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第二十九話 デトックス

俺は今まで何をして来たんだろう?

歩さんの"自分軸理論"を聞いて、俺は"普通じゃないことに憧れる意味"が無くなってしまった。


「その"普通"って奴は"世間と比べた天秤"でしかねぇんだよ!そんなことにいちいち振り回されて楽しいか?他人の評価で自分を決めるのが楽しいか?」」

「お前らはいつも"他人軸"で物事を考えてて、ちっとも幸せそうじゃねぇじゃん!」

「自分のために生きれば、少しは世界が広がるぞ!そういうのを受け入れない奴らには嫌われるけどな!がはは!」


自分のため。


そうか。

俺の心が満たされないのは、"剛とは違う特別な優に見られたい"という"他人の目を気にした価値観"だからか。

"いつも剛と優を比べてる"から、俺は心が貧しいということか。

結局は自分の首を自分で占めているのか。


ならば、比べずに生きるにはどうすれば良いのか?

それは、歩さんのように"自分軸"で生きるということだ。


なんだ・・・答えはすぐ近くにあったじゃないか。

俺は自分の視野が思いの外狭いことを、今自覚した。

なんか、疲れちゃったな。

俺は考えることが急にめんどくさくなった。


そう思っているとLINEの通知音が鳴った。

釘本さんからだ。

LINEを起動した直後、おなかがギュルギュルと音を立てる。

・・・いててて、おなか痛い!!

さっき食べて来た焼き肉が、もう下の方までやって来ている!

俺は急いで自室から一階に降り、トイレに駆け込んだ。

あ、約束忘れてた。


私は、松山にシュークリームを奢ることと病院に同行してもらうことを、突然思い出した。

知らない土地に行く前に済ませておいた方が、のんびり過ごせるかもな。

松山も火傷で仕事に行けない今なら、お互いスケジュール的にちょうど良いかもな。

これも勢いが大事だ。

私は松山に再びLINEを送ることにした。


「さっきは焼き肉旨かったな!余韻に浸ってるところ悪いんだけど、もし可能なら明日か明後日に病院に同行してもらえないだろうか?でも病院って予約制だよね。予約間に合わないよね。」


すぐに既読がついたのに、なかなか返信が来ない。

ちょうど風呂に入るつもりで、返信は後回しにしたのだろうか?

そう思ってしばらくネットサーフィンをしていると、返信が来た。


「かおりさん、お疲れさまです!急におなかが痛くなったので返信が遅れました!良いですよ、明日病院に行きましょう!さっき研修医時代の恩師に連絡してみたら、明日は患者さんの予約が少なくていつでも大丈夫みたいなので、コネで予約を入れてくれるそうです!使えるコネは使いましょう(笑)」

「そうか、分かった。ありがとな!明日の11時半とかでも良いかな?病院が済んだら、ついでにこの前約束したシュークリーム屋さんにでも行く?でも、焼き肉食べた次の日だから、おなかいっぱいかな?」

「分かりました、11時半ですね!また恩師に連絡しておきます!(ちなみに俺の家から病院までは電車で20分程度の距離です)シュークリーム、大丈夫ですよ!俺はさっきトイレで焼き肉のほとんどを排泄して来たので、全然いけます!それはもう、こんもりと!おかげさまで腸内スッキリです!かおりさんは出ましたか?糞詰まりは気分も落ちますから、難消化性デキストリンを補える特定保健用商品を口にしたら良いですよ!」

「さっき飯食ったばかりなのに、汚ったねぇ話だな!通院の件、助かります。じゃあ、明日の11時前に松山邸に行くからよろしくな!」


松山はどうやら胃下垂のようだ。

胃下垂の人は「食べても食べても身にならない」「すぐに便になって出てしまう」という悩みがあるらしいが、便秘になりやすい私からすると、その才能が心底羨ましい。

明日シュークリームを食べたら、ドラッグストアで特定保健用商品でも買うか。

それは良いとして、急遽明日病院に行くことが決定した。


* * *


数年ぶりのメンタルクリニックに、私は少し緊張する。

元々通っていた病院に再び通い出すなら、カルテが残っているだろうから問診も少なくて済むはずだ。

しかし、新たに別の病院通い出すとなると、過去のトラウマから家族関係など全て吐き出さねばならない。


「釘本さ~ん。第一診察室にどうぞ!」

「はい。」


私は松山とともに診察室に入る。


「松山君、久しぶりだね~。」

「戸田先生、お久しぶりです!昨日は夜遅くに連絡してしまい、申し訳ありません!こちらは俺の職場の先輩、釘本さんです!」

「はい、釘本さんね。よろしくお願いします。松山君に休職の経緯は聞いたよ。話したくないかもしれないけど、まずは生い立ちからのお話を細かく聞いていくから、よろしくね。」

「はい、よろしくお願いします。」


私は再び"トラウマ"を掘り返さねばならない。

私は家族構成や略歴など主治医からの質問に答えた後、過去を回想する。


* * *


なんだ、女の子か。


初めて聞いたのは、そんな言葉だったっけ。

生まれてから聞いた言葉というより、暗闇の中でそう聞こえたような気がした。

もしかしたら、私がまだ胎児だった頃に母親がそう口にしていたのかもしれない。

私は幼少期から実家を出るまでに、母親から言われた言葉を、思い出せる限り主治医に包み隠さず伝える。


うちの娘は挨拶ができないんです。

うちの娘は人見知りで友達もいなくて困ったものです。

うちの娘は私がいないと何にもできないんです!

うちの娘は幼稚園児なのに〇〇kgもあるんですよ!恥ずかしいったらありゃあしない!

あんたはもっと女の子らしくしなさい。

青や緑は男の子の色だから、女の子がその色を使ってたら変だよ。

あんたはピンクが良いに決まってる。

娘はお母さんの分身だから、私の言うことに黙って従っていれば良いの!

女の子はすぐ母親の言うことを聞かなくなる!

女の子は自分の意志を持つから嫌い!

お父さんに言われたとおりにしないと私が怒られるから、ちゃんとして!

あんたが言うことを聞かないせいでお母さんが怒られるの!

私がお父さんに怒られる原因を作るな!

私、本当は子供が嫌いだもん!結婚はしたかったけど、あんたみたいな子供は欲しくなかった!

せめて男の子だったら良かったのに!


私が白石と仲良くしてた時、彼女の発言にやたら虫酸が走っていたのは、うちの母親を連想させたからだ。

そして母親の言葉は、弟ができるとさらにエスカレートした。


やった!男の子ができた!

男の子ってやっぱり可愛い!女の子は生意気だからムカつく!娘のくせに!

弟は本当に可愛い!あんたは可愛くない!

女の子が料理を手伝おうとしても邪魔なだけ!あっちに行って!

女の子はどうせ嫁いで出て行くだけだから、習い事なんかさせても無駄!

弟は長男だから特別なの!家を継ぐために習い事も必要なのよ!

あんたにできるわけないじゃん!

ほら、だからあんたじゃ無理って言ったでしょ!

よそはよそ、うちはうち!他の子が旅行に行ったからって、うちは関係ないのよ!

あんたが幼稚園児の時に連れて行ってあげた旅行、どんな所だったか忘れたって言ってたでしょ?

小さいうちに旅行に行っても、子供はすぐに忘れるから意味がないの!

だから旅行は無駄な行為なのよ!もっと別のところでお金使わせてよ!

あの子はいつも成績が良いんだから、あんたも見習いなさい!

家柄の良い子とだけ付き合いなさい!

あの子のおうちは貧乏だから、あの子と遊ぶのはやめなさい!貧乏神がうつる!

あの子のお母さんはいつもみすぼらしい!私はあんな母親にはなりたくない!

お隣の奥さん、天然であんなに鼻が高いわけない!絶対整形に決まってる!

あの人は良い年したおばさんのくせに、女を出して気持ち悪い!


母親はやたらと"女性"というものに敏感に反応していた。

自分も女性のはずなのに、やたらと「これだから女の子は」とか「〇〇のくせに」という言葉で私に"呪い"をかける。

また、その時の都合によって「よそはよそ、うちはうち」と「周りを見習え」を良いように操り、まるで説得力が無い。

それに子供が小さいうちに旅行に行って、その思い出を忘れるのは、子供だけが悪いのではなく、義務的に仕方なく"連れて行ってあげてる感"を出していたあなたたちも悪いんじゃないの?

私って、母親に可愛がられたことあったっけ?

実家に私の"居場所"ってあったっけ?

母親にとっては可愛がりでも、私にとっては過干渉でしかないこともたくさんあった。

私が高校に進学したり社会人になったりしても、何一つ良い思い出が浮かばない。

もしかしたら楽しい思い出もあったのかもしれないが、それを帳消しにするほど嫌な言動ばかり浴びせられていたため、私の中には憎しみしか残っていない。


なんでギャル雑誌なんか買ったの?あんな恰好、私は良いと思わないけど。

化粧に興味なんか持って色気づいちゃって、このませガキ!

いい加減、髪の毛切ったら?あんたは芋娘だからロングヘアは似合わないよ。

ロングヘアでおでこを出した女は自信満々な感じがして嫌い。

髪を伸ばしたところで可愛くなれないんだから、もうショートヘアにしなさい!

私が切ってあげるから、こっちに来なさい!

あんたが共学高校に進学したら男遊びばかりしそうだから、女子高にしなさい。

中高生で男と付き合う女はろくでもない阿婆擦れだから、学生のうちは誰とも交際しちゃダメ!

男は破廉恥なことばかり考えてる生き物だから、危ないから絶対に近づいちゃダメ!

まあ、どうせあんたは生意気で可愛くないからモテないだろうけど!

その洋服、どこの店で買って来たの?値段はいくらだったの?

あの安物店の商品で、〇〇〇〇円?みすぼらしい~!見てるだけで恥ずかしい~!

そんなセンスの無い洋服を買って、どうするつもりなの?

私は高い洋服しか着ないから、そんなもの恥ずかしくて着られない!

私はあんたと違ってセンスがあるから、私が買って来た洋服を着てなさい!

うちはお金に余裕があるから、バイトしなくても学費は私たちが払っておいてあげる。

文房具が必要なら言いなさい、私があんたのために買って来てあげるから。

私が買ってあげるって言ったでしょ?なんで勝手にお小遣いを使ったの?

そんな安物の文房具、よく恥ずかし気もなく使えるよね!

やっぱりあんたって趣味が悪い!

私はいつもあんたのことを思ってお金を使ってあげてるんだから、感謝しなさいよ!

あんたからは感謝の気持ちが伝わらない!この親不孝者が!


母親からの「洗脳」で、私は恋愛というものに良いイメージを持ってはいけないと思っていた。

なんで母親という生き物は、娘を下に見て、何が何でも服従させようとするんだろう?

うちが異常過ぎただけで、他の家庭はそんなこと無かったのかな?

まず、「お金を使ってあげてる」って何だよ。

それが当たり前だろ。

それにそのお金はあなたが稼いだものではなく、父親の収入だろ。

自分の手柄みたいな顔してんじゃねぇよ、寄生虫が。

子供を持つ親は、子供を育て上げるのが義務です。

その費用に見返りを求めるべきではないと、私は思います。

感謝や恩返しをしたいと思える健全な親だったら、もうとっくにしてるはずです。

つまり、そういうことですよ。


どうせあんたは長続きしないんだから、部活はしなくて良い!真面目に勉強だけ頑張ってなさい!

誰と遊んで来るの?その子はどんな子?変な子じゃないよね?何時に帰って来るの?

女の子は危ないんだから、すぐに帰って来なさい!遅くても18時までにね!

友達と遊びに行くのになんで化粧をするの?ダメよ!破廉恥な男が寄って来るじゃん!

そんなに厚化粧して!娼婦みたいではしたない!女を出すな!

あんたは地味な女だから化粧なんか似合わない!落として来なさい!

今日は料理したくないな~、今日の夕飯も惣菜で良い?

あんたは台所に立たなくて良い!ここは私の場所なの!

あんたが火を扱ったら火事になる!


厚化粧でもないのに、ほんの少し瞼に色味を乗せただけで母親は騒いでいた。

それに母親は料理が下手で、そもそも料理をしたがらないのに、いざ自立のために私が台所に立とうとすると拒絶する。

そのくせ近所の人に「娘は料理を手伝おうともしないんです!」なんて言いふらして情報を捏造する。


あんたの洋服とアクセサリーは捨てたよ!

だってあんたの買って来た服ってダサいし、部屋が片付かないもん!

あんたの部屋のクローゼットは私と兼用ね!

あんたは私が買って来た服だけ来てれば良いの!

母の日のプレゼント、花とクッキー?もっと良い物くれると思ったのに、なんかがっかり。

私はピンクのカーネーションが良かったのに、赤か~。

あんたって本当に私の好みを分かってないね。

弟は私のことを分かってプレゼントくれたよ~?

次はどんな物が良いかって?そんなもん自分で考えろ!

ちょっと待って、父の日のプレゼントの方がお金が掛かってる!

私には花とクッキーしか買って来なかったのに、いじわる!不公平!

どうせお父さんに好かれようと媚び売ってるんでしょ!これだから女の子は嫌なの!

でも、お父さんはこんな物じゃ喜ばないよ~!私だったらもっと良い物を買って来るのにな~!

私だってお父さんにプレゼントをあげるんだから、あんたは出しゃばるな!

これは私も一緒に買ってあげたってことにするから、あんたは下がってろ!


部屋の片づけを一番できないのは母親なのに、母親は私の物ばかり勝手に処分した。

父の日と母の日は、プレゼントを買おうが買うまいが母親に難癖を付けられるため、私は母と父にプレゼントを買うことをやめた。

私はそれ以降、毎年理由をつけては当日友達の家に避難し、その場をしのいだ。

家に帰るとそれ相当の報復的暴言を吐かれたが、何とか耐えた。

それから母親は、私が社会人になった時もいちいち評論家ぶって口出しして来た。

母親こそ大した人間でも無く、父親の収入に寄生してるだけなのに。

母親こそ酷いファッションセンスで目も当てられないのに。


そんな中小企業より、こっちの大手外資系の求人を受けた方が良いよ。

こっちの方が世間体が良いじゃん。

あんたじゃ心配だから、私も面接について行ってあげる!

あんたは外面が良いから、OLになって周りに媚び売るのが向いてる。

家にいる時は私に歯向かって生意気だけど。

あんたがどんな風に働いてるか気になるから、会社まで来ちゃった!

OLは外見が大事だから、私があんたのために洋服を買って来てあげる。

あんたの買って来た洋服は地味で面白みが無いから華やかさに欠ける。

私はいつもファッションチェックの番組を観てるから、あんたよりおしゃれに詳しいの。

この洋服、高かったのよ!あんたのために買って来てあげたんだから着なさいよ!

あんたが急にスカートなんか履き始めて、どういう風の吹き回し?・・・まさか男でも出来たわけ!?

あんたみたいな地味で生意気な女のことを好きになる男なんて、居るはず無いのに!

結婚前に男と交遊するなんて、この阿婆擦れ!尻軽女!別れれば良いのに!

私よりもダイエットが上手く行っててムカつく!太れ!失敗しろ!

あんたのダイエットが順調に行くのは許せない!デブ!ブス!

最近、栄養失調じゃない?お昼は買うよりお弁当の方が良いよ!明日から私が準備してあげる♪

あんたの頬がこけて可哀想だから、お弁当は栄養満点の揚げ物をたくさん入れてあげる♪

あんたがダイエットに失敗して苦しんでる姿を見るのって、楽しい~♪


客観的に見ても主観で見ても、母親の方がデブでブスなんだけどな。

私が順風に帆を上げようとしたら、母親は足を引っ張って来た。

私が少しでも母親の「洗脳」から免れようと努力をすれば、罵られ、貶され、阻害された。


* * *


毒親の遺伝子は連鎖する危険性が高い。

母親の母親・・・つまり母方の祖母も毒親気質だ。

私が小さかった頃、祖母の家に遊びに行ってはよく「デブの方の孫」とか「ブスの娘の子供もやっぱり不細工」など罵られていたことを思い出す。

私が学生の頃、母親は「私は絶対に母(祖母)みたいな親にはなりたくない!」なんて格好つけて豪語してたのに、気づけば聞いていた祖母の話よりももっと酷い仕打ちを私に与える始末だ。

母方の女系が、そもそも子供を持ってはいけないタイプの遺伝子なんだろうな。


母方の醜い連鎖を止めるために、私も子供を持たない人生を選んだ。

後に出会った、子供を持たないことを理解してくれた元夫との生活も、母親の執拗なストーカーまがいの行為により壊されてしまった。


私はいつも弟と比べられ、母親に精神攻撃されていたため、実家暮らしの頃は弟に劣等感の気持ちでいっぱいだった。

それでも一応は血の繋がった姉弟なので、今でもたまにメールで連絡を取りはする。

もちろん、何かの拍子に住所を特定されかねない事柄は、完全に伏せた内容しか送らない。

母親の"ご寵愛"により、弟のメールも監視されている可能性があるからだ。


弟もあまり友達が居らず、今も実家暮らしの独身アルバイト生活を続けているそうだが、母親に「大切な長男様」として"ご寵愛"を受けているので、今のところ生活に不自由は無いようだ。

私は両親とは絶縁するように家を出たため、両親が居なくなるまでは弟に会いに行くつもりも無い。

姉の私が言うもの何だが、もしかしたら弟はずっと独身のまま生涯を終えるかもしれない。

LINEマンガやラノベに出てくるような、よほど献身的で物好きな女性が居ない限り、望み薄だろう。

姉弟共にこんな状態のため、野口家の代はおそらく私たちで終わる。

父よ、母よ、あなたたちの教育のおかげで、私たちはこんな人間に成れ果てました!残念でした!


こういった出来事の末、私の価値観は歪みまくった。

次第に目が虚ろになり、生きてるはずなのに自分の中に心が無いような空虚を彷徨っていた。

世間とズレた欠陥人間に成長した私は、周りとのコミュニケーションも上手く取れず、ずっと孤独だった。


そうやって目的もなくただ生きていた中で、たまたまサンセットで松山や歩ネキのような、奇特だけど信頼できる不思議な二人に出会い、現在に至る。

こんな話は精神科でしかできないだろう。

過去の記憶を全て吐き出し、私は鼻水、よだれ、涙まみれの、目も当てられない姿を晒す。

主治医の戸田先生は、メモを取りながら真剣に聞いてくれた。


「それだけたくさん・・・今までよく耐えて頑張って来ましたね。こんな思いを一人で抱えて来たなんて、とても辛かったと思いますよ。」

(んぶぇえええええっっ!!!)


男梅のように全力で顔に皺を寄せ、私は声にならない嗚咽を上げる。

泣きっ面に戸田先生。

過去の記憶を掘り返した痛い傷口に、戸田先生の優しい消毒液がかかり、良い意味で私はオーバーキルされてしまう。


「過去のトラウマを口にすることは勇気のいることですが、実はそれがデトックスになることもあるんですよ。もっと吐き出したいことがあれば、聞きますよ。おやおや、松山君まで泣いちゃって・・・。」

「!?」


なんということでしょう!

私が話している時にやけに静かだと思えば、松山も後ろの椅子で泣いているではありませんか!

もらい泣き?いや、もらい泣きにしては顔がくしゃくしゃになり過ぎだ。

もしかして・・・あの"剛"とやらに関与しているのだろうか?


「松山君。君もお兄さんを亡くした時、相当辛かったんでしょう?どうです?この際君も吐き出しますか?」

「・・・。」


やっぱり・・・。

あの幻のような夢に出てきた"剛"は、やはり松山の亡くなった兄で間違いなかったことを確信した。


松山は、今にも地面につきそうな伸びの良い鼻水を器用にティッシュで回収した後、口を開く。


「・・・おなかが。」

「え?」「ん?」

「おなかが・・・痛い。火傷も痛い!も、漏れそう!!」

「えぇ!?」

「松山君!?トイレに行って来なさい!」


松山は両手で尻を押さえながら、一人牛歩のような歩幅でゆっくりと診察室を出て行く。


「と、戸田先生。実は昨日、もう一人の友人と三人で焼き肉食べ放題に行って来たんです。そのせいかもしれません。」

「あ~、だろうと思いました。彼は研修医時代からそうなんですよ。顔立ちが可愛らしいからとベテラン看護師たちに気に入られてね、よくおやつを貰ってて、お昼休憩に一気食いして、いつもトイレに駆け込んでいたからね。彼は賢いけど、相変わらずどこか子供っぽくて変わった子です。そこがまた年上に可愛がられるんでしょうね。」

「は、はぁ・・・。」


そうなんだ。

さっきの涙は、別に私の話に同情したわけでもなく、松山がトラウマを思い出したわけでもなく、単純におなかの痛みと火傷の痛みに悶え苦しんでただけか。

私が話していたから、席を立つタイミングが無かったのだろう。

便座まで間に合ったのだろうか?御愁傷様です。


私もさっきまで泣いてたのに、松山の間抜けな姿を見て、何だか力が抜けてしまった。

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