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崩れた日常

 12月22日……

 終業式を向かえ、明日から冬休みという日に、朝から高熱に浮かされることになった。

 学校を休んで、病院に行くとインフルエンザだと診察され、家に戻るなり部屋に隔離されることになった。

 学校で配布されたプリントや俺の成績表は圭太から美樹に渡され、俺のところに無事に届くことになった。美樹が俺の様子を見ようとしたらしいのだが、母に感染するといけないからと面会謝絶と言われて玄関で帰されたそうだ。そのことは美樹からのメールと母のウキウキした声でされた報告で知った。高熱に苦しみながら寝込んでいると、いつものように優子から何通もメールが送られてきて、そのたびに鳴る着信音に煩わしさを感じた。だから、家では滅多にしないサイレントにしてほったらかしにすることにした。

 インフルエンザになったことで俺には嬉しいことがあった。クリスマスに自室で一人寝て過ごすというのは淋しいことだが、優子とのクリスマスデートに行かなくていい大義名分ができたことだ。

 最初インフルエンザだと言われたときは、優子に対して嘘ついたり無視したり悪いことをした罰かなとか思ったけど、今では神の救いかなと、思ったりもしていた。

 優子には23日に一応、『ごめん。インフルエンザにかかって、当分治りそうにないからクリスマスは行けそうにない』と、メールをしておいた。優子からのメールに、クリスマスイブにも会いたいとか書いてあったのを思い出して、変に待ち合わせ場所に行かれても困るので断りのメールをしようと思ったのだ。

 しかし、メールの文章を作成しているあたりから熱の辛さの波がやってきて、最終的にはっきりしない頭と力が入らない体でギリギリの状態でメールを送った。

 送ったことで一安心と感じて、充電器を挿すのを忘れ携帯を部屋の床に投げ放置し、眠り込んだ。

 それからはトイレとご飯以外は布団から出ることはなかった。熱が少し下がると。風呂に入るためにも布団から出るようになった。

 しかしながら、体のだるさは全くとれず、何もする気力も起きずにずっと寝て過ごした。床に置いた携帯はいつの間にか行方不明になっていたが、気にする余裕もなく、なくなっていることにすら気付いてなかった。


 12月28日……

 熱は平熱に戻り、寝すぎたせいで体はだるかったが調子はかなりいいように思えた。部屋の時計に目をやると時計は正午を過ぎていて、仕方のないことだが生活リズムの乱れを実感した。

 とりあえず、圭太か美樹あたりに快気報告でもしようかなと思い、携帯を探したが見当たらなかった。布団をひっくり返しても見当たらず、机の上にもなかった。床に這いつくばって低いところから探すとベッドの下に携帯が滑り込んでいるのを見つけた。

 携帯をベッドの下から取り出し、電源を入れようと思ったが反応しなかった。充電器を挿さずに放置していたので、バッテリー切れを起こしたのだと気付き、充電器を差し込んで、いつもの感じで何気なく電源を入れた。

 携帯のディスプレイには起動画面が表示され、そして、ホーム画面に切り替わる。その瞬間、俺は戦慄した……


[不在着信あり 147件]

[新着メール 893件]


(なんだよ、これ……)

 着信履歴が残るのは50件が上限なので軽く振り切れている。しかも、確認できる履歴の50件全てが優子からだった。着信は3分間隔で連続でかかっていたり、30分以上空いてたりと間隔は様々だった。確認する手はいつの間にか震えていて、携帯がうまく操作できなかった。

(まさか、メールも……なのか?)

 メールBOXも上からスクロールしていっても、優子の名前しかない。

 膝もいつの間にか震えだしていた。心臓の音が部屋中に響いてるいるのではないかというぐらいうるさい。さらに奥歯もガチガチ言ってるのは分かるがどうにも止められないでいた。

 俺は携帯を一度置き、全身が震えたまま深呼吸をした。深呼吸がこんなにも難しい行為だとは知らなかった。

 何度か深呼吸を繰り返していると、さっきまでうるさいくらい響いていた奥歯の鳴る音は止まり、心臓の音は静かになった。

 冷静になってきたところで一つ思いついたことがあり、実行する。優子のメールだけを別のフォルダに移動させてそれ以外のメールだけ先に読んでみようと思ったのだ。

 優子からのメール件数は多く、設定して振り分けを実行したが、思いのほか時間がかかった。

 振り分けが終わり、優子以外から届いていたメールは全部で10件ちょっとで、圭太をはじめ学校の友達数人からのお見舞いメールと、美樹からのメールがほとんどだった。

 その10件ちょっとを確認してホーム画面に戻ると新着メールの数が増えていた。ここで耐え切れなくなり、一度携帯の電源を切った。

 あまりのことに全てが何かの間違いで、悪い夢だと思いたかった。現実逃避したかったのかもしれない。

 今、目の前で展開されている現実を直視することはできなかった……


 それから、床に座ったままベッドの布団に突っ伏して、何も考えないようにして過ごした。気持ちが落ち着いて、覚悟が決まったのは1時間以上経った後だった。

 携帯を手に取り、もう一度深く深呼吸し、腹を決め、電源を入れなおす。

 ホーム画面に表示される新着メールの数が先ほどよりまた増えていた。出鼻をくじかれたがなんとか踏みとどまり、優子のメールを振り分けたフォルダを開き、古いほうから未読メールを飛ばし飛ばしだが読み始めることにした……


『体調は大丈夫? 早くよくなってね』 『今から安静にしていればクリスマスまでにはきっとよくなるよね?』………『体調悪くて寝てるのかな? よかったら一言だけでもいいから返事ください』 『ねえ、何で返事くれないの?』………『本当は返事するのとか嫌で、病気も全部ウソなんでしょ? 純君けっこう嘘つきだもんね。純君なんてもう信じられない!』………『ごめんなさい』 『ごめんなさい。ごめんなさい。さっきのは嘘です。本当は怒ってなんかいないから、お願いだから返事をください』 『謝ったけど、返事がないってことは許してもらえないってことなのかな? 本当にごめんなさい。どうしたら許してくれるかな?』 『ごめんなさい ごめんなさい ごめんなさい ごめんなさい ごめんなさい ごめんなさい ごめんなさい ごめんなさい』………『もういい加減にしてよ!』 『ねえ、純君。生きてるよね? 無事なんだよね? 大丈夫なら、大丈夫ってメールください』………『純君、体調悪いみたいだし、イブの約束はやめとこうか? そのかわり来年はイブも会おうね』………『明日のクリスマスデートは大丈夫だよね?』 『明日のデートの約束は覚えてる? 待ち合わせ場所や時間はちゃんと覚えてる?』 『明日は来ること信じてずっと待ってるからね』………『待ち合わせ場所に着いたけど、純君はいつぐらいに着きそう??』 『待ち合わせの時間から1時間過ぎたけどなんで来てくれないの?』 『本当はもう病気治って、またどこかに隠れてるんだよね??』………『純君……どこにいるの? 今なら遅刻したのだって全部許してあげるから、お願いだから出てきて?』 『約束守れないなんて、最低だよ! もう知らない! 純君がそんな人だなんて思わなかった』 『もしかして、別の女とデートしたりだとかしてなんかいないよね?』………『さっきは変なこといってごめんなさい。本当はそんなこと思ってないから。私には純君しかいないの。お願い……』………『クリスマス終わったね。違う日に二人でクリスマスやり直そうね』………『ねえ、お願いだから返事ちょうだい! 少しでも純君と繋がっていたいの。だから、お願い』 『純君………返事来るのいつまでも待っているから、お願いだから返事ください』………


 一通りは目を通した。目を通し終わった直後に手から携帯が滑り落ちた。最後の方は全身から血の気が引いていて、手の震えが収まらず、指先の感覚がなくなるほど手が冷たくなっていた。

 突然、全身に異常な寒さを感じ震えが止まらなくなり、自分で肩を抱きさするようにしながらうずくまった。

 そして、急激な吐き気に襲われ、手で口を押さえトイレに駆け込んだ。入ってすぐ便器に吐き出した。しかし、胃の中は空っぽで吐くものはなく、胃液が逆流してくるのを感じる。次から次へと波のように吐き気がこみ上げてくるが、胃液や空気がくらいしか出てこなかった。何度も嘔吐きながら、吐くことを繰り返した。いつの間にか涙が頬を流れ続けていた。

 吐き気が落ち着くまで30分以上ずっとその調子だった。トイレの中は酸っぱい匂いで満たされ、胃液やら唾液やら涙やらで辺りは悲惨な有様だった。

 吐き終わると、そんなトイレの床に俺は力尽きて倒れこんでいた。視点も定まらず、体を動かす力ももう残っていなかった……俺の中で何かが壊れていた……

 そして、最後の残った力を全て使い叫んでいた。

「誰か……誰か助けて……助けてよおおおおおおおお!!!!!!!!」

 搾り出すように上げた叫び声は誰にも届くことなく、むなしく家の中に響くだけだった。


 それからどれくらいの時間が経っただろうか、俺は相変わらずトイレの床に倒れたまま、焦点の定まらない目線を宙に漂わせていた。感覚というものがなくなってしまったようだった。匂いも音も分からない、体の感覚も全くなく、ただ目が開いてるだけという感じだった。

 ピンポーン

 玄関のチャイムの音が家中に鳴り響く。しかし、俺の耳には届かなかった。聞こえていたとしても何の音か理解できる状態ではなかった。

 ピンポーン

 もう一度チャイムが鳴り、今度は声が聞こえた。

「おばさーん! いないのー?」

 美樹の声だった。美樹は玄関の鍵を開けて入ってきた。俺の家と美樹の家はお互いにスペアキーを預け合っている。幼いころから自由に行き来していたので、自分の家に入るような感覚で遠慮も躊躇もない。

「おばさーん! 勝手に入るよー! ……って、誰もいないよね。純平の靴あるみたいだし、病人ほったらかしにして、おばさん何してるんだろ……」

 美樹は玄関を上がり、異変に気が付く。

「うっ……何……この臭い……」

 無意識に鼻を手で押さえる。恐るおそる臭いの元であるトイレのほうに向かい歩いてくる。開きっぱなしになっているトイレの前まで来て、顔が青ざめる。

「えっ……何これ……純平????」

 次の瞬間には携帯を取り出し、救急車を呼んだ。直感的に危ないと感じたのだ。

 しばらくすると救急車が到着し、普段は閑静な住宅街が一時騒然となった。

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