第二十五話 自己喪失
俺は釘本さんの家を去る。
あ~あ、言っちゃった。
せっかく隠していた、精神科医という「俺の本当の顔」を、釘本さんに明かしてしまった。
つまり、今までの姿は「偽物」だとバラしてしまったのだ。
精神的に追い詰められている釘本さんに追い打ちをかけてなければいいが・・・。
自宅の敷地に足を踏み入れるなり、LINEの通知音がした。
釘本さんからだった。
いくら自宅の敷地内でも歩きスマホは俺のスタイルではないので、玄関の椅子に腰かけてから返信する。
「松山、エクレアありがと。ゴチになりました。元気になったらお礼にシュークリーム買って行くから、その時また連絡する~。」
「どういたしまして!それじゃあ、駅前のシュークリーム屋さんにあるパイシュークリームをリクエストします!せっかくだから一緒に買いに行きませんか?」
「リクエスト式かよ!ドラッグストアで売ってるやつを買うつもりだったのに!まあ、私もあのお店気になってたし、一人で並ぶ勇気が無かったからちょうど良いかも。ついでにその日、病院に行こうかな?松山、同行してもらえるんだよね?病院同行のお礼も兼ねて、奢りまっせ。」
よし!釘本さんが外出したいと思える理由付けができた。
家に籠ってゆっくり休むことも大事だが、「守られ過ぎた環境」になれてしまうと、外出自体が怖くなる場合もあるらしい。
頭ごなしに「リフレッシュに外出でもしなさい!」と言うより、本人が出かけたいと思う理由を提示することで動いてくれるなら、まだ希望はある。
「はい!同行します!俺も研修医時代の病院にアポを取るので、元気になったら連絡ください!」
「り!」
「り?」
「"了解"って意味だよ。松山の方が若者言葉詳しいんじゃないの?」
「俺は基本的に標準語しか使わないので、若者言葉はよく分かりません。バズるとかチルいとか、もう意味不明です。」
「なんかごめん!中年が若者言葉を使ってみると、イタいことが今この瞬間分かりました。もう二度と使いません!」
「謝る必要は無いですよ!いつまでも過去に執着して"私の時代はこうだった"と言い張る中年や高齢者より理解がある人だなって印象を受けましたから!」
「そうか。松山ってポジティブに変換できて立派だな。じゃ、今日は休むよ。テーブルに置いててくれた食べ物でしばらくは籠城します。」
「はい、分かりました!おやすみなさい!」
俺は玄関の椅子から立ち上がる。
釘本さんも病院に行く気はあるようなので、少し安心した。
俺は自室に戻り、パソコンを起動した。
この県で初めて出店されたばかりのシュークリーム屋さん、気になってたんだよな。
ホームページを開いてみると、種類は少ないながらも魅力的なラインナップだ。
パイシュークリームも気になるし、クッキーシューも食べてみたい。
はたまた期間限定品も良いなぁ~。
俺は釘本さんにどのシュークリームを奢ってもらうか吟味した。
金曜日。
今日のシフトは早川店長が休みで、杉田さん、前野さん、白石さん、俺は出勤だ。
今日も再びワンオペで午後を乗り切らなくてはならない。
昨日は「一日」にだけ焦点を当てて考えたから案外やれると感じたが、これが「一週間」や「一か月」と長期的に考えると、正直疲労が溜まって心が折れ始めるかもしれない。
しかし、考えてもどうにもならないなら考えないことだ。
俺は身支度をして職場に向かう。
7時出勤の場合、まずは以下の作業がある。
・フライヤー、スチームコンベクション(略:スチコン)、ラベラーなどの立ち上げ
・前日、ライスロボに炊き上げ予約をしておいた出来立てのご飯を、釜から業務用の炊飯器に移す
・空いた釜とご飯用ネットを洗う
・次のご飯の炊き上げのためにそれらをセットし直す
・スチコンの予熱が完了したら設定の簡単なものから加熱を始める
このようにして、細々とした作業に手を取られる。
そのため、他の人より1時間早く出勤したとしても、揚げ物をたくさん準備できるかと言われたらそうでもない(俺が慣れていないせいもあるが)。
揚げ物はフライヤーに入れる時間が5分や10分など決まっているので、その間は次の揚げ物ができない。
もし揚げ物のタイマーが鳴った時、タイミング悪く同時にスチコンのタイマーまで鳴ると、まずはスチコンの扉を開け、熱を逃がす。
扉を開けたら急いで揚げ物を油切りに移動させる。
それが終わったらスチコンの中の商品を取り出し、次の商品の予熱を開始する。
そして急いでフライヤーに戻り、次の揚げ物を投入しないといけない。
揚げ物の仕事は、素人目から見ると「ただフライヤーに入れて時間が来たら油切りをするだけの簡単な仕事」にしか見えないかもしれないが、いざやってみるとなかなか頭を使う。
「次に入れる食材をスタンバイしつつ、弁当とパックの人の手が空かないようにバランス良く手順を考えて揚げつつ、揚げ物をしている間に天ぷら液を作ったり冷凍室から食材を持ってきたり」など、先の先まで考える必要がある。
俺は正直、赤山の姿を見て「簡単そう」としか思っていなかったが、実際にこの場に立つと、その大変さが身に染みる。
あいつのやったことは許されないが、仕事面に関しては尊敬できる人だったと痛感した。
俺がポンコツのふりをしたことで、赤山にストレスを与え続けた結果、今回の事件に繋がってたのならどうしよう。
もし俺のせいなら・・・。
考え込んでいると、今日も30分早く杉田さんが出勤した。
「松山君!おはよう!昨日店長に許可をもらって、私もしばらくはお昼も仕事できるようになったわ!」
「杉田さん、おはようございます!ありがとうございます!」
「と言っても14時半までしか残らないから、そこはご了承ね!」
「いえいえ!とても有難いです!頑張りましょう!」
72歳の杉田さんが、俺のワンオペを心配して6時間も働いてくれることになった。
最初の頃はあんなに冷たかったのに、今では実のおばあちゃんのように親切だ。
きっと「敵に回すと面倒くさいが身内(味方)には情けをかける」タイプなんだろう。
その後、前野さんと白石さんもやって来た。
前野さんは「フレネミー攻撃」が俺には効かないと悟り、今日はよそよそしい態度だ。
それに伴い、前野さんの新腰巾着・白石さんは挨拶も無しに作業に入り始めた。
杉田さんと前野さん、また杉田さんと白石さんは現在冷戦状態だ。
杉田さんが老化を認めて丸くなったことで、衝突も起きにくくなったという方が正しいかもしれない。
まあ、俺にはどうでも良いことだ。
* * *
12時。
昨日と同じように、前野さんと白石さんは「さあ、私たちは帰ろっかー!」「はぁ~い!私たちの仕事は終わりましたからねぇ~!」などとわざとらしく大声で嫌味を言いながら出て行く。
そんなことで優越感に浸れるなんて面白いな。
自分より努力家でスペックの高い相手には歯が立たないから、自分と同等もしくは劣性の人間の足を引っ張ることしかできないのだろう。
裏を返せば「自分は低能な人間です!」とアピールしているようなものだから、大変滑稽だ。
俺は気にしないから、それで彼女たちの承認欲求を満たせるなら、いくらでもバカにしてもらって構わない。
でも、死んだ兄さんや釘本さんのように優しくて気にするタイプの人をターゲットにして貶めるなら、俺は許さない。
しかし、もし俺が原因で赤山を苦しめてたなら、俺も許されないだろう・・・。
「松山君!12時よ!私は後から休憩に行くから、先に行ってきなさい!」
「いえ、杉田さんから休憩に行かれてください!俺は13時までに発注を済ませないといけないので!」
「あら、悪いわね!じゃあ、休憩に行ってくるわ!」
「はい!行ってらっしゃい!」
杉田さんは生き生きとした様子で休憩に向かった。
「この年齢でも誰かの役に立ててる」という事実が彼女には嬉しいのかもしれない。
俺は包材と食材の発注書をFAXで送るため、事務所に向かう。
社会はペーパーレス化が進んでいるのに、サンセットは未だに紙媒体で発注をしていて少し面倒だが、デジタルであふれた世の中はとても無機質なので、人間らしい作業ができるのも逆に楽しいかもしれない。
「お疲れさまです!」
「あら~松山君~!
「お疲れさまでーす!」
事務所に入ると、青果部門のマダムとフロア担当の若い女性がパソコンをいじっていた。
「今、コピー機を使っても大丈夫ですか?」
「良いですよ!」
「あら、松山君はもう発注ができるようになったんだ~!」
「はい!赤山・・・さんは居なくなったし、釘本さんもお休みなので、他にできる人が居ないんですよ。」
「そ、そうだったね~・・・。」
「あ・・・なんかごめんなさい!」
触れてはいけない話題だと感じたようで、彼女たちは急にテンションが下がった。
俺が難なくコピー機を捜査していると、青果部門のマダムが驚いたようにこちらを見た。
「え?松山君ってメカニックに強いんだ!」
「強いというか、学生時代によく使ってましたし、日常的にも使用してるので慣れているというか。」
「そうなんだ~!な~んだ、松山君って案外"普通"なんだね~!」
「え?」
「そうですねー!もう少しドジっ子というか、少年みたいな可愛らしい子だと思ってたけど、"そこらに居る人"と大して変わりないですねー!」
普通。
そこらにいる人。
大して変わりない。
それはつまり、どこにでもいる人、印象に残らない人、目立たない人、つまらない人を指す。
「剛の弟にはかなわない」
「剛の弟は手がかからないから助かる」
「剛は弟や父親みたいになれなかったんだね」
「剛の弟は"普通"だよね」
剛、剛、剛。
親族は皆、兄さんのことしか見ていない。
俺は、兄さんの比較対象。
俺は所詮、兄さんの付属品。
"普通"ってそんなに良いことなのか?
兄さんが死んでからも、親族の対応は変わらなかった。
「剛のことは残念だったな」
「剛のために頑張って生きるのよ」
「剛の遺志をムダにするなよ」
俺の存在意義って何だろう?
剛のために生きろだって?
兄さんを亡くした"優"の心配は、誰もしてくれないのか?
俺は俺自身のために生きることも許されないのか?
「松山君!?」
「え?」
「わー!それFAXじゃなくてコピーですよー!キャンセルして!」
考え事をしながらコピー機を操作していたら、どうやら間違えたようだ。
FAXの送信先番号の下四桁「0120」を押した後、なぜかリセットボタンを押したようで、その後コピー部数に「0120」を入力、つまり「120部」と入力した状態でスタートを押してしまったようだ。
コピーが十数枚出てきたところで二人が気づき、慌てて止めてくれた。
「すみません・・・。考え事をしてたら間違えました。」
「大丈夫よ~!私も同じようなことしたから!」
「間違ってコピーした紙はメモ紙にするので、大丈夫ですよー!今日は店長も居ないし(笑)私が"そこらに居る人と大して変わりない"って言ったから、嫌な気持ちにさせたかも!ごめんなさい!」
「・・・いえ。」
俺は改めてFAXを送信し、作業場に戻った。
* * *
お惣菜コーナーを通り過ぎようとすると、見覚えのある女性が買い物をしていた。
「歩さん!いらっしゃいませ!」
「おお!松山じゃねぇか!どうだ!?儲かってるのか!?」
「ぼちぼち・・・ですかね。俺は売上管理まで携わってないので知りません。」
「そうか。っていうか、お前自分のこと"俺"って呼び始めたんだな。まあ、どうでもいいがよぉ!それよりかおりさんに聞いたぞ!赤山のクソ野郎、かおりさんに迫ったんだと!?」
「ああ、歩さんも釘本さんと一緒に働いてましたもんね。そうなんです。一昨日、赤山が釘本さんに壁ドンしてるところを俺が発見したんですよ。あれはマジで気持ち悪かったです!」
「あいつ、前からかおりさんのことをじっとり見てたもんな!気持ちわりぃったらありゃしねぇ!昨日の夜、かおりさんからLINEでいろいろ聞いたぞ!しばらく休職するんだってなぁ!?」
「もうそこまで知ってるんですね。はい、しばらくは俺が午後の仕事をワンオペでやる予定でした。でも今日から杉田さんが、しばらくは14時半まで働いてくれることになったんです!」
「す、杉田ぁぁ!?あのババア、何考えてやがるんだ!?」
歩さんは杉田さんと大乱闘(口喧嘩)した後、そのままフェードアウトするように退職してしまった。
彼女は「過去の杉田さん」の姿しか知らないため、「今の杉田さん」を見たらびっくりするだろう。
でも、今なら二人は和解できるかもしれない。
俺は「今の杉田さん」になった事の経緯をざっくり歩さんに説明した。
「な、なんだと・・・!?あのババアが、老いを認めて、丸くなりやがっただって!?」
「そうなんですよ。俺は入社したての頃いびられてましたが、今では孫のように可愛がられてます。」
「そ、そうか・・・(それって死ぬ前兆じゃねぇよな?)。そうなら、あたしもケジメ付けねぇとな!」
「ケジメ?」
「ああ!恨まれたままババアに死なれても困るだろ!今までの言動を、まずは土下座させてもらう!ババアが意地を張って突き飛ばすなら仕方ねぇ!それでも若造のあたしが首を垂れるのが道理ってもんだ!それで過去を"清算"するしかねぇ!」
「そうですか!歩さんは勇気がありますね!今なら作業場にいらっしゃいますよ!俺はしばらくお惣菜コーナーの商品整理をしてますから、二人きりでどうぞ!」
「ああ!ありがてぇ!」
歩さんは取り立てでもするかのような勢いで作業場に向かった。
また大乱闘が起きなければ良いが、おそらく大丈夫だろう。
歩さんは格好良いな。
大抵の人が"普通"であるべきだと思う中、彼女は自分のアイデンティティに自信を持って生きている。
周りから見るとその"奇特な姿"は、本人にとっては"普通"でしかないんだろうな。
ん?あれ?
"普通"って何だっけ?
"普通じゃない"って何だっけ?
俺の目指している"特別な姿"とは?
俺は"普通"に悩み、"特別な姿"の兄さんにコンプレックスを持って生きてきたが、目の前で歩さんの"普通じゃない姿を普通だと思って生きてる姿"を見たことにより、ゲシュタルトが崩壊してしまった。
俺は、何がしたいんだ・・・?




