第八章 仲間たちの輪
どれくらい泣いていたのか、わからない。
しばらくして、足音が近づいてきた。
「……おい」
健太の声だった。
俺は、顔を上げなかった。
「ここにいたのか」
返事はできなかった。
「……そっか」
健太は、それ以上、何も言わなかった。
やがて、別の足音が聞こえた。
「見つかった?」
千夏の声。
「いた」
「……そっか」
そのあと、何人かが近づいてきた。
悠斗。
陸。
真帆。
紗季。
少し遅れて、梨花もやってきた。
「彼氏、先に帰した」
梨花が小さく言った。
「みんな、こっちに来てるって聞いて」
誰も、俺に何かを尋ねようとはしなかった。
何がつらいのか。
どれくらい好きだったのか。
今、何を考えているのか。
そんなことを、聞く必要はなかったのだろう。
俺が泣いている。
それだけで、十分だった。
「……悪い」
俺は、涙を拭きながら言った。
「何が?」
健太が聞いた。
「いや、せっかく来たのに」
「馬鹿か、お前」
健太は、少し乱暴な声で言った。
「そんなこと、どうでもいいだろ」
「でも……」
「でもじゃねえよ」
健太は、俺の隣に立った。
「お前、今までずっと我慢してたんだろ」
俺は、答えられなかった。
「俺たち、知ってたよ」
悠斗が静かに言った。
「お前が美咲を好きだってこと」
「……いつから?」
「中学の頃から」
「そんな前からかよ」
思わず、苦笑が漏れた。
「わかりやすかったよ」
紗季が言った。
「美咲が誰かと話してると、必ずそっちを見るんだもん」
「そうそう」
千夏が頷いた。
「美咲が風邪で休んだ日なんか、お前、授業中ずっと時計見てたじゃん」
「……そんなことしてたか?」
「してた」
真帆が答えた。
「放課後、プリント届けに行くって言ったら、誰よりも早く立ち上がったし」
「いや、あれは……」
「何?」
「……何でもない」
みんなが、少しだけ笑った。
それは、いつもの笑い方とは違っていた。
無理に明るくしようとしているのではない。
俺を慰めるために、わざと冗談を言っているのでもない。
ただ、俺たちが長い時間を一緒に過ごしてきたからこそ、自然に出てくる笑いだった。
「……でもさ」
陸が、少しだけ視線を落とした。
「俺たちも、どうしたらいいのか、わかんなかったんだよな」
俺は、顔を上げた。
「何が?」
「お前のこと」
陸は言った。
「美咲が好きなのは知ってた。でも、お前は何も言わなかっただろ」
「……うん」
「だから、俺たちが勝手に美咲に何か言うのも違うと思ったんだよ」
「そりゃ、そうだろ」
「うん。わかってる」
陸は、少し困ったように笑った。
「ただ、こうなる前に、何かできたのかなって思うとさ」
「お前らは悪くないよ」
俺は言った。
「俺が何もしなかっただけだ」
その言葉を口にすると、胸がまた痛くなった。
けれど、今度は、さっきほどではなかった。
自分が何をしたのか。
何をしなかったのか。
ようやく、認めることができた気がした。
「……そっか」
陸は頷いた。
「じゃあ、今は泣いとけ」
「え?」
「泣きたいんだろ」
「……まあ」
「だったら、泣けばいいじゃん」
千夏が腕を組んだ。
「我慢しても、何もいいことないよ」
「そうそう」
紗季が頷いた。
「泣いたって、誰も笑わないから」
「……お前ら」
俺は、また涙が出そうになった。
すると、健太が大きく息を吐いた。
「よし」
「何だよ」
「お前、今から食うぞ」
「は?」
「食うんだよ。失恋したら、やけ食いだろ!」
健太が、持っていた袋を俺に突き出した。
中には、たこ焼きが入っていた。
「いや、何でたこ焼き?」
「俺が食いたかったからだよ!」
「自分の分じゃねえか!」
「細かいこと言うな!」
千夏が、別の袋を差し出した。
「はい、焼きそば」
「……ありがとう」
「それから、かき氷」
真帆が続けた。
「綿あめは私が買った」
紗季が言った。
「牛串もあるよ」
悠斗が袋を持ち上げた。
「りんご飴は?」
俺が聞くと、梨花が少し笑った。
「あるよ。二本」
「なんで二本?」
「一本は私の」
「おい!」
久しぶりに、みんなが声を上げて笑った。
俺も、笑った。
涙でぐしゃぐしゃの顔だったけれど、それでも笑うことができた。
「……お前ら、俺を何だと思ってるんだ?」
俺は、手渡された食べ物を抱えながら言った。
「失恋した男」
千夏が即答した。
「もっと言い方あるだろ!」
「じゃあ、失恋した食欲旺盛な男」
「変わってねえよ!」
「だって、あんた昔からよく食べるじゃん」
「今関係ないだろ!」
「あるよ。こういうときは、いっぱい食べて元気出すの」
真帆が笑った。
「それに、みんなで買ったんだから、ちゃんと食べてよね」
「……わかったよ」
俺は、たこ焼きを一つ口に入れた。
熱かった。
「熱っ!」
「そりゃ、焼きたてだからな!」
健太が笑った。
「お前、冷まして食えよ!」
「うるせえ!」
俺は、たこ焼きを飲み込んだ。
味は、よくわからなかった。
でも、温かかった。
その温かさが、妙にありがたかった。
俺が泣いている間、誰も俺を急かさなかった。
早く泣き止めとも、忘れろとも、次の恋を探せとも言わなかった。
ただ、俺の周りにいてくれた。
人目につかないように、さりげなく立ち位置を変えて。
通りかかる人がこちらを見ても、自然に視線を遮るように。
俺が泣き止むまで、ずっと。
その優しさが、今は何よりもありがたかった。
「……ありがとうな」
俺は、もう一度言った。
「何回言うんだよ」
健太が照れくさそうに顔をそらした。
「別に、礼を言われるようなことしてねえし」
「いや、してるだろ」
「してねえよ」
「してるって」
「うるせえ!」
いつものやり取りだった。
俺たちは、昔からこうだった。
喧嘩をして、仲直りをして、また喧嘩をする。
誰かが失敗すれば笑い、誰かが本当に困っているときには、黙って隣にいる。
その関係は、少なくとも今、この瞬間には、何も変わっていなかった。
俺は、ようやく涙を拭いた。
「……もう、大丈夫」
そう言うと、悠斗が首を傾げた。
「本当に?」
「うん」
「無理してない?」
「してないよ」
俺は、少し笑った。
「ただ、ちょっと、自分の不甲斐なさに泣けてきただけだ」
健太が、ふっと息を吐いた。
「まあ、そういう日もあるだろ」
「……そうだな」
「しばらく休めばいいよ」
真帆が言った。
「それから、次のことを考えればいい」
「次のことって、何だよ」
千夏が肩をすくめた。
「勉強とか、部活とか、進路とか。あんた、将来何したいかも、まだ決まってないんでしょ?」
「……耳が痛いな」
「だったら、これを機に考えれば?」
「失恋を進路指導に使うなよ」
「何でも経験でしょ」
千夏が笑った。
「それに、恋愛以外にも、あんたが知らない世界はいっぱいあるんだから」
俺は、少しだけ考えた。
知らない世界。
美咲が、バスケ部で見つけた世界。
新しい友達。
試合の緊張感。
練習を終えたあとの達成感。
翔太と過ごす時間。
俺は、そのどれも知らなかった。
知らないのに、俺は美咲がずっと同じ場所にいると思っていた。
「……そうだな」
俺は、小さく頷いた。
「俺も、何か見つけないとな」
「おっ、いいこと言った!」
健太が大げさに手を叩いた。
「じゃあ、明日から筋トレだ!」
「なんでだよ!」
「スポーツ苦手なんだろ? 鍛えればいいじゃん!」
「今さらバスケ部に入れって?」
「そうだよ!」
「絶対嫌だ!」
「なんでだよ!」
「お前と一緒に運動したくないからだよ!」
「ひどくねえか!」
みんなが笑った。
俺も、笑った。
胸の奥にあった冷たい風は、完全に消えたわけではなかった。
美咲の笑顔を思い出せば、きっとまた痛むだろう。
明日、学校で顔を合わせたら、どう接すればいいのかもわからない。
これまでのように話せるのか。
それとも、少しだけ距離を置くことになるのか。
まだ、何もわからなかった。
それでも。
俺には、仲間がいる。
そのことを、今夜、改めて知った。




