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第六話 トラウマ

俺、赤山一郎には記憶がある。

"理詰めの松山"についてだ。


休憩に入った俺は、苦い過去に思いを馳せてみる。


俺は十年前、かつて夫婦関係にあった元妻と離婚した。


俺は、妻に虐げられていた。

妻は居酒屋のホールでアルバイトをしていたが、基本的に俺の稼ぎをあてにしていた。

地元スーパーのチーフの給料なんて、平社員の給料に少し毛が生えた程度だというのに・・・。


俺には夢があった。

高校時代からの友人とバンドマンとして成功すること、ボーカルとして有名になることだ。

最初はバンドマン一本で生活するつもりだったが、なかなか売れず、妻にはカッコイイ姿をなかなか見せてあげられなかった。

バンド活動の資金を集める目的で、俺は地元スーパー「サンセット」の惣菜で働くことにした。

あくまで資金集めのためだ。

妻のために、俺は必ず、バンドボーカルとして稼いでみせる。


「バンドボーカルとして必ず成功するから、もう少し待っててくれ!」


そう約束したはずなのに・・・。


バンド活動に、陰りが見えてくる。

夢を追うことを辞めた友人たちは、次から次に一般企業へと就職してしまったのだ。

活動を続けたのは、ボーカルの俺一人だ。


俺は惣菜の仕事が終わると、急いでカラオケ店に直行し、深夜までボーカルの練習をした。

身を犠牲にしてまで、俺は妻にカッコイイ姿を見せるために、頑張ったのだ。


しかし、俺が家に帰ると妻は「もっと稼げ」「チーフのくせに何してる」「男のくせにまるでダメな人間だ」など、俺を奴隷のように軽視しては夕飯さえ作ってくれないこともあった。


そんな俺も、家庭内で溜まった怒りを発散するかのように、従業員の些細な出来事に激昂していた。

それが良くなかったのかもしれない。


毎日妻からの冷遇を受け、精神的に耐えかねた俺から離婚を申し出たが、妻は突然被害者のふりをし始めた。


「こんなに家のことをしてあげてるのに」「夫が私をほったらかしにする」「私はひもじい思いをさせられている」「音声データは取っていないが、普段から部下に当たり散らしているという証拠がある、その人に聞けば分かるし、私に怒鳴りつける証拠になる」など、言いたい放題だ。

そんなことで証拠にはならないと思っていたが・・・。


当時、スーパー「サンセット」の社員であった男に、俺は確かに八つ当たりしていた。

それが、どういうわけか裁判で認められてしまったのだ。

妻のことを知っているはずもないのに、彼は「赤山氏の奥さんが罵倒されている最中、ご自宅の前を通ったことがある」「何度もそんな声を聞いたことがあるから間違いない」などと、ありもしないことを捏造したのだ。


なぜか、これがまかり通ってしまったのである。


裁判所で対峙した際、俺側の弁護士が突然真っ青になったことだけは、今でも覚えている。

人間の苦痛は、度を越えるとその部分の記憶が一部無くなることがあるそうだが、まさしく俺がそうだ。

裁判で何を言われたのか、詳しくは覚えていない。

最終的に、俺が妻への「モラハラ」を起こしたことになり、部下の証言も認められたことで妻が勝ち、俺は想定していた以上の慰謝料を請求されたことだけは覚えている。


その後、妻とその男が再婚したことは、離婚が成立した数年後に風の噂で知ることになった。

裁判沙汰よりもずっと前から不貞関係にあったようだ。

どうりで口裏を合わせたように奴らの話が一致してたわけだ。

妻が居酒屋で働いていることを彼にも話したことがあるから、おそらく俺の知らない間に居酒屋で交友関係を深めたのだろう。


しかし俺が今更騒いだとて、どうすることもできないし、諦めた。


その断片的な記憶しかないが、最近入社して来た松山君の口から"理詰めの松山"のワードを聞いた瞬間、私は青ざめ、凍り付いた。

妻側の弁護士が、その"理詰めの松山"だったからである。

とはいえ、松山君が言っていたように"元弁護士"なのだから、もう関係ないことだ。


・・・いや、待てよ?

昨日"理詰めの松山"はお客様として来店していた。

その息子である松山君は近所から通勤している・・・ということは。

今までは"ピンクエプロンの変わった趣味のお客様"、"どこかで見覚えのあるお客様"程度にしか認識していなかったあのお客様──"理詰めの松山"は、今後も店に買い物へ来るということだ!


離婚の詳細は誰にも言ってないし、松山君の父──"理詰めの松山"の存在も、誰にも言えるわけがない。


俺は従業員駐車場に停めてある車の中で、やり場のない虚しさを発散するため、ロックミュージックに乗せながらシャウトした。

休憩が終わった後、俺は作業場に戻る。


午後からは商品の減り具合を見て追加の揚げ物をしたり、夕方のタイムサービス用の揚げ物をしたり、使い終わったフライヤーの掃除と作業場の掃除、次の週の売り出し商品に向けた製造計画表作成、原価計算などを行う。

この仕事をやったことない人には分かりにくいだろうが、商品出しが終わっても意外と忙しいのだ。


午前の仕事しか知らない杉田のババアから「昼からどうせ暇なんでしょ?もっとたくさん仕込みができるはずなのに!」「手作りの煮物づくりはいつ再開するの?」なんて詰め寄られるが、午後だって忙しいんだよ。


そういった意味では、松山君の入社のタイミングは有難かった。

現在「はやり病」で欠勤中のフルタイム従業員の山口さんがいないため、フルタイムで仕事を回せるのは俺と釘本さん2人になっていたのだ。

松山君もフルタイム従業員として入社したことで、少し無理して出てきてもらっている釘本さんにも休みをあげられそうだし、そろそろ山口さんも職場復帰できるだろう。


俺、釘本さん、山口さん、松山君の4人がフルタイムで揃えば、シフトも作りやすくなりそうだし、手作りの煮物づくりも再開できるかもしれない。

ぶっちゃけ、杉田のババアは戦力外だから、居ても居ないようなものだ。

ご老人だから仕事が遅いのは仕方ないと分かってるけど、あれこれ口出しする彼女のせいで若手は皆辞めて行ったのだから、杉田こそ辞めて欲しいと内心思っている。


今の時代、リストラなんてできないから、杉田本人が決断しない限り無理な話だが・・・。


* * *


作業場に入る前にお惣菜コーナーの陳列商品を整理している時、違和感に気づく。

俺は急いで作業場に入る。


「お疲れさま~。松山君、戻って来てる?」

「お疲れさまです。はい、松山さん戻ってますよ。」


松山君は、眠いのかボーっとしている。


「赤山さん、お疲れさまです!僕と釘本さんは先ほど休憩から戻りました!」

「松山君。今日はポテトサラダがたくさん並んでるんだけど・・・リンゴ入りポテトサラダは作らなかったの?」

「はい。」

「は、はい、じゃなくて・・・なぜ作らなかったの?昨日、釘本さんに教えてもらってたよね?」


松山君は、特に悪びれた様子もない。

このポンコツ王子は、全く。


「昨日は釘本さんが僕に"覚えることが多いと大変かと思いますので、今日は私がポテトサラダ2種を作りますね"と言ったので、正確には"僕は大まかな流れは教えてもらったものの、実践は教えてもらっていない"状態です。つまり、僕はまだ"ポテトサラダのやり方を知らない"ということです。」

「?」


こいつは何を言っているんだ?

なんでいちいち「○○構文」みたいな話し方なんだよ。


「赤山さん、すみません。昨日松山君がマカロニサラダとスパゲッティーサラダを作っている間に、私がポテトサラダ2種を作成したので、リンゴの切り方などはまだ教えてません。」

「そ、そうか・・・なんかごめんな!う~ん・・・あんなにポテサラだけがたくさんあっても売れないかもしれないから、今日は"本日限りのお買い得"にしようか。ちょっとPOP作ってくるね!」


俺はPOPを作るため、事務所に戻る。


ちなみにこれは、スーパーで行われる「応急処置」だ。

何かの手違いで一つの商品を大量発注してしまったり、慣れていない新人が同じ商品をたくさん作ってしまったりと、時々ミスは起きる。

そんな「売り出しでもない商品」が大量に店頭に並んでいたとて、お客様が状況を察して購入してくれるわけではない。

このような時、一旦商品を引いてボウルに戻し、リンゴを切って混ぜ、パックし直し、ラベルを張り直す・・・なんてことは、時間がもったいない。

そんな時はあえて緊急的に「本日限りのお買い得!」と目を引くPOPを作り、普段より価格を若干下げて売ることで、「告知無しのいきなりお買い得セール」を想像させることでお客様にワクワク感を演出し、翌朝の商品廃棄になる可能性を減らす作戦だ。

夕方に値引きシールを貼っても良いが、俺としては早めに売りさばきたい気分だ。

大手スーパーもやっているかは知らないが、地元スーパーである「サンセット」はいろいろと融通を利かせやすいため、自由に売り場づくりができて良い。


* * *


「POPを作ってきたから、松山君は一旦ポテトサラダを"全部引いて来て"!それから"価格を108円"に変更したラベルを貼り替えて!」

「"全部引いて来れば"いいんですね!その後"価格を108円"に変更したものを貼ればいいんですね、分かりました!」


おや、先ほどとは違い、素直だ。

そうだ。

松山君は決して杉田のババアのように「なんで私がやらなきゃいけないの!」と反抗的ではなく、「分かりやすい指示でないと間違えるが、指示さえすればやってくれる」タイプなのだ。


俺は今「商品を全部回収する」、「価格を単価100gあたり108円に変更したラベルを貼り直す」という指示をしたので、おそらく大丈夫だろう。


俺がPOP作りに事務所へ戻った数分の間に、釘本さんは陳列コーナーが少なくなった揚げ物を追加で揚げ始めていた。


彼女は「村人A」みたいに特徴のない無機質な喋り方しかしないけど、仕事が滞らないよう「今空いてるポジション」に指示無しで入ってくれるので、大変有難い。

もう少し感情に起伏があっても良い気もするが、元妻のような高圧的な女性がトラウマなので、彼女のフラットな感情が実は安心感がある。

そういえば彼女は面接の際「離婚して子供もいないので、シフトはたくさん入れる」って言ってたっけ?

ということは、バツイチ同士、傷を舐め合って、ワンチャン・・・いや、いかんいかん!

妙な妄想なんてしている場合じゃないぞ!


気を取り直して、手が空いた俺は今のうちに来週の売り出し商品の製造計画表でも作ろうかな。


* * *


あれ?

お惣菜コーナーのポテトサラダを回収に出た松山君がなかなか戻って来ない。

作業場と店内はすぐそこなのに、そんなに時間がかかるだろうか?

気になった俺は、作業場から店内に出る。


「・・・!?松山君、何してんの!?」

「何って、ポテトサラダを"全部引いてる"んですよ!」

「!?」


松山君は、陳列コーナーに置いてある全てのポテトサラダを、地道に少しずつ"手前に引いて"いた。


「違うよ!!そうじゃなくて、"全部引いて"っていうのは、"作業場に回収して"って意味だよ!」

「え?赤山さん、"引く"という言葉には"手前に寄せる"という意味はあっても、"空間を変える"という意味はありませんよ。赤山さんの指示は、言葉の定義として不完全です。次は"回収して"とご指示願います。そうすれば僕も迷わず作業場に移動させますので。正しい日本語を使ってください!」

「!?!?」


そうだ。

松山君は「言葉の意味をそのまま受け取る」習性があるんだった!

しかし、ここで反論したとて、"理詰めの松山"の息子には敵わないだろう。

ちくしょう、理詰めの部分はしっかり父親に似てやがるっ・・・!!


「ご、ごめんな松山君!それじゃあ、全てのポテトサラダを一旦作業場に持って行って!それから、値段を"128円"ではなく"108円"に変更して、ラベルシール上部に"お買い得の文言を入れて"から、また陳列コーナーに並べてきて!」

「はい!分かりました!」


本当に分かっただろうか?

今、俺は丁寧に指示をしたから・・・おそらく大丈夫だろう。

俺は再び、製造計画表とにらめっこする。


ラベルを貼り終わったであろう松山君が、ポテトサラダをカートに乗せて表に出しに行った。

良かった、ちゃんと伝わっていたようだ。


ほどなくして、松山君が戻ってきたかと思うと、何やら黒のマーカーを持ってまた店内に向かう。

黒のマーカー・・・??

俺は嫌な予感がして、松山君のもとへ走った。


「ま、松山君!何してんの・・・!?」

「すみません、赤山さん、"ラベルシール上部にお買い得の文言を入れる"のを忘れちゃって!」

「!?!?」


松山君は、先ほど手にした黒のマーカーで、ラベルシール上部に"手書きでお買い得の文言を入れる"つもりのようだ。

・・・それよりも、ちょっと待てよ?


「松山君、ポテトサラダの値段が、"全て108円"になってるよ?!」

「はい。さっき赤山さんが"値段を108円に変更"してと言ったので、これらのポテトサラダは全て"値段を108円に変更"して、ラベルを貼りました!」


ちがーーーーーう!!!

この業界で"量り売り商品を108円にする"と言ったら、それは「定価」ではなく「単価」のことを言っているのだ。

「単価108円」というのは"100gあたり108円"という意味だ。

例えば、123g入りのポテトサラダは1.23×108円=132.84円という計算になる。

これらの解説を松山君に伝えるも、いまいちピンと来ていない顔をする。


このポンコツ王子がっ!!

一言一句、一寸の隙もなく100%の意味合いで教えないと、理解できないだと・・・?!


「あ、あのね松山君。ポテトサラダが"全パック100g入りだと思った"って言ったけど、パック担当は松山君自身でしょ?釘本さんにマカロニサラダやスパゲッティーサラダのやり方を教えてもらった時、"測りを使っていい"って言われてたから、何グラム入りなのか松山君が分かるんじゃない?」

「え?測らないといけないんでしたっけ。記憶にございませんでした!!」

「・・・ックカッ・・・ッコォァッ・・・。」

「赤山さん、どうしたんですか?」


・・・く・・・くそっ・・・。

「ハラスメント問題」に疎い時代だったら、俺はとっくにキレ散らかしているだろう。

しかし、友人であり同期の田中が、鮮魚チーフの役職をはく奪され、僻地へ異動させられた話が恐怖だし、俺の過去の「離婚問題」の恐怖もあるので、怒るに怒れない。

俺は、この怒りを、サウンドに変える・・・!!


「ボォォォォォォーーーーゥ!!」


俺はやり場のない怒りを、かつてのバンドボーカルらしく、デスボイスで発散した。

お惣菜コーナー近くを通りかかったお客様が、俺のデスボイスに魅了され、何度も振り返る。

俺はまだ、ボーカルの夢だけは諦めきれないでいた。

今宵もカラオケボックスに行って、歌うぞ!!

松山君の「ポテトサラダ事件」を終わらせた後の記憶が、なぜか無い。


俺はデスボイスを上げた後、作業場に戻って松山君と何かやり取りをした気がするが、内容を覚えていないのだ。

人間の苦痛は、度を越えるとその部分の記憶が一部無くなることがあるそうだが、まさしく今の俺がそうだ。

きっと俺は、"理詰めの松山"の息子、松山優に理詰めにされたのだろう。

理詰め自体が俺のトラウマだから、いつも記憶が飛んでしまうのだ。


事務所に戻るも、店長はリモート会議に参加していたため、俺はささっと事務処理を済ませて帰ることにした。


明日は・・・休みだーーー!!

新人の松山君も、まだ独り立ちできる技能を持ち合わせていないし、俺がいない間に杉田のババアとトラブルを起こされても困るので、彼も休みにしている。


よし!

俺はこれから行きつけのカラオケボックスに向かう。


今宵も、俺の怒りを、サウンドに変えるのだ!!

まずは喉を慣らすために、車を走らせながらシャウトでもしようか。

「アァァァーーーー!!」

人気歌手の曲に乗せ、俺は自分の美声に酔いしれる。


従業員駐車場から出るため、表通りの車の流れが止まるまで出入口で待っていると、俺の後ろに釘本さんの車が続くのをバックミラーで確認した。


釘本さん、離婚してから誰とも付き合ってないのかな?

俺は髪の毛を整えるふりをして、バックミラー越しに釘本さんを見つめる。


彼女は、仕事中眼鏡をかけないのに、仕事が終わると着用する人だ。

そのギャップの姿が妙に色っぽく感じる。

彼女は特に美人というわけでも可愛らしい顔立ちというわけでもないけど、なんとなく愁いを帯びていて気になる。

それに、とても40歳には見えない。

初見の人なら20代後半~30代前半と間違えるのではないだろうか。

おまけに最近の若い女の子みたいに「痩せこそが美!」という折れそうな身体でもなく、程よくムチッとしているところが、俺のようなおじさんにはドストライクだ。

俺もバツイチだし、何かのきっかけで、ワンチャン・・・いかん、また妄想が始まってしまった!

部下は部下なんだ、そんなことを考えてはいけない!

俺は妄想を頭から振り払うようにして、駐車場を出る。

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