三年前の返事(ローワン視点)
見合いは一時間。砦の視察なら十分だ。
フェアファクス邸の南の応接間は、扉が一つ、窓が三つ。暖炉を背にした長椅子に伯爵夫妻、向かいに俺、その隣に空いた小さな椅子。茶の小卓は扉の脇にあり、そこに立つ者は部屋の全員の杯と顔が見える。よく考えられた配置だった。誰が組んだのかは、聞くまでもない。
姉君は四十分遅れた。妹君は、その四十分のあいだ一度も座らなかった。
馬車の窓から西の丘の屋敷が見えてくるころには、俺は今日の一時間を三度思い返していた。思い返すたびに、伯爵の額の汗が、同じ場所で光った。
◇
三年前の春、俺は騎士団の中隊長で、王妃陛下の園遊会の警備に就いていた。
庭の東の天幕で、子爵家と男爵家の顔合わせの茶会が開かれていた。縁談の顔合わせを園遊会の席でするのは、どちらの家にも身構えさせないための、よくあるやり方だ。ところが席札に手違いがあった。男爵家の老いた大奥様の札が、天幕の一番端の、給仕の出入りする口の横に置かれていた。
大奥様は札を見て、黙って杖を握り直した。孫の青年の顔から血の気が引いた。子爵夫人はまだ気づいていない。あと一分で、誰かが席を立つ。警備の兵にできることは何もない。
そのとき、薄い緑のドレスの娘が、天幕の脇を通りかかった。
娘は札の前で一瞬だけ足を止め、二枚の札を指先で入れ替えた。それから卓の真ん中の花瓶を、子爵夫人の席から上座が見えない位置へ、手のひら一つ分だけ動かした。大奥様が上座に案内され、子爵夫人は自分がそう並べたのだと思って微笑んだ。誰も何も言わなかった。茶会は穏やかに始まり、青年と子爵家の娘は、その年の秋に婚約した。
俺は天幕の外で娘を呼び止めた。
「札の順を変えましたね」
娘は少し驚いた顔をして、それから困ったように笑った。
「内緒にしてください。どちらのお家も、悪くないので」
そう言うと、姉の扇を取りに行かなくてはと言って、小走りに去っていった。十七、八に見えた。茶色の髪をきっちりまとめていた。
名前は、その日のうちに分かった。フェアファクス伯爵家の次女、ウィニフレッド。
その季節、夜会で三度見かけた。三度とも広間の端にいた。一度目は姉の裾の乱れを直していた。二度目は母親の肩掛けを持って立っていた。三度目は、具合の悪くなった見知らぬ老婦人を、誰にも気づかれないように控えの間へ連れていった。踊っているところは一度も見なかった。
俺は父に頼んだ。ケンドリック公爵家の当主として、フェアファクス伯爵家に縁談を申し入れてほしいと。父は少し驚いたが、手紙を書いてくれた。
十日後に届いた返事を、俺は今でも一字一句言える。
『ご厚情に深く感謝申し上げます。なれど次女ウィニフレッドは、本人がこの縁談を望みません。長女クリスタベルならば、喜んでお受けいたします』
縁談は家と家の話で、断られたら理由を問わずに引くのが礼だ。本人に会って確かめるのは、礼を欠く。俺は長女の話を丁重に断り、二週間後、北の国境の砦に志願した。ちょうど国境が騒がしくなった春だった。父は何も言わなかった。
◇
四日前の夜会で、俺は三年ぶりに彼女を見た。
柱のそばに立っていると、ハーグリーヴズ侯爵夫人が、茶色の髪の娘を連れてきた。
「こちらは姪の、ウィニフレッドです」
礼の途中で体が止まった。自分でも分かった。
そして彼女は、深く頭を下げて言った。
「姉を、もらっていただけませんか」
あの瞬間に、全部分かった。
彼女は何も知らない。自分に縁談が来たことも、自分が断ったことにされたことも。知っていたら、三年前に自分を望んだ男に、真顔で姉を勧めに来るはずがない。父親が四度断った、と彼女は言った。俺の分は、その四度に入っていない。
今日、姉君が「三年前のお話」を持ち出したとき、伯爵の額に汗が浮いた。それで足りた。
◇
問いただすのは簡単だ。今日、あの応接間で言えばよかった。三年前、私が申し込んだのは次女のほうだ、あの返事は誰の言葉だ、と。
だが、そうしたところで何が動くか。伯爵は「当主の返事だ」と言い張るだろう。言い張れば、それで終わる。婚姻台帳に署名するのは伯爵で、その権利は王でも動かせない。そして伯爵は、もっと固く「順番だ」と言うようになる。彼女の部屋の扉に、もう一つ鍵をかけるだけだ。
門は一つ。「順番」という門だ。
なら、門の前の荷を片付ければいい。姉君が嫁げば、伯爵は門を閉じておく理由を一つ失う。
俺は御者に、西の丘ではなく騎士団の兵舎へ回るよう言った。
◇
兵舎の食堂の奥で、バーソロミュー・モーティマーは羊の煮込みを三杯目に入っていた。北の砦で三年、俺の隣で雪をかいてきた男だ。
「よう、ロウ。見合いはどうだった」
「断った」
「だろうな。顔に書いてある」
俺は向かいに座った。
「お前、嫁がほしいと言っていたな」
バートは匙を止めた。
「……言ったな。砦で、凍えながら。それがどうした」
「紹介したい人がいる。伯爵家の長女だ」
「今日、お前が断った相手じゃないか」
「そうだ」
バートは呆れた顔をして、匙で俺を指した。
「俺は伯爵家の嫡男だぞ。噂じゃ、その姉君の条件は侯爵以上だろう。届かん」
「条件は、彼女が緩めさせる」
「彼女?」
バートの目が細くなった。それから、ゆっくりと口の端が上がった。
「砦で一度だけ、お前が酔ったことがあったな。札を入れ替えた娘の話をした」
俺は答えなかった。バートは大きな声で笑い、食堂の若い騎士たちが振り返った。
「いいだろう。会うだけ会ってやる。お前の顔が、三年ぶりにまともになったからな」
翌日、俺は叔母上の家を通して、彼女に短い手紙を送った。候補の名と身分、北で俺の下にいたこと、好物がレモンの焼き菓子であること。
◇
二日後の夕方、ハーグリーヴズ侯爵夫人を通して、返事が届いた。きっちりとした、癖のない字だった。
『姉の条件を一つ緩めさせました。爵位は伯爵家の嫡男まで。そのかわり、条件が二つ増えました』
俺は手紙を胸の内側にしまい、二つ増えた条件が何なのかを、少しだけ楽しみにした。




