第六章 花火が上がる前に
花火大会当日。
俺たちは駅前で待ち合わせた。
「遅いぞ、健太!」
「まだ約束の時間だろ!」
「お前が最後なんだよ!」
「家で靴下が見つからなかったんだ!」
「知らねえよ!」
「じゃあ、裸足で来ればよかったの?」
千夏が真顔で言った。
「お前、俺を何だと思ってるんだ!」
「健太」
「名前で答えるな!」
俺たちは笑った。
美咲がいないことを除けば、いつもの集まりだった。
「そういえば、美咲、今日は部活の人と来るんだよね」
紗季が言った。
「うん。そうらしい」
俺はできるだけ平然と答えた。
「翔太くんも一緒なんだっけ?」
真帆が尋ねた。
「みたいだな」
「そっか」
真帆は、俺の顔をちらりと見た。
「……大丈夫?」
「何が?」
「いや、何でもない」
真帆も、それ以上は聞かなかった。
俺たちは屋台を見て回った。
健太は焼きそばを買い、陸は彼女から届いたメッセージを確認し、千夏はりんご飴を選ぶのに五分もかけた。
「千夏、まだ決まらないのかよ」
「だって、こっちのほうが赤くてきれいなんだもん」
「味は同じだろ!」
「見た目も大事なの!」
「食うのに?」
「食べる前に見るでしょ!」
「もういいよ、好きなの買えよ!」
「最初からそう言ってるじゃん!」
梨花から連絡が来て、俺たちは途中で彼女と彼氏にも会った。
「みんな、久しぶり!」
梨花が手を振った。
「おう。彼氏さん、梨花をよろしくな」
健太が妙に偉そうに言った。
「お前、何の立場だよ」
陸が笑う。
「幼馴染の代表だ!」
「代表って何だよ!」
「俺たちの梨花を泣かせたら許さねえぞ!」
「健太、恥ずかしいからやめて!」
梨花が赤くなった。
「すみません、こいつ、いつもこうなんです」
悠斗が彼氏に頭を下げた。
「いえ、楽しそうでいいですね」
彼氏は笑った。
その様子を見て、俺も笑った。
九人は、それぞれ別の時間を過ごし始めていた。
それでも、こうして顔を合わせれば、何も変わらずに笑うことができる。
だから俺は、きっと美咲とも同じなのだと思っていた。
会う時間が減っても。
話す機会が少なくなっても。
また昔のように一緒にいられる。
そう信じていた。
「おい、そろそろ花火の場所取りしようぜ!」
健太が叫んだ。
「まだ始まるまで時間あるよ」
紗季が言った。
「いい場所は早い者勝ちだろ!」
「それ、屋台でも言ってたじゃん」
千夏が呆れた。
「場所取りは重要なんだよ!」
「はいはい」
俺たちは、少し離れた河川敷へ向かった。
人混みは、時間がたつにつれて濃くなっていた。
浴衣姿の女の子たち。
手をつなぐカップル。
友達同士で写真を撮る高校生。
屋台から漂う甘い匂い。
遠くから聞こえる、祭り囃子。
俺は、その人混みの中に、美咲の姿を探していた。
探しているつもりはなかった。
ただ、目に入る人の中に、似た髪型や背格好を見つけるたび、無意識に視線が動いていた。
「お前、さっきから何探してんの?」
悠斗が尋ねた。
「何も」
「ふうん」
「……お前までかよ」
「何が?」
「その、わかってますって顔」
悠斗は少し笑った。
「俺たち、何年の付き合いだと思ってるんだよ」
「長いな」
「だろ?」
「……そうだな」
悠斗は、俺の肩を軽く叩いた。
「まあ、何かあったら言えよ」
「何もないって」
「はいはい」
そのときだった。
人の流れが少し途切れた先に、見覚えのある横顔があった。
淡い色の浴衣。
まとめられた髪。
いつもより少しだけ丁寧に引かれた口紅。
美咲だった。
「……あ」
俺は、思わず足を止めた。
「どうした?」
健太が振り返った。
俺は答えられなかった。
美咲の隣には、背の高い男子がいた。
白いシャツに、黒いパンツ。
見覚えのある顔。
翔太だった。
二人は、並んで歩いていた。
ただ並んでいるだけなら、何とも思わなかったかもしれない。
けれど、翔太が何かを言うと、美咲は顔を上げて笑った。
その笑顔は、俺の知っているものだった。
昔から、何度も見てきた笑顔。
でも、その笑顔が向けられている相手は、俺ではなかった。
翔太が、美咲の手元を指さした。
「それ、金魚?」
「違うよ。りんご飴」
「いや、見ればわかるだろ」
「じゃあ、なんで聞いたの?」
「いや、何となく」
「何それ!」
美咲は笑った。
翔太も笑った。
二人の間に、自然な空気が流れていた。
気を遣っているようには見えなかった。
初めて一緒に出かけた二人の、ぎこちなさもなかった。
まるで、何度もこうして二人で過ごしてきたかのように。
「……美咲」
俺は、小さくつぶやいた。
その声は、祭りの喧騒に消えた。
「おい……」
健太が、俺の視線の先を見た。
そして、黙った。
悠斗も気づいた。
紗季も、真帆も、千夏も。
誰も、何も言わなかった。
俺は、その場から動けなかった。
美咲が、翔太を見上げた。
翔太が何かを言った。
美咲は、少し照れたように目を伏せた。
それから、もう一度、笑った。
その目を見た瞬間、俺にはわかってしまった。
ああ。
好きなんだ。
美咲は、翔太が好きなんだ。
少なくとも、俺が知っている誰かを見るときの目とは違っていた。
俺が幼い頃から知っている、あの笑顔。
俺がずっと隣で見てきた、あの表情。
それが、俺の知らない意味を持って、目の前にあった。
胸の中で、何かが音を立てて崩れた気がした。
俺は、息を吸おうとした。
けれど、うまく吸えなかった。
周囲の音が、急に遠くなった。
屋台の呼び込みも、子供たちの笑い声も、健太の大きな声も。
何も聞こえない。
ただ、美咲の笑顔だけが見えた。
俺は、ずっと何をしていたのだろう。
好きだった。
中学二年の頃から、ずっと。
もっと一緒にいたかった。
話したかった。
二人で出かけたかった。
それなのに、誘って断られれば、仕方がないと自分に言い聞かせた。
会う時間が減れば、忙しいのだから当然だと納得した。
美咲が新しい世界へ踏み出していくのを見ながら、俺は、いつか元に戻ると信じていた。
俺は何も変えようとしなかった。
何も伝えなかった。
ただ、失いたくないと思っていた。
そして今、目の前で、美咲は俺の知らない誰かと笑っている。
その事実が、どうしようもなく痛かった。




