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感情の転換点

 家に着くと、部屋まで美樹を支えながら連れて行った。美樹をベッドに座らせると、美樹は「ありがとう」とお礼を言った後、着替えたいから部屋から出て行って欲しいと美樹に言われ、美樹を一人部屋に残してドアを閉めた。

 俺は今日のところはもうできることはないかなと思い、美樹の母親に今日は帰ると伝えに言った。

「じゃあ、おばさん。今日はもうできることなさそうなんで、そろそろ帰りますね。何かあったらいつでも呼んでください」

「ありがとう、純ちゃん。本当にいてくれて助かったわ」

 俺は帰ろうと玄関に向かおうとしたら、呼び止められた。

「純ちゃん、ちょっと待って!」

「なんですか?」

「美樹の様子はどうだった?」

 美樹の母親はなんだか聞きにくそうに尋ねてきた。

「おばさんの前では大丈夫そうに振舞っているけど、やっぱり相当滅入っているかなって思います」

「そう……やっぱりあの子、無理してるわよね……」

「だと……思います。しかも、あいつ周りに心配させないように強がるところあるから、なおさら……」

 美樹の母親と揃って、ため息をつく。

「こんなときくらい、辛いとか痛いとか、もっと素直になったらいいのに……ねえ?」

「無理でしょ、美樹には」

 同意を求めてくる美樹の母親の質問に即答したら、美樹の母親は吹き出していた。

「ごめん、ごめん。純ちゃんはほんと美樹のこと分かってるのね」

 笑いをこらえながら、目の端を軽く押さえながら話している。

「そんなことないですよ。でも、美樹のことだから何かの拍子で感情がわーって感じでイッキに出てくるんじゃないですか?」

「それもそうね。でも、きっと最初に感情さらけだす相手は私でもお父さんでもなく、純ちゃんなんだろうね」

 俺のほうを見ながら、少し寂しそうに呟く。

「純ちゃん、まだ時間は大丈夫かしら?」

「えっと、母さんは事情知ってるし、まだ大丈夫かな」

「じゃあ、純ちゃんには、美樹の怪我のこと教えておくわね」


 美樹の母親は医者が警察から聞いた話を交えながら話した事故と怪我の詳細を話し出した。事故の詳細のほうは警官と美樹の話で分かったつもりでいたが想像を超えていた。ブレーキの話はでなかったので、美樹の母親の心配事をこれ以上増やしたくないので、そのことは話さないでおくことにした。

 しかし、事故と怪我の話は生々しくて、痛々しくて、あらためて言葉を失った。


 美樹は事故の時、自転車で交差点に飛び出した際、右から来た車に当たったそうだ。そのときとっさに車のほうに右腕を体をかばう様にだしたようだ。

 そして、右腕を中心に、右半身に車が当たり飛ばされ、左半身をするようにして道路に滑る様に投げ出されたのではないかということだった。ただ、奇跡的に頭を強く打ち付けられたような形跡はなかったそうだ。

 もし車がもう少しスピードを出していたら、もし飛ばされたときに頭を強く打っていたら……美樹は命も危なかったかもしれなかったのだ。さらにこれがもし夏場で肌の露出が多い服を着ていたら怪我の状態ももっとひどいものになっていたかもしれないのだ。

 こんなにも幸運が重なったにも関わらず、美樹の怪我は車に直接当たった右腕は骨折し、右足の太ももは骨に以上はないもののかなりひどい打撲だそうだ。道路で擦った左半身は裂傷が多く、左頬は5センチメートルほどの大きな傷ができていたそうで、左腕はひじから下、特に手首から先を中心に、左足は太ももから膝の下にかけて特にひどい裂傷があったそうで、縫合したそうだ。左頬は15針、左手は3針、左足は6針ほど縫ったらしい。左頬は特に痕が残りにくいように細かく縫ったそうだが、縫った箇所、特に手と足は痕が残ってしまうそうだ。他にも全身に打撲や擦り傷など多くあるそうだ。

 さらに右腕の骨折はかなりひどいものらしく後遺症が残る可能性が高く、定期的なリハビリが必要になるそうだ。


「そんなにひどかったんですか……」

「でもね、右手の骨折以外はそこまでひどい怪我ではなかったらしいの。ほら、美樹も痛そうだったけど、見た目以上に元気あったでしょ?」

 俺は病院での美樹の姿を思い返す。怪我の割には元気だったとは思うが、痛み止めが効いているにしろ相当な痛みだっただろうと思った。もう少し気を遣うべきだったかなと思った。

「はい……たしかに、そうですね」

 美樹の無理している度合いが自分の想像以上だったと考えると、うまく言葉がでず、美樹の母親を正面から見ることができず、視線を落としてしまう。

「それでね、純ちゃんにお願いがあるんだけど、いいかしら?」

「なんですか?」

「今から飲み物用意するから、持って行ったついでに、あの子の気を紛らわして欲しいの。美樹、すごい怖い思いしたと思うから……それに、私だとまた無理させて、素直になれないだろうし、こういうときは純ちゃんのほうがいいと思うの……」

 美樹の母親なりに美樹を心配して、何が最善なのか考えて美樹のためになることをしようとしているのが分かる。俺は自分が本当に無力でまだまだ子供なんだと思い知った。

「はい、わかりました。でも、俺の前でも素直になるとは限りませんよ?」

「大丈夫よ。そこは私が保障してあげるから」

 美樹の母親も辛いだろうけど、笑顔を向けながらそう告げ、台所のほうに向かう。

 しばらくして、紅茶の入ったポットと二人分のティーカップの乗ったトレーを美樹の母親から受け取り、美樹の部屋に向かった。


 美樹の部屋の前でトレーを一旦床に置き一度深呼吸をして、ノックをした。

「なにー? お母さん?」

「いや、俺だけど、入っても大丈夫か?」

「うん、大丈夫」

 ドアを開けてからトレーを持って中に入り、テーブルの上に置いてからドアを閉めた。

「なに? まだ帰ってなかったの??」

 美樹はあきれたような目でこちらを見ながら言う。美樹はいつもの部屋着ではなく、少し大きめのジャージ姿だった。そして、脱いだ服は丸めて部屋の隅に雑に投げられていた。美樹は普段はそういうところはきっちりやっているのだが、怪我とかの影響もあるのだろう。そして、脱いだ制服に血が付いているのが微かに見えてしまった。

「帰ってなくて悪かったな。おばさんが帰してくれなかったんだよ」

「ふーん。で、それで何で帰らずにあんたがお茶を持ってきたの? しかも、二人分……」

「それはだな。おばさんについでに飲んでけって言われたんだよ」

 美樹は疑いの目をジーッと向けてくる。

「まあ、いいわ。どうせ、お母さんが私の様子をかわりに見てきてとかって頼んだんでしょ? お母さん、そういうところで気を回すクセあるからね」

 美樹は俺が部屋に来た時点で察しは既についていたようだ。

「よくわかるな。まあ、そんなとこ……」

 カップに紅茶を注ぎながら、いつものような感じで話した。俺は美樹が自分の心配してた以上に大丈夫そうに見えて、胸を撫で下ろした。

 美樹はしばらく無言で紅茶とそこから上がる湯気をぼんやり眺めていた。俺もそんな美樹を見つめていた。そして、美樹は一口紅茶を飲んでから、俺に尋ねた。

「お母さん、なんか言ってた?」

「お前のことすごい心配してた。あと、無理してるのばれてたぞ」

「そっか……そうだよね……」

「まあ、当分はあんまり無理しないで、心配かければいいんだよ。家族なんだから、逆に変に無理される方が負担に感じるんじゃないかな?」

「うん。ねえ、それは純平も?」

「ああ、俺もだよ。心配かけてもいいし、頼ってもいいんだよ」

「ありがとう。そのときは遠慮なく頼らせてもらうね」

 美樹は紅茶を飲みながら、時折傷が痛むのか顔を歪ませていた。俺も紅茶を飲みながら、それとなく美樹を見ていた。美樹が紅茶のおかわりを催促してきたので2杯目の紅茶をポットから注いだ。しかし、美樹はおかわりした紅茶に口をつけず何か考え込んでいた。

「ねえ、純平。圭太が私のこの姿を見たら、どんな反応するかな?」

「そりゃあ、かなり心配するだろな」

「そうだよね……あいつのことだから、毎日家まで送るとか言い出しかねないよね?」

「たしかに、言いかねないな。そして、実際やりそうだな」

 圭太の一生懸命に美樹の世話を焼こうとする姿が安易に目に浮かぶ。

「なんかやだなあ。変に気を遣われたり、過剰に心配されるのはきついよ」

 ため息混じりに美樹は呟く。

「大事に思ってるからこそ、心配したりするんだろ?」

「でもさ、それだといつも通りには接してくれないってことだよね?」

「まあ、それはある程度は仕方ないことだろ」

 美樹はカップのふちを指で何度もなぞっている。しばらくして、美樹は大きくため息をついた。

「なんかさ……圭太に知られたくないし、会いたくないな……」

「急にどうしたよ?」

「だって、純平……こんな怪我だらけの女ってイヤでしょ?」

「圭太ならそんなこと気にしないだろ」

「私はこんな姿見られたくないの……女の子ってね、好きな人の前ではいつでも綺麗でいたいもんなのよ……」

 俺は美樹になんて言えばいいのか分からなくて、ただ黙って次の美樹の言葉を待った。

「そりゃあね、純平が言うように圭太なら気にしないように振舞うだろうことは知ってるよ。でもね……傷が治っても残った傷跡見るたびに、圭太は思い出したりするわけじゃん? 圭太がどんなに気にしてないって言ったとしても、傷跡見るたびに圭太が苦しんだり辛い思いしてる顔は見たくないよ。それに、隠そうとしてもあいつすぐ顔に出ちゃうからさ……」

 俺は美樹の母親が話してくれたことを思い出す。「そっか……」こんなことしか言えない自分が悔しくて情けなかった。

 重たい沈黙が部屋を包んでいた。美樹はさっきから顔を伏せている。髪が垂れ下がり、俺からは美樹がどんな顔をしているかは分からなかった。

 しばらくすると、美樹の方が小刻みに震えだした。次第に震えが大きくなり、涙がこぼれ落ちだした。美樹の鼻をすする音だけが部屋に響く……

「美樹?」

 返事が返ってこなかった。心配なって美樹のすぐ横に移動して、肩に手を置いて、もう一度名前を呼ぶ。

「美樹! どうしたんだよ?」

 美樹は顔を上げた。涙がボロボロ流れ落ちる。

「どうしよう……どうしたらいいの?」

 今にも消え入りそうなほど弱々しい声だった。

「ねえ……純平。教えて? 私はどうしたらいいの?」

 美樹は左手で俺の胸辺りの服を強く握り締めながら、すがるような目で言ってきた。

 俺は美樹がここまで何かに追い詰められている様を今まで見たことがなかった。その姿を見て、不思議と頭の中がクリアになっていく。

「どうもしなくていい」

 俺はほとんど無意識に震える美樹を抱きしめていた。美樹は突然のことで驚いているようだった。

「純平……?」

 俺は美樹の体温を感じながら、美樹なら逆の立場なら何をするか、自分なら何を言われたいかを考え言動に移す。

「美樹は何かしようとかしなくていいんだよ。俺の前でくらい無理に強がったりすんなよ」

「うん……」

 美樹は今にも泣きだしそうな声で頷く。

「だから、とにかく今は思う存分泣きな……辛いときや苦しいときは我慢せずに泣いてもいいんだからさ。それに、美樹が落ち着くまで、ずっとそばにいるから……だから、たまには素直になれよ」

 今まで張り詰めていたものが完全に切れたのか、堰を切ったように泣き出した。泣きながら、「事故のときすごい怖かったよー」とか、「手とか足とかめっちゃ痛いー」など、溜まっていた感情や言葉を吐き出していた。中には、「純平のくせにかっこつけんな、あほー」とか混じっていたが、それも含めて受け止め、うんうんと頷きながら話を聞きながら美樹の背中をさすったりしてあやした。

 吐き出す言葉もなくなった後もしばらく美樹は泣き続けた。そして、泣き止んだ後も俺から離れようとせず胸に顔を押し当てたまま動かないでいた。落ち着いてきて何か考えているようだったが、俺からは詮索せず美樹の頭を撫でたりして美樹が少しでも安心できるようにしていた。

「純平……」

「ん? どうした?」

「もうしばらく、こうしててもいいかな?」

「ああ、いいよ」

 美樹はまたしばらく考え込んでいた。

「ねえ、考えてたんだけどさ……今日や明日ってわけにはいかないかもしれないけど、圭太には私からはちゃんと話すから、それまでは純平からは何も言わないでくれる?」

「ああ、わかった」

「圭太、どう思うかな??」

「すごい心配したりするだろうな。てか、俺になんで言わなかったとかってキレそうだな……」

「ははは……そうなったらごめんね……先に謝っとくね」

「いいって、それくらい。気にすんなって」

「うん、ありがとう……」

「もし、美樹と圭太の間で何があったとしても、俺はずっとお前をそばで支えてやるからさ」

「バカ……でも、ありがとう。そのときはよろしくね」

 それから、さらに30分くらい抱きしめたまま普段通りの何気ない会話を続けた。

「もういいよ。ありがとう、純平」

 美樹は寄りかかっていた体を起こして離れた。そして、時計を見ながら美樹が続けた。

「ねえ、もうけっこう遅い時間だけど、帰らなくて平気なの?」

 俺も時計の方に目をやる。時間を見たら夜ご飯を食べてないことを思い出してお腹が鳴った。美樹もそれに気付いて、ぷっと吹き出してそのまま声を出して笑った。

「そろそろ帰らないとやばいかもな。腹も減ったし」

「うん。今日は本当にありがとう」

「あっ、紅茶どうする? 台所に持っていったほうがいい?」

「お願い。私のカップは置いていっていいから。あとさ、お母さんにはもう大丈夫だって言っておいてくれる?」

「うん、わかった。じゃあ、またな」

 俺は立ち上がってトレーを持ってドアを開けて部屋から出た。ドアを閉める間際、「純平が幼馴染でほんとによかった……」と、小声で美樹が呟いていた。俺はそれに気付かないフリをして、台所に向かった。

 台所には美樹の母親が少し心配そうな表情で座っていた。

「おばさん、ご馳走様でした」

「純ちゃん、それで、美樹の様子は……?」

「もう大丈夫だと思います。ひと泣きしてすっきりしたような顔してたし」

「ありがとう、純ちゃん」

「いえいえ、俺は何もしてないから……」

「ううん。純ちゃんのおかげだわ。あっ、純ちゃん。明日は美樹は精密検査とかで学校を休ませるけど、美樹のこと気にしてあげてね?」

「そんなの当たり前じゃないですか」

「ほんとうにありがとう。じゃあ、気をつけて帰ってね。あと、お母さんによろしく伝えておいてね」

「はい。わかりました。それじゃあ、おやすみなさい」

 美樹の家から帰ると、母は事情をあらかた聞いていたようで特に何も聞かれることなかった。俺は用意されていたご飯を食べ、風呂に入ってから自分の部屋に戻った。

 部屋に戻ると、疲れていたことに気付き、ベッドに入りすぐに寝ようとしたけれど、今日の美樹のことを思い返したり、抱きしめたときの美樹の感触が蘇ってきてなかなか眠ることができなかった……

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