十個目の条件
姉の条件を緩めてもらうのに、半日かかった。
前の日、叔母の家を通して、閣下から短い手紙が届いていた。候補は、モーティマー伯爵家の嫡男バーソロミュー卿。北の砦で閣下の下にいた方で、好物はレモンの焼き菓子。
十月十一日の朝、私は姉の部屋で、帳面を開いて説明した。七つの条件をすべて満たす方は、王都に公爵閣下お一人しかいなかったこと。その方とのお話は、もうなくなったこと。だから一つ目の条件を、伯爵家の嫡男まで広げてはどうか、ということ。
「わたくしがお断りしたのよ。あの方には、わたくしを見る目がなかったわ」
姉は鏡の前で髪を梳かせながら言った。
「はい。ですので、次の方を」
「伯爵家ねえ」
姉は長いこと考えるふりをしてから、鏡越しに私を見た。
「いいわ、嫡男ならね。そのかわり、条件を二つ足すわ。八つ、詩をそらで言える方。殿方は教養がなくては。九つ、わたくしの誕生日を一度で覚える方」
「承知しました。足しておきます」
私は帳面に書いた。一つ緩めて、二つ増えた。差し引きで一つ増えたことになるが、一つ目の条件が一番重かったのだから、悪くない取引である。
◇
十月十四日、午後二時。二度目の見合いは、前と同じ南の応接間で開いた。
今度の段取りには、一つ違うところがあった。紹介した方として、公爵閣下も同席なさる。紹介者が見合いに同席するのは、珍しいが作法に外れてはいない。
そのせいか、姉は二時の五分前に応接間に入ってきた。前の青い絹ではなく、薔薇色のドレスを着て、閣下の座る肘掛け椅子が一番よく見える場所に腰を下ろした。
「閣下がいらっしゃるなら、わたくしも急がなくてはね」
母が満足そうに頷いた。どうやら姉は、閣下が自分を見に来るのだと思っているらしい。
二時ちょうどに、閣下とバーソロミュー・モーティマー卿が着いた。
モーティマー卿は、閣下よりさらに肩幅の広い方だった。日に焼けた顔の左の頬に、古い傷が一本、白く走っている。手土産は橙色の菊の大きな束で、卿はそれを母に渡しながら、応接間じゅうに響く声で笑った。
「モーティマーです。北ではロウ……ケンドリック公爵の下で、三年ほど雪かきをしておりました」
茶の小卓には、レモンの焼き菓子を並べておいた。閣下に、卿の好物を伺っておいたのである。卿は一つ目を口に入れたとたん、目を丸くして私のほうを見た。私は黙って礼をした。
姉は最初の十分、閣下にばかり話しかけていた。閣下が三度目に「私ではなく、モーティマー卿に」と言ったところで、ようやく卿のほうを向いた。
「詩はお好き?」
「好きです。北の砦で覚えた歌がいくつかあります」
「では、一つ聞かせていただけるかしら」
卿は杯を置き、少し背筋を伸ばした。
「雪の夜の見張りの歌です」
低い声が、応接間の空気を変えた。
北の空に星ひとつ
燈を絶やすな、夜は長い
凍えた指で数えるのは
帰りを待つ窓の数
短い歌だった。父が咳払いをし、母が扇を動かした。閣下は窓の外を見ていた。私は茶器を持ったまま、少しのあいだ動けなかった。
姉は小さくあくびをかみ殺した。
「素朴ですのね。それで、わたくしの誕生日はご存じ?」
「伺っても?」
「五月の十二日よ」
「五月十二日。覚えました」
卿はにこりと笑った。九つ目まで、満たしたことになる。私は帳面の上で、そっと印をつけた。
そのとき、姉が卿の顔を正面から見た。窓の光が、ちょうど左の頬の傷を照らしていた。
「あら」
姉は扇を口元に当てた。
「お顔に、傷がおありなのね。わたくし、気づきませんでしたわ。……そうね、十個目の条件は、お顔に傷のない方にしようかしら」
母が、待っていたように頷いた。
「そうよね。傷のある方なんて、並んだときにクリスタベルが気の毒だわ」
応接間が静かになった。卿は、まだ笑っていた。
「その傷は」
口を開いたのは閣下だった。窓の外を見たまま、平らな声で言った。
「二年前の冬、雪崩に埋まった部下を、素手で掘り出したときのものです。七人のうち、六人が生きて戻りました」
母の扇が止まった。姉は「まあ、怖い」と言って、肩をすくめた。
父は話を変えるように身を乗り出した。
「ところで、モーティマー卿。ご領地の収入は、いかほどで」
「羊が二千頭ほどです」
卿は大きく笑った。父の質問の無作法さを、笑い声で全部包んでしまったようだった。
◇
三時ちょうどに、卿は辞去した。閣下が先に馬車へ向かい、卿は玄関の階段の上で、見送りに出た私を振り返った。
「妹君。今日の段取りは完璧だった」
「いえ。結果がこうでは」
「結果は段取りの外の話だ」
卿は声を落とした。
「この家で、客の顔を見て茶を出したのは、あなただけだった。ロウの言ったとおりだ」
そう言って、卿は階段を下りていった。
ロウ。閣下をそんなふうに呼ぶ方がいるのだと、私は少し驚いた。それに、閣下が卿に、私のことを何か話していたらしい。何を話したのだろう。
◇
応接間に戻ると、母が待っていた。
「ウィニフレッド。あなたが変な方ばかり連れてくるから、クリスタベルが疲れてしまったじゃない」
姉は長椅子に横になり、額に手を当てていた。
「申し訳ありません、お母様」
私は礼をして、帳面を出した。十個目。お顔に傷のない方。
「承知しました。足しておきます」
姉が、指の隙間から私を見た。何か言いたそうな顔だったが、何も言わなかった。
◇
その夜、叔母の家の従僕が、手紙を一通届けてくれた。公爵家の紋の封蝋だった。
『十の条件をすべて満たす方を、もう一人見つけました。キャラウェイ侯爵。段取りのご相談を、叔母上のお宅で』
十個目が増えたのは、今日の午後三時前である。
私は手紙を二度読み、閣下はいったいいつ寝ているのだろう、と思った。




