姉をもらっていただけませんか
「あなた、正気?」
翌朝、叔母のマティルダは、紅茶の杯を持ったまま笑い出した。ハーグリーヴズ侯爵家の朝の客間は、窓が大きくて明るい。叔母は父の妹で、二十年以上前に侯爵家へ嫁いでいる。私の夜会の付き添いを、いつも引き受けてくれる人だ。
「ケンドリック公爵に、クリスタベルを?」
「はい。七つの条件をすべて満たしておいでなのは、あの方だけです」
私は帳面を開いて見せた。叔母は七つの条件を読み、七つ目のところで噴き出した。
「わたくしだけを見る方、ね。あの子らしいわ」
「明日の夜会に、公爵閣下もお出になると伺いました。叔母様が付き添ってくださるなら、ご紹介いただけないでしょうか。私からお声をかけるわけにはまいりませんので」
未婚の娘から殿方に話しかけるのは無作法とされる。付き添いの婦人が紹介すれば、話してよい。オードリーのときも、この形で段取りを組んだ。
「クリスタベル本人は来ないの?」
「わたくしが追いかけるなんて品がない、連れてきなさい、と」
叔母はしばらく私の顔を見ていたが、やがて杯を置いた。
「いいわ。兄さんの家の『順番』に、私も少しうんざりしてきたところだし」
◇
十月五日、ある侯爵家の夜会は、王都の秋の中でも人の多い催しだった。
大広間に入ってすぐ、私は公爵閣下を見つけた。探すまでもなかった。広間の誰より背が高く、銀に近い灰色の髪をしていて、壁際の柱のそばから一歩も動かない人がいたからだ。
夜会では、人の流れを見ておくと段取りが組みやすい。誰が誰に挨拶に行き、どの順で離れていくか。私は叔母の隣で扇を持ったまま、柱のそばを眺めていた。
閣下が広間に入ったのは九時ちょうど。それから一時間のあいだに、令嬢を連れた母親たちが十二組、柱のそばへ挨拶に行った。閣下は十二組すべてに丁寧に礼をし、短く言葉を交わし、誰とも踊らなかった。十二組目の夫人が娘の手を引いて戻っていくとき、娘の目が少し赤かった。
「手強いわね」
叔母が小声で言った。
「ええ。でも、踊らないのは、踊れないからではないようです」
閣下は楽団の曲が変わるたびに、靴の先でほんのわずかに拍子を取っていた。踊りの上手な人の癖である。五つ目の条件は、たぶん満たしている。
「行きましょう」
叔母が私の腕を取り、柱のそばへ向かった。
「ケンドリック公爵閣下。お戻りになったと伺って、ご挨拶をと思いまして。ハーグリーヴズの家内でございます」
「侯爵夫人。ご丁寧に」
低い、落ち着いた声だった。叔母が私を前に出す。
「こちらは姪の、ウィニフレッドです」
閣下が私を見た。
そして、そのまま動かなくなった。
礼の途中で止まった人を、私は初めて見た。一つ、二つ、三つ。数えるほどのあいだ、灰色の目が私の顔の上にとどまっていた。
「……フェアファクス家の、次女」
「はい。ウィニフレッド・フェアファクスと申します」
私が礼をすると、閣下はようやく礼の続きをした。叔母が扇の陰で眉を上げている。
話は短くするに限る。こういう方は、前置きが長いと離れていく。
「閣下。突然のお願いで失礼いたします」
私は深く頭を下げた。
「姉を、もらっていただけませんか」
閣下の眉が、ほんの少しだけ動いた。
「……理由を、伺っても」
「はい」
私は順に話した。父が「姉より先に嫁ぐなど許さん」と言うこと。私への縁談がそれで四度断られたこと。この国では二十五になるまで父の署名がなければ嫁げず、あと五年あること。だから姉を先に嫁がせたいこと。そして帳面を開き、七つの条件を見せた。
「名鑑とお噂で確かめた限り、閣下はすべて満たしておいでです。七つ目だけは存じませんが」
閣下は帳面に目を落とした。七つ目の「わたくしだけを見る方」のところで、視線が少し長く止まった。
「あなたの条件は」
「私の、ですか」
「姉君の条件は分かった。あなたが私に求める条件は」
「一つです。姉が先に嫁ぐこと」
閣下は黙った。楽団が次の曲を始め、広間の真ん中で人の輪がほどけていく。叔母が気を利かせたのか、一歩うしろへ下がった。
「父君は、あなたへの縁談を四度断ったと言いましたね」
「はい。私が存じているのは四度です」
閣下の顎のあたりに、わずかに力が入った。退屈させてしまったのかもしれない、と私は思った。
「一つ、こちらからも条件を出していいだろうか」
「どうぞ」
「見合いの席に、あなたも同席すること」
私は少し考えた。姉の見合いに妹が同席するのは珍しいが、無作法ではない。段取りを組んだ者がその場にいるほうが、何かあったときに手を打ちやすい。
「承知しました。足しておきます」
私は帳面に「閣下のご条件・見合いに同席」と書き足した。顔を上げると、閣下が口元を手で覆っていた。笑っているのか咳をこらえているのか、よく分からなかった。
「明日、父君に手紙を出します。見合いの申し入れとして」
「ありがとうございます、閣下」
◇
翌日の昼、公爵家の紋の入った手紙が、本当に父宛てに届いた。十月九日の午後に、見合いの席を設けていただきたい、という申し入れである。
父は手紙を三度読み返し、声を上げて母を呼んだ。母は姉を呼び、姉は私を見て、当然という顔で笑った。
「当然よ。三年前にも、わたくしに縁談をくださった方ですもの」
父が、大きく咳払いをした。
三年前。私は帳面を持ったまま、その言葉を頭の中で繰り返した。
そんな話は、一度も聞いたことがなかった。




