第六章:保管庫の影
シンがギルド倉庫の管理を任されてから二週間。シンが導入した「三次元ロジスティクス」は劇的な効果を上げていた。ルカの評価もうなぎ登りだったが、効率化を進めるということは、「これまで見えていなかった不整合」を暴き出すことと同義だった。
夕暮れ時、シンは一人、帳簿の数字と実際の在庫数を照らし合わせていた。
シンが作成した「倉庫の容積計算」と「実際の荷物の総体積」の間には、どうしてもわずかな誤差が存在していた。
普通の人間にしてみれば、ゴミのような数パーセントの誤差に過ぎない。しかし、前世で数万個のコンテナを扱い、数円のズレで会社が傾く現場を見てきたシンにとって、この「原因不明の数字のズレ」は放置できない地雷だった。
中世のずさんな管理社会では、後から「荷物が足りない」と騒ぎになった際、非識字者で余所者である管理人のシンにすべての濡れ衣を着せ、奴隷として売り飛ばすことなど日常茶飯事だからだ。シンは自らの首を守るため、そのズレの「物理的な原因」を特定しなければならなかった。
シンは、相棒のゴドリックにはこの探索を知らせなかった。
ゴドリックは戦闘のプロだが、こうした細かい計算やギルド内の政治的リスク管理には疎い。もし仮にギルドの「上層部による組織的な横領」だった場合、気性の荒いゴドリックを連れて行けば、その場で刃沙汰になり、身元保証の手続きどころか二人とも即座に消される危険がある。
(まずは俺の目で確かめる。ゴドリックさんを無用なリスクに巻き込むわけにはいかない)
シンは松明を掲げ、倉庫の最奥、湿気とカビ臭さが立ち込める「丙の十」区画へと一人で足を向けた。
そこは、何年も動かされていないとされる、領主私有の「儀礼用古酒」の木樽が積み上げられたエリアだった。地面を這うように照らすと、重い木樽を引きずった跡が、埃の下にうっすらと残っていた。
シンは意を決め、樽と樽の狭い隙間に身体を滑り込ませた。突き当たりにある石壁に手を触れると、巧妙に偽装された「隠し扉」がスライドした。
奥にあったのは、畳二畳ほどの極小の隠し部屋。そこには、厳重に蝋で密閉されたいくつかの小さな木箱が置かれていた。
木箱の一つを開けると、中に入っていたのは、乾燥した、赤黒い斑点を持つ不気味なキノコだった。
「これは……「ブラッド・キャップ」……!」
それは、服用者に一時的な忘我の狂乱をもたらすが、数ヶ月で脳を破壊して廃人にする、領地法で厳しく禁止された「違法薬物」だった。見つかれば、関わった者全員が即座に絞首刑に処される。
「――見てはいけないものを見たね、シン」
冷ややかな声が、暗闇に響いた。
振り返ると、そこには松明を手にしたルカが立っていた。その手には、荷解き用の鋭く研ぎ澄まされた鉄製のバールが握られていた。ルカの顔から、いつもの卑屈な笑みは完全に消え失せていた。
「これを仕切っているのは誰だ」
シンは後ずさりしながら、冷静を装って尋ねた。
「商業ギルドの副ギルド長だよ。そして、それを運んでいるのは地元の衛兵隊の隊長だ。誰も、これを止められない」
シンの背中に冷たい汗が流れた。巨大な権力組織――商業ギルドの幹部と、武力組織である衛兵隊が結託している。これを通報したところで、シンが「密輸の犯人」として濡れ衣を着せられて処刑されるのがオチだった。ルカがゆっくりと距離を詰めてくる。
だが、シンは両手を上げて、抵抗の意思がないことを示した。
「待て、ルカ。俺を殺せば、明日から倉庫の回転率は元に戻るぞ。他の誰にも、俺の「在庫台帳」は理解できない」
ルカの足が、かすかに止まった。
「それに、俺は正義の味方になるつもりはない。漂流者である俺にとって、一番大事なのは「自分の生存」だけだ。提案がある。この隠し部屋の存在を、俺の「計算」の中に完全に組み込んでカモフラージュする。帳簿上の誤差を完全にゼロにし、どんな監査が入っても、この「空白の空間」が絶対に発覚しない完璧な架空の在庫データを、俺が作ってやる」
ルカの目が細められた。「……何だって?」
「今、このキノコは「存在しないもの」として扱われているから不自然な空間ができる。だが、これを書類上「領主様向けの減免対象となる乾燥塩漬け肉」として擬似登録すれば、容積計算の辻褄は完璧に合う。これなら、あんたたちの密輸ビジネスの安全性はこれまでの十倍になる」
ルカはバールを構えたまま、シンの言葉を吟味していた。
「……君は、悪党の才能もあるようだね、シン」
「生き延びるためなら、泥でも薬物でも、何でも利用する。それが俺のルールだ」
ルカはゆっくりとバールを下ろした。
「……いいだろう。今夜中に、その「完璧な偽装データ」を作れ。副ギルド長には私から話を通しておく」




