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第2話 1856年、ウクライナ——もう一人の預言者

安政3年

・ハリスがアメリカ初代駐日総領事として下田に着任

・下田の玉泉寺に米国総領事館を設置

・幕府が蕃書調所を設立(洋学研究機関)

・幕府が軍事訓練機関である講武所を設置

・老中首座の堀田正睦による外交交渉の本格化

・長崎・箱館(函館)での貿易開始


 歴史には、しばしば対になった運命というものが存在する。


 光あるところに影があるように。答えあるところに問いがあるように。ある思想が炎のごとく燃え広がろうとするとき、必ずそれと反対方向に力を向ける別の思想が、静かに、しかし確実に準備されている。


 テオドール・ヘルツルが「国家」という言葉に生涯を捧げるとすれば、アハード・ハアムは「魂」という言葉に生涯を捧げた。


 二人は同じ問いから出発した。なぜ、ユダヤ人はこれほどまでに苦しまなければならないのか。


 しかし、答えはまるで違った。



一 スクヴィラの夜


 1856年八月十八日。ロシア帝国キエフ州、スクヴィラ。


 ウクライナの草原は、その季節、夜になると息を飲むほど静かになる。果てしない黒土の平野が月明かりに照らされ、地平線が溶けるように空に消えていく。星は、都市では決して見られない密度で天を覆い、見上げる者に宇宙の広大さと、自分という存在の小ささを同時に悟らせた。


 その夜、商人イザヤ・ギンズベルクの家に、一人の男児が誕生した。アシャー・ツヴィ・ハルシュ、と名付けられた。


 後世の人々は彼を、彼自身が選んだペンネームで呼ぶ。アハード・ハアム——「民の一人」。謙虚な名である。いや、謙虚というより、正確な名である。彼は生涯を通じて、自らが傑出した個人であることよりも、民族という大きな有機体の中の「一要素」であることを意識し続けた。


 ヘルツルとアハード・ハアムの間には、四年という年齢差がある。


 四年。それほど大きな差ではないように見える。しかし、これほど異なる精神を産んだ四年も珍しい。



二 ハシディズムという世界


 アシャーが生まれ育った家庭は、ハシディズムの伝統に深く根差していた。


 ハシディズム——十八世紀に東欧のユダヤ人社会から生まれた宗教運動である。その核心にあるのは「喜びによる神との合一」という思想だ。厳格な律法の遵守だけでなく、祈りの中の恍惚、歌と踊りによる神への接近、そして「ツァディーク」と呼ばれる聖者を通じた神の意志の体得。ハシディズムは、乾いた律法主義に対する温かい魂の反乱として東欧のユダヤ人の心をとらえ、その後百年以上にわたって繁栄した。


 父イザヤは商人として現実の世界に生きながら、魂においては徹底したハシディズムの信奉者だった。アシャーは幼少期、ヘブライ語で書かれた聖典を毎日読むことを課された。タルムード、ミドラシュ、そしてラビ・モーシェ・ベン・マイモンの著した哲学書『迷える者への手引き』——いわゆる「マイモニデス」の主著である。


 子どもの読書としては、些か重い。


 しかしアシャーはこれを、苦行としてではなく、知的な喜びとして受け取った。彼の頭脳は幼い頃から、分析と体系化を愛していた。テキストの行間に問いを見出し、答えを探し、また新たな問いを立てる。その知的反射が、後の彼の思想スタイルをそのまま形作ることになる。


 明晰に疑い、徹底して考え、しかし性急に結論を出さない。


 これがアシャー・ツヴィ・ギンズベルクという人間の、生涯変わらぬ思考の型だった。



三 独学という武器


 当時のロシア帝国において、ユダヤ人の子どもが通える「普通の学校」は極めて限られていた。


 ユダヤ人は「居住制限区域ペイル・オブ・セトルメント」に押し込められ、ロシア社会の本流から制度的に遮断されていた。アシャーが育った環境では、正規の近代教育を受ける道はほとんど閉ざされていた。彼が通ったのは「ヘデル」——伝統的なユダヤ人の初等教育機関である。そこで学ぶのは、もっぱら宗教的テキストだった。


 しかし若いアシャーは、そこで満足しなかった。


 彼は独学した。


 ロシア語を自ら習得した。ドイツ語を習得した。フランス語、英語、ラテン語——ヨーロッパの主要言語を、師もなく、ただ書物だけを頼りに習得していった。これは、一見すると単なる語学の話に思える。しかし実際には、それ以上の意味を持つ。


 言語を学ぶとは、思考の型を学ぶことである。


 ロシア語でトルストイを読むとき、彼の思想はロシア的な大地の重力を帯びる。ドイツ語でカントを読むとき、彼の理性は系統的な哲学の骨格を得る。複数の言語で複数の世界を同時に見ることができる者は、一つの視点に囚われない。


 アシャーは成長するにつれ、ユダヤ人でありながら、ユダヤ人だけの世界に閉じ込められない知性を獲得していった。内にはタルムードの論理と信仰の熱量。外にはヨーロッパ近代思想の精密さ。


 この二つを同時に持つ者が、当時のユダヤ人社会にどれほど希少だったか——それを理解することなしに、アハード・ハアムという人物の特異性は分からない。



四 1856年——戦争が終わった年に生まれる


 アシャーが生まれた1856年は、ウクライナにとって激動の年だった。


 その年の三月、クリミア戦争が終結した。


 ロシア帝国対イギリス・フランス・オスマン帝国の連合軍——この「当時の世界大戦」は、主にウクライナ南部のクリミア半島を主戦場とした。セヴァストポリ港湾都市への一年以上にわたる包囲戦。ウクライナ全土から徴兵された農民兵士たち。食料と物資の強制徴発に喘ぐ農村。ロシアは最終的に敗北し、パリ条約に調印した。


 近代戦の先駆けとも言われたこの戦争は、帝国の軍事的・経済的な脆弱さを白日の下にさらした。ウクライナの農村は困窮し、農奴解放を求める声はかつてなく高まっていた。


 前年にはニコライ一世が死去し、アレクサンドル二世が即位していた。新皇帝は敗戦の教訓から「大改革」を決意し、帝国に自由化の空気が漂い始めていた。五年後の一八六一年には農奴解放令が出される——その予感が、この年すでに空気の中に滲んでいた。


 もう一つの動きも、ウクライナの知識層の心を揺さぶっていた。


 タラス・シェフチェンコ——ウクライナの国民的詩人であり、近代ウクライナ語の確立者——が、この年、十年近い流刑生活からの解放を目前にしていた。秘密結社への関与を理由にカスピ海沿岸の要塞へ追放されていた彼は、皇帝の崩御に伴う特赦によって翌一八五七年に帰還する。その存在は、ロシアによる支配と弾圧の下でも、ウクライナの民族意識を繋ぎ止める象徴だった。


 戦争、敗北、農民の怒り、民族意識の覚醒——そういった激動の空気の中に、アシャーは生まれた。


 しかし、ウクライナのユダヤ人にとって、この「変化の空気」は必ずしも希望を意味しなかった。


 「居住制限区域ペイル・オブ・セトルメント」——ロシアのユダヤ人は、ウクライナからポーランドにかけての指定地域にしか住めなかった。帝国の中枢であるモスクワもサンクトペテルブルクも、ユダヤ人には閉ざされていた。職業も制限され、高等教育へのアクセスも厳しく制限されていた。農奴解放の議論が盛んになる中でも、ユダヤ人の地位改善は後回しにされ続けた。


 さらに農村の困窮は、しばしばユダヤ人への敵意として噴出した。農民たちの不満は、地主や皇帝(ツァーリ)ではなく、身近な「異民族」であるユダヤ人へと向けられることが多かった。ウクライナ各地で農民の暴動や反抗が頻発し、そのたびにユダヤ人コミュニティが標的にされた。


 ここに、十九世紀ユダヤ人問題の本質的な分裂がある。


 西に生きるユダヤ人は「どうすれば溶け込めるか」を問い、東に生きるユダヤ人は「どうすれば生き延びられるか」を問った。この問いの違いが、後のシオニズム運動の中に深い亀裂を生む。西欧的な洗練の中で育ったヘルツルと、東欧の厳しい現実の中で育ったアシャー・ギンズベルクが、同じ「ユダヤ人の未来」を語りながら、まるで異なる言語で語り合うことになる理由が、ここにある。


 アシャーはウクライナの草原で育ちながら、独学でヨーロッパの知識を吸収した。しかし彼の骨の髄には、東欧ユダヤ人の現実——制度的な排除、日常的な暴力の恐怖、しかし同時に深い信仰と共同体の絆——が染み込んでいた。


 その経験が、後の彼の問いの核心を作ることになる。


 国家という「器」だけを作っても、意味がない。その器に注ぐべき「魂」——ユダヤ人としての文化的・精神的なアイデンティティ——を先に再建しなければ、器は空っぽのままだ、と。


 しかしその問いが言葉になるのは、まだ三十年以上先のことだ。


 1856年の夏、戦争が終わったウクライナの夜に生まれた赤ん坊は、まだただ泣いているだけだった。

アハード・ハアム:筆名は「民の一人」。精神的・文化的再生を説いた東欧シオニズムの巨頭。


ハシディズム:喜びや神秘的合一を重視するユダヤ教改革運動。


タルムード/ミドラシュ:ユダヤ教の口伝律法や聖書解釈をまとめた聖典。


マイモニデス:12世紀の哲学者。理性と信仰を統合し、後の思想家に多大な影響を与えた。


ペイル・オブ・セトルメント:ロシア帝国がユダヤ人に定めた強制居住地。


クリミア戦争:ロシアの敗北により、国内の近代化と改革が促された戦争。

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