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回収箱  作者: しー
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第二話 先に食べた

店を閉めて、家に帰る。

——今日も、誰かがいなくなった気がした。

店の前を毎日通る婆さんだったか。

いや、違う。

思い出そうとすると、頭の奥が鈍く痛んだ。

「ただいま。」

バラエティ番組の笑い声が奥から聞こえていた。

昔から変わらない音だった。

靴を脱いで、居間へ向かう。

扉を閉めた音が、やけに長く残った。

台所から、妻の声がした。

「おかえりなさい。」

妻はエプロンで手を拭きながら振り返った。

その顔は、いつも通りだった。

「今日、診療所に泊まることになったから。」

昨日も、そう言っていなかったか。

以前は、泊まりになるたび電話をかけてきた。

夕飯を一人で食べるな、と。

「そうか、頑張れよ。」

口にしてから、自分でもそっけないと思った。

妻は少しだけ眉を下げた。

「最近、ちゃんと寝てる?」

「——なんだ急に。」

「顔色、悪いから。」

昔から、俺が体調を崩すと過剰なくらい心配した。

熱が出ただけで診療所へ連れていこうとする。

そんなところが、少し鬱陶しくて——

少し、嬉しかった。

テーブルにつく。

椅子を引いた音が、やけに大きく響いた。

その奥で、固いものが触れ合う音がした。

振り返る。

玄関は閉まっていた。

「どうしたの?」

妻は、こちらを見たまま聞いた。

テーブルの方へ向き直る。

皿が置かれる。

——カタン。

妙に乾いた音だった。

焼けた肉が、静かに湯気を上げている。

肉の匂いに混じって、舌の奥が痺れるような臭いがした。

「お肉、もらったの。」

妻は、口元だけで笑った。

焼けているのに、中だけ赤い。

妻は昔、肉を焼きすぎるくらい火を通していた。

「生っぽいの苦手なの。」

そう言って笑っていたはずだった。

「誰から?」

聞いてから、聞かなければよかったと思った。

「熊谷さんの息子さん。」

——熊谷の息子。

何気ない会話のはずなのに、名前だけが少し引っかかった。

妻は小さな瓶を取り出し、粉を振る。

さらり、と音だけが落ちる。

止まらない。

振っている様子が、ないのに。

粉が、肉の赤みを覆っていく。

「それ、なんだ?」

「ちょっとしたものよ。」

妻は、にこりと笑った。

——その笑い方だけが、少し違った。

皿を、音もなく押し出してくる。

「さ、冷めないうちに食べて。」

箸を近づけた瞬間、胃の奥がひっくり返るような吐き気が込み上げた。

駄目だ。

見ただけで分かる。

食べてはいけない。

箸を置こうとする。

だが——肉の匂いが離れない。

気づけば、一切れつまんでいた。

「おい——」

自分に言い聞かせるように呟く。

口へ運ぶ。

噛む。

ぐちゃ。

一拍遅れて、もう一度、噛む音がした。

粉の味だけが消えない。

舌の裏が、少しずつ痺れていく。

——なのに。

舌が、次の一口を待っていた。

「おい、お前は食べないのか?」

妻は少しだけ首を傾げた。

「私、もう食べたわ。」

皿を見る。

肉は減っていない。

なのに、妻は笑っていた。

「そうだったか?」

自分でも、なぜそう返したのか分からなかった

「もう行く時間だから。」

そう言うと、妻は立ち上がった。

「おい、もう行くのか。」

返事は、なかった。

扉が閉まったあとも、妻の視線だけが残っている気がした。

そのとき。

玄関の方で、金属の擦れる音がした。

——ガリ。

一度だけ。

なのに、玄関を開けなければならない気がした。

扉を開く。

箱があった。

蓋は閉じている。

なのに、見てしまった。

側面に紙が貼られている。

昼にはなかった。

名前だった。

——熊谷。

その下に、もう一つ。

まだ書きかけの文字。

鳥。

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