど不自然なような気になってくる。
それらは結果として、いつもより眉間に皺が寄って険しい顔をしているとか、普段よりイライラしてたりだとか、そういう形で表に出ていた。
これがもし今日が2月14日でなかったら、もし圭太と不穏な関係でなければ、俺の異変は目立っていたのかもしれない
周りも周りでなんだかんだバレンタインでうかれモードではしゃいでいて、誰も俺の小さな異変に気にもとめなかったのだ。そういう俺の細かい異変に唯一気付く可能性のある圭太とは険悪なままで、俺は誰にも異変を悟られることはなかった。
そして、予定通り一人になりつつあった。もし誰かに変化を気付かれていたら、お節介なやつが多い俺の友達たちは心配して、一人にはしてもらえなかっただろう。
時間は過ぎていき、放課後になった。
この前の駅での一件以来、圭太は一人で帰るようになっていたので、圭太を除くいつものメンバーでいつも通り学校から駅まで帰ってきた。
俺は、「今日は予定あるから」と言って一人になろうとした。何も知らない友達たちは「なになに? これからデートか?」、「それとも何か? これからチョコでももらう予定でもあんの?」と、いつものノリで冷やかしたりからかったりしてきたが、そこはしっかり空気を読んであっさり解放してくれて一人にしてくれた。
俺は一人になって、自然な感じで一度周りをさっと見回してみたが、優子らしき人影は見当たらなかった。さらに、警官のような人もいるか分からなかった。本物の警察はドラマと違ってすごいなと思うと同時に、ドラマの警察のありえなさが妙におかしく思えた。
そして、真っ直ぐにホームに向かい電車に乗り、いつもの駅で降りた。
改札を抜けて、ちょっと歩いたところで、ポケットで携帯のバイブを感じた。立ち止まって携帯の画面を見ると知らない番号からの着信だった。
もしかしたら、全てが終わり、そのことを告げる警察からの電話からもしれないと思い、電話に出た。
「もしもし」
しかし、返事は返ってこなかった。そのとき、右耳に当てた携帯の向こう側から聞こえる音と、左耳から聞こえる音が同じことに俺は気付けなかった。
電車の発車を告げるベルの音、電車が走り出す音、人の歩く靴の音……あまりにシンクロしていて、携帯から聞こえる音なのかそうでない音なのか判別できなかったのだ。
あまりにも無言だったのでもう一度俺は携帯の向こうの相手に向かって喋る。
「もしもし?」
「もしもし、純君?」
声を聞いた途端、背筋が一瞬で凍りつき、今にも膝から崩れ落ちそうになる。
「……優子?」
「うん。やっと純君と話せたね」
「俺の番号はどこで知ったの……?」
「変なこと聞かないでよ。昨日だったかな?純君の友達にね、「純君の彼女なんだけれども、携帯の番号分からなくなっちゃって……」って言ったら、すんなり教えてくれたんだよ」
嬉々として教えている様子がなんとなく目に浮かぶ。しかも、優子との出会いを知っているヤツらだから、警戒も全くしなかっただろう。そして、昨日メールが来たことも納得できた。
「……そうなんだ」
唇が震えているせいで声も震える。
「でも、そもそも彼女なのに、番号知らないのもおかしな話だよね?」
「そう……だね……」
「ねえ、純君?」
動悸が激しくなるのを感じる。頭まで心臓の音が響いているようだ。
「な……何?」
「純君はなんで私に気付いてくれないの?」
思わず言葉を失い、唾を飲む。
「純君はなんで私のことを見てくれないの?」
嫌な沈黙が少しの間続いた。。
「私はね……純君に声を掛けるずっとずっと前から、純君のことを見てきたんだよ。声を掛けた後も、ずっとね。だから、純君の笑った顔も怒った顔も寝てる顔も全部知ってるんだよ。それに、買い物しているところも、友達と話しているところも、みんなみんな私は見てたの。私は純君の全てを知ってるんだよ。それなのに……それなのに、そうして純君は私のことを見てくれないの???」
俺は恐怖のあまり、立っているのもやっとなぐらい精神的に追い詰められていた。
「だからさ、純君。私を見て?」
俺は固まったまま動けないでいた。
「ほら……純君のすぐ後ろだよ……」
すぐ後ろから声が直接聞こえた。ほぼ反射的に振り返ると、そこには、すぐ後ろには優子が立っていた。優子は俺が振り向くのとほぼ同時に身を預けるように体を寄せてきた。
その瞬間、お腹に今まで感じたことのない激痛を感じた。
「純君……これでもう私から逃げられないね」
「えっ……何……?」
俺は起こっていることが理解できないでいた。そして、体からどんどん力が抜けていく。ついには、体に力が全く入らなくなって優子に抱きつくように倒れた。優子は俺の体を抱きしめるように受け止めてその場に座り込んで、俺の耳元で囁いた。
「私は純君のことをこんなにも愛してるの。これで、純君は一生私のものだよ。それにね、私と純君には………」
最後の方はもう聞こえなかった。
薄れゆく意識の中で俺が感じていたのは、無音の世界で俺を中心に赤い染みがどんどん広がっていく……それだけだった。




