虐殺者アゴーニアは僕の親友だった。
虐殺者アゴーニアは僕の親友だった。
親友だったと書いたのは、『あのとき』まで僕たちは殆ど何の連絡も取っていなかったからだ。
冒険者になろうと志して、片田舎の村から共に飛び出して──石畳の街で足掻くこと数年ばかり。彼女としてはきっと、自分だけ一向に低級冒険者から抜け出せないのを恥じたのだろう。
忽然と姿を消して十年。
政界に進出したの何だの聞いたって、僕たちの日常はほぼ交わらなかった。それは──。
『アゴーニア市議、エルフに対する冒険者資格の剥奪を表明。「我々の国を破壊する異民族には、断固として立ち向かわなければならない。」と──』
『アゴーニア貴族院議長、エルフ種全般に対する資産剥奪計画を進行中か。なおこれには、半森人や森人に養子縁組をされた家庭も同様であり──』
『──アゴーニア総帥、国内エルフの四割強を根絶。匿っている家庭や従わない収容所も同族と見做すとして、国民には賢明な判断を呼びかけ──』
──彼女がエルフの虐殺者となっても、特には変わらなかった。
青春時代からそうだった。僕はあまり政に関心を持てなかったし、民族や種族がどうとかも分からない。無責任な立場だとは思っている。ただ、もちろん僕は森人ではなく普人だったし、父方に居たのも鉱人だった。今はこうして地方都市で役所仕事をしているが、ここは海沿いの平原地帯。
同僚や友人にも森人は居ない──ただ一人を除いては居なかったし、冒険者時代も森人とパーティは組まなかった。だからといって……自分と同じく言葉を話し、感情もある手合いが虐殺されている。そんな現実を前に傍観者で居たのだ、後世の歴史家に避難されてもおかしくはないだろう。
◇
ただ──きっと。
これから僕が行おうとしていることに比べれば、傍観者であることなんて些細なことだ。
何故なら……そう、何故なら?
「──や、やぁ。久しぶりだね、エイプリル。これを……この霊薬を、キミのお母さんに。病気だと聞いたんだ」
アゴーニアが我が家の扉を叩いたのは、ひどい嵐の夜だった。
十年振りだと言うのに、彼女はあまり変わっていなかった。正確に言うのなら、もちろん総帥時代に紙面で何度か見ているし、実のところ招待に応じて邸宅に招かれたこともある。ただ、どれもなんだか……『偉大なる総帥』とか『王国を五世紀振りに躍進させた立役者』だとか。そうしたレッテルが見えるばかりで、顔はよく見えなかったものだから。
豪雨のカーテン越しでなお、久しぶりに出会うアゴーニアは鮮明だった。白い肌を雨粒が伝う、瑞々しい唇が微かに震える。
「……分かってる、分かってるんだよエイプリル。ボクを騎士団に突き出してもらってもいい、それで懸賞金をせしめたっていいんだ。実のところ──キミにならいいんだ。キミにまで裏切られたともなれば、ボクはもうこの世に対する未練などない」
赤い瞳が綺麗だった。黄金色の長髪もまた、あのときと変わらず精巧に織られた金細工のようだった。
正直なところを言ってしまえば、僕はぽかんとしていたのだと思う。こんな嵐の夜に客人が訪れた、それも殆ど十年振りに会う相手だった。もちろんそんな驚愕もあっただろうが──山奥に隠遁している賢者でもなければ、僕の驚愕は理解してもらえるだろう。当然のハナシ──目の前に居るのは、この国の歴史でも類を見ない大犯罪者だったから。
一筋の暴風が吹き抜ける、塀の向こうから何かが舞ってくる。視線を上げれば分かること、それは数日前の新聞だった。目を凝らせば分かること、その一面に踊っていたのは──。
『──虐殺者アゴーニアの公開処刑から三日。この国のエルフの九割を根絶した大悪人について、改めてその残虐なる非道を──』
青春の日々から十年。いつの間にか躍進を遂げていた彼女は、いつの間にか失脚を果たしていた。
僕は知らない。彼女がどうしてあんなことをしたのかも、どんな経緯で森人の大虐殺に踏み切ったのかも。王都で公開処刑されたハズの彼女が、何でこうして眼前に居るのかも。
数十秒の沈黙があった、嵐の音だけがよく聞こえた。
その神妙なる時間を、どうやら彼女は僕が迷っているか怯えていると判断したらしい。あのときと変わらないように──それでいて、剥がされた痕のある爪で。僕の手をぎゅっと握る、微かな震えが伝わってくる。
「……き、キミしかいないんだ。世界の全員がボクが死ぬべきだって思ってる。ボク自身ですら、もしかするとその一員だ。け、けれど……だけれども、エイプリル?」
正直なところ、そんな発想なんてまるでなかった。
けれども彼女があまりに怯えているせいか、そこで初めて考えがよぎったのかもしれない。
彼女を──より正確に言うのなら、森人の大虐殺を進めた一党の要職を騎士団に突き出したのなら? 聞いた話によると、少なくとも大銀貨三十枚は硬いらしい。
それだけあれば、この家だって改修できるだろう。それどころか、もっと町中か──あるいはもっと海の観える美しい場所にでも、望んだような豪邸を建てられる。こんな片田舎の役人ではなく、かつて夢見た冒険者にだってなれるかも? 敏感な彼女のこと、僕のそんな目線を感じたのだろう。
「は、ハハ! エイプリル、キミも……なのか。い、いいや責めないさ! 純血の普人なんだ、何かと違って約束は違えない。さぁエイプリル、ボクを詰所に連行するなりこの場で慰み者にしてみるなり──」
バッと。劇か何かのように両腕を広げて、降りしきる雨粒をその身で受けて。
くたびれきったような笑みで、アゴーニアは僕を見つめている。襤褸切れのような布を纏ったまま、いずれ訪れるそのときを待っている。
そんな彼女を前に──僕としては、きょとんとしていた。おかしな彼女を放っておいて、家の方へと踵を返して。質の良いタオルと、女物などないから僕の服と……あとはそうだ、魔石でミルクでも温めておこうか。
そうして僕は手招きをする。開け放ったままの扉越しに──何故か入ってこないアゴーニアへと、そこじゃ寒いだろうと手招きをする。許可が無ければ入れぬワケでもないのに、知らぬ間に吸血鬼にでもなったのだろうか?
「……え?」
先に断っておこう、この日々に物語なんてない。
僕は復讐者にも代弁者にもならないし、救済者にも執行人にもなる気はない。ただ──あぁ、そうだとも。
「……エイ、プリル?」
虐殺者アゴーニアは僕の親友だった。
大銀貨三十枚というのは、親友を売るには安すぎた。
まぁきっと、ただそれだけの話だった。
◇
僕のベッドを貸してやってからというもの、アゴーニアは一晩中泣きじゃくっていた。
正直なところ、冒険者時代から……いや、あの村で過ごしていた頃からそうだ。昼間こそ胸を張って飄々と過ごしているが、彼女はそこそこ泣き虫だった。
自分の意見も言えず、波風立てぬように過ごして──だからこそ、無感動に生きる僕と。小さな背丈で夢を語って、紅玉のような瞳を輝かせる──それでいて弱みも見せる、主人公のような彼女と。
対照的と言っても良かったのかもしれない。だけれど何だか気は合った、その理由なんてひとつだけ。
『なぁ、エイプリル。ボクとキミとで──いつか、たくさんの冒険をするんだ。果てのない海を越えて、雲をも突く山を歩いて──』
──ボクたちだけの冒険録を作るんだ!
最初からそうだった、いつだってそうだった。僕の知る少女アゴーニアは、そんな人間のハズだった。
正直なところ、それは変わっていないように思えた。何故ならば、一度だけ総帥と再会したとき……彼女がまだ実権を握っており、賛同する者や支援者に囲まれていた頃。手紙の返事として招かれた僕は、宮殿の最上部まで昇ったことがある。足首まで沈み込むような絨毯、望めばやって来る魔法のティーカップ。それらに囲まれた彼女は、赤いマントに身を包んだ総帥は──。
『……なぁ、エイプリル。あの約束を、キミはまだ覚えているのかな』
寂しそうに笑っていた。敬語を使い始めた僕を見て、指先の宝石を鬱陶しそうに煌めかせて。
あのときの会話なんて覚えていない。彼女はとっくに総帥だったし、僕はそんな総帥に近付くしがない怪しい地方役人だった。監視の目は光っていたし、息を吐く暇もなかった。覚えているのは瞳だけだ。村を出たときと、街に着いたときと──最後に会ったときと、ああして再会したときと。
奥底には何かがあった。
二人で冒険譚を聴いた頃、英雄譚を開いていた頃。遥かなる冒険を望んだような、くすぐるような光があった……だから。
『分かった。財宝は受け取ってくれなくてもいいし、騎士団への推薦も無理にとは言わない。ただ……どうか、エイプリル?』
──この問題が片付いたら、また戻ってきてくれないかな。
嗚咽の響く嵐の夜。ひとつだけの約束を、僕は果たそうと決めていた。
もう一度、冒険をしよう。僕たちはもう子供じゃないし、結局のところ大した才能も有りやしなかった。僕はしがない地方役人で、彼女はあの総帥で──今や国内に居る森人の九割を虐殺した極悪人だ。
彼女は確実に悪魔なのだろうし、地獄があったとしたら真っ先に招かれてしかるべきだろう。
何人、何百人、何万人──僕のようなしがない市民が、結果的には彼女によって殺されている。僕は無責任な傍観者であって、悪魔に使える僕のようなもの。
彼女は総帥で、虐殺者で、悪魔で、憎むべき国家の敵だ。
だけれども──そうだとも、彼女は友達なのだから。
「……ごめん。ごめんなぁ、エイプリル」
これはきっと、小さな冒険の物語だ。
傍観者と虐殺者と、かつての青春と残虐なる歴史と。
そのあわいに輝くような──もう一度、冒険をする物語だ。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
──やぁ、エイプリル君。職務も放り出してどこに行ってたんだ?
君もまだ勤め始めなのだから、最初からそうでは今後の昇進にも響くというのに……。まったく。最近躍進されているあの「総帥」も、ちょうど君と同い年だと言うじゃないか。彼女を見習ってほしいものだねぇ。
──恋人を探していた? 突然……行方不明になったから?
ハハッ、エイプリル君。そんな言い訳で遅刻が許されると思ったら大間違いだ。そんな理屈を捏ねてみるのなら、せめて病弱な母親を理由にした方が賢明だね。君のことは買っている、そちらなら信じたというのに。
ほら、とっとと仕事に戻るんだ。
それとも──まさか、その「恋人」とやらがエルフだったわけでもあるまい?
ハハッ。そんなワケがないよなぁ、うん。このご時世だ、まさかそんな者など居ないだろうし──。
──もしそうだったら、あの広場で拷問されているところだが。
あぁ、そうだ。新しく捕まった数匹が、ちょうど吊るされているところだったんだよ。小さい方は、君と目元がよく似ていたが……ハハッ、悪い冗談を言ってしまったな。まさか、異種族を……それもエルフを恋人になど、まず有り得ない話だ。
さぁ、仕事に戻ろうじゃないかエイプリル君!
「総帥」様にあやかって、普人としての本分を……どうした? 顔色が悪いようだが──




