吾輩、粛清する
この瞬間のために、一ヶ月間ただひたすらに爪を研いできた。
ゲームの展開では、この後プリシラお嬢様は家を守るために頭を垂れるが、王太子によって切り捨てられてしまうのだ。アドリアンお兄様は妹を守ることができず、ただ腕の中で冷たくなっていく最愛の妹の亡骸を抱え、舞台は終幕を迎える。
「ニャニャアアン……!」
プリシラお嬢様の猫として、彼女の日々の努力を見守ってきた。ストイック過ぎる態度から悪女のレッテルを貼られてもなお、この国の国母となるために努力を積み重ねていた。そんな彼女を、このような身勝手な理由で手折らせるわけにはいかない。
「またお前か。無礼な猫め、そこを退……っ!?」
王太子の言葉は、最後まで続かなかった。
誰も、反応できなかった。練兵場で培った、爆発的なスピードで駆け抜けたのだから。
「ニャアアアァァーーーーッッッッ!!!!」
ドォォォォォン!!
ホールの空気が爆ぜるような重低音とともに、吾輩の音速のネコパンチが王太子の顎を正確に捉えた。
「おごぉおッ!?」
王太子の綿菓子脳が、鋼の拳によって完膚なきまでに揺さぶられる。彼は白目を剥き、そのままダンスホールの床にめり込んだ。その無様な姿には、次期国王の威厳など微塵もない。
「で、殿下ぁーッ!?」
泥棒猫のユメが悲鳴を上げる。だが、吾輩のターンはまだ終わっていない。インターバルなど不要。この場を制圧するのが吾輩の仕事だ。
「貴様ぁ! 殿下になんてことを!」
真っ先に抜剣しようとしたのは、取り巻きの一人、騎士団長の息子であった。
「ニャァン!」
吾輩は、猫ならではの跳躍力で彼の胸元に飛び込むと、その分厚い胸当ての上から渾身の猫式ストレートを叩き込んだ。
ドンッ!と鈍い音が響き、騎士団長の息子は自慢の鎧ごとホールの壁まで吹き飛び、そのまま頭から壁に突っ込んだ。
「バ、化け物め! 火よ!」
次に呪文を唱えようとしたのは、魔術師公爵の息子である。だが、インテリの詠唱速度など、吾輩の神経伝達速度の前には無力だ。
「ニャァア!」
吾輩は彼のローブを駆け上がり、顔面に高速の百烈肉球拳をお見舞いした。猫パンチなどと、生易しいものではない。
パパパパパコン! と軽快な音が響くが、その威力によって魔術師の息子は顔面をボコボコに変形している。そして床に沈んだ。
「ひ、ひぃぃっ! 来るな、来るなぁ!」
「ニャンンン!!」
最後に残った大富豪の息子が、恐怖のあまり腰を抜かして這いつくばる。吾輩は彼の頭上へ静かに着地すると、その頭部を足場にして、最後の大ジャンプを敢行した。もちろん、踏み台にされた男はそのまま床に平伏し失神した。
わずか十数秒。
ダンスホールには気絶した攻略対象共が無様な姿で転がっていた。王族、貴族など関係なく、みな等しく威厳も何も無い姿だ。野菜農園でもまだマシな風景だろう。
「……あ、あ、ああ……ど、どうして……?」
彼らの中央で、泥棒猫のユメがガタガタと震え、腰を抜かして座り込んでいる。
「私はヒロインなのよ! なのに、どうしてこんな猫一匹に……!」
どうやら、この泥棒猫もゲームのシステムを知っていた転生者らしい。だが、今となってはもう、この女が同郷出身だろうがどうでも良い。今必要なことは、この女が二度とこの場に出ないようにすることだけだ。
淑女に手を出すのは半人前。それはアドリアンお兄様から教わったことだった。
吾輩はゆっくりと二本足で彼女に歩み寄り、冷徹な猫の瞳で見下ろす。そして、鋭い爪を一本だけ、チキッと彼女の鼻先に突きつけた。
「シャーッ!」
「ひゃいぃぃっ!」
ユメは涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら、ドレスの裾を振り乱して脱兎のごとくホールから逃げ出していった。
静寂。
豪華な照明の下、呆然と立ち尽くす貴族たち。そして、まだ状況が掴めず、涙目を丸くしているプリシラお嬢様。吾輩はお嬢様の足元へ戻り、すり寄った。
「にゃ、にゃーん」
子猫らしい、精一杯の愛らしい声を出してみる。プリシラお嬢様は震える手で吾輩を抱き上げてくれた。対するアドリアンお兄様は、ふっと笑って吾輩の頭を撫でる。
「公爵家騎士団として、良い働きをしたな」
「ニャ・ニャー!」
吾輩は猫である。名前はティアラ。断罪を免れた悪役令嬢の愛猫である。




