第二十三話 サイコーシス
今日はひどく疲れた。
白石さんがフルタイムになるのはシフトを作りやすくなるから有難いけど、あんなに迫られたらたまったもんじゃない!
俺はストレス発散のために、最近ハマっている、スマホの美女恋愛ゲームアプリを起動する。
この子たちだけが、俺の疲れを癒してくれるんだ。
こんな子たちが現実に居てくれたらどんなに良いか。
全恋愛コンプリートを目指し、まずは一番好みのキャラクターに狙いを定め、ストーリーを進めている。
この子、釘本さんにどことなく似てるんだよな~。
このスマホアプリさえあれば、俺は釘本さんと疑似恋愛をしている気分になれて、気持ちが良い。
明日も仕事だから寝たいところだが、ゲームが止められない。
釘本さんと松山君が時折アイコンタクトで連係プレイをするところが、俺の嫉妬心を駆り立てる。
くそ、くそ、くそ!!
釘本さんのことを一番好きなのは、俺なんだ!
釘本さんのことを一番見ているのも、俺なんだ!
あいつには絶対に渡さない!
あ。
明後日は俺が病院に行くためにシフトを変更したんだ。
ということは、明日は松山がいない。
白石さんのフルタイムは、来月からだ。
ということは、午後から釘本さんと・・・二人きり。
午後から二人きりで、バツイチ同士、ワンチャン・・・。
俺は妄想を止めることができず、ゲームアプリの美女を釘本さんに置き換えて楽しむことにした。
一日ぐらい睡眠不足でも大丈夫だろう。
今日は「罰ゲーム」二日目だ。
朝からご飯をしっかり食べるなんて、こんなに大変なのか。
松山は「お昼まで空腹が持たない!」と、毎朝ご飯をお茶碗三杯分食べて来ているそうだが、今まで朝ごはんというものを食べたことがない私には一杯でもキツイ。
でも、証拠の写真を撮影して松山に送信しなければならないため、頑張って食べる。
今日のシフトは松山が急遽休みになったんだっけか。
松山が入社してもうすぐ二週間目を迎えるが、赤山さんと二人で午後の仕事をやるのは久しぶりだ。
そういえば、昨日白石は赤山さんにシフトの相談があると言っていた。
この前は離婚が云々と言っていたため、おそらく勤務時間を延ばしたいという相談だろうな。
ということは、近々白石もフルタイムになる可能性がデカい。
嫌だーーー!!
時短勤務でさえなかなか鬱陶しいのに、それが一日中続くとなると、私の精神力が持たなくなりそうで心配だ。
何事もなければいいのだが。
そう願いながら、私は職場に向かい始める。
* * *
「おはようございます。」
「釘本さん・・・おはよう。」
「おはよー。」
「・・・。」
今日は松山と杉田さんが休みのため、皆挨拶に活気が無い。
白石は私よりも早く出勤していた。
もう絵美ちゃんを学校に連れて行くことも無くなったから、まあ驚かない。
前野は白石と仲が良いのか悪いのかよく分からないけど、今日は「仲良しモード」のようだ。
いや、仲良しというよりは「フレネミーとして白石からネタを探っている」ようにしか見えない。
いつもの赤山さんはもう少し元気なのに、今日はクマ目で顔が青白い。
それに何やら目がうつろである。
おいおい、大丈夫かよ。
「ねーねー白石さーん。あれから大丈夫ー?もうお子さんとも会えないんでしょー?」
「そうなんです・・・私はこんなに頑張ってるのにっ!誰も私を認めてくれないんですっ!」
「そっかそっかー。大変だよねー。でも私でよければ何でも話は聞くから、いつでも教えてー!」
「はいっ!ありがとうございますっ!!」
白石はまんまと前野の「ネタ探し」の罠に引っかかってしまったようだ。
彼女は一見親身になって話を聞いてくれる気立ての良いおばちゃんのようだが、それは表面だけで、バックヤードではいつでも誰彼構わず噂話を披露している。
あからさまに背中を向ける人の方がマシに見えるまである。
話を聞いてほしい白石、話を聞いてネタを集めたい前野。
利害関係が一致した二人は、これから表面上仲良くしていくのだろう。
あー怖い怖い。
* * *
午前の仕事も終わり、休憩から戻った私は作業場に入る。
フルタイム二人体制の時、どちらかが先に休憩に行ったら後の人は入れ替わりで休憩に向かうはずなのだが、なぜか赤山さんはこちらをチラチラ見ながら休憩に行こうとしない。
作業場内を何やらうろうろしている。
何してんだ?まあいいか、私には関係ないことだ。
私は食材の発注のため、タブレット端末を持って作業場奥の冷蔵室に入り、残り少ない在庫の発注を始める。
チルド商品の発注が一通り終わったので、私は冷蔵室から出る。
すると、赤山さんが私を待っていたかのように冷蔵室前に立ち塞がっていた。
「赤山さん、冷蔵室に用ですか?ごめんなさい、先にお邪魔してました。」
「・・・。」
「あの、赤山さん?どうしました?」
「・・・。」
「え」
赤山さんは何を思ったのか、突然私に壁ドンして来た。
おいおい、何の冗談だ?
「赤山さん、何してるんですか?私は今から明日の仕込みと午後の揚げ物の追加をしないといけないんですけど。」
「釘本さん、好きだ。」
「は?」
「俺は、釘本さんを愛してる。」
「何バカなこと言ってるんですか?」
「バカなことなんかじゃない、俺は本気なんだ。君を、愛している。釘本さん、俺のものになって欲しい。」
「嫌です。赤山さんに興味ありません。気持ち悪い。」
「君が俺に興味が無くても、俺はいつも君を見ているし、君の声も聴いている。君は俺の中の全てなんだ。」
「いやいや、無理無理。嫌いです。あんたみたいなキモジジイ、眼中にありません。身の程を知れ。」
「君の、全てが、欲しい。」
「いい加減離れてください。警察に通報しますよ?」
「俺が今にも抱きしめそうな距離にいるのに、どうやって通報するのかな?俺は男だから力が強い。君が抵抗したところで無力に終わる。抵抗したらどうなるか分かってるの?俺に抱きしめられるか、俺に口づけされるか、選択肢は二つ。君に拒否権は無いよ。君は俺のものだ。俺は、君の、全てが、欲しい。」
「・・・。」
赤山さんがぐっと身体を寄せて来た。
キモい、キモい、キモい。
言動と目が完全にイカれている。
私は恐怖のあまり、虚勢を張った。
しかし、本当に頭のぶっ飛んだ奴に虚勢が通用するわけもなく、拒絶の言葉が詰まる。
そもそも、なんで急に変なことを言い出したんだ?
私のことが好き?君は俺の全て?
キモい、キモい!キモ過ぎんだけど!
冷蔵室と壁際に追い詰められた私は、身動きも取れない。
少しでも動いたら、このキモ男が接吻でも迫ってきそうで、怖くて何もできない。
大声で叫べば隣の精肉部門に届くのかもしれないが、いざ恐怖が目前に迫っていると、人間は声が出せなくなる。
一昨日、松山邸でうたた寝した時に見た悪夢のようなものならワンチャン助かるかもしれないが、残念ながらこれは紛れもなく現実のようだ。
どうしよう。
なんで。
気持ち悪い。
逃げられない。
怖い。
動けない。
助けて。
誰か助けて!!!
ガラッ。
入口の扉が開く音がする。
赤山も不意を食らったようで、身体を私から離した。
入口の方を恐る恐る見ると・・・松山だった。
「あ~忘れ物忘れ物~!昨日帰る時に水筒を置いたまま帰っちゃった~!あれ?赤山さん、どうしたんですか?僕のことはお気になさらないで、続きをどうぞ!」
「いや!?あ、いや、あのー、えーっと・・・。」
「あれ?どうしたんですか?僕に見られたらマズいことでもしてたんですか?」
「っぁいjkぁおうpfjw・・・。」
さっきまでイカれた目をしていた赤山だったが、松山が入室するなり憑き物が取れたかのように平然を装い始め、意味不明な音声を発した。
どうしよう、どうしよう、今なら何とか助かるかもしれない・・・。
私は考えるまでもなく赤山の隙を見て駆け出し、松山を盾にするように赤山から身を防いだ。
「釘本さん、どうしたんですか?・・・あ!!ネズミだ!!!赤山さん!今作業場の中にネズミがいます!後ろ!ほら、ライスロボの下の隙間に逃げちゃった!ここ常に食材があるから入り込んじゃったのかな?僕、事務所にネズミホイホイが置いてあるのを見たんです!今から取りに行きます!釘本さん、ついて来てください!赤山さんはそのままネズミを逃がさないで!その場で待っててください!あ、後ろ!ほら、赤山さん!何ボーっとしてるんですか!!」
「z;いghrlの!?ど、どこどこ!?」
「赤山さん、良いですね!?絶対に見つけて逃がさないでください!異物問題で業務停止になったら大変です!もし赤山さんが入口を開けて別の場所にネズミが移動することがあれば大問題です!赤山さんのせいで、ペストで死者が出るかも!?」
「し、死者!?わ、分かった!」
「釘本さん!僕と一緒に事務所へ!」
「え」
松山はそう言って、私の手を引いて急いで作業場を出る。
作業場前の通路で、フロアマットの業者がマットの交換作業を始めようとしていた。
「お疲れ様です!業者さん、ちょうど良かった!助けてください!痴漢です!この作業場内に痴漢がいます!」
「え!?」
「作業場の中にいるあのおじさんが、こちらの女性従業員に無理やり襲いかかろうとしてました!助けてください!」
「え!?大丈夫ですか!?」
「何とかギリギリセーフでした!僕がこのガラス窓からしっかり目撃してたので、間違いありません!今にも接吻しようと彼女を隅っこに壁ドンしてました!あの痴漢を野放しにしたら大変です!僕は今から警察に通報しますから、業者さんは新しいマットを交換しながら、あの痴漢が絶対に外に出て来ないよう時間稼ぎしてください!」
「わ、分かりました!」
「釘本さん、とにかく今はこの場から離れましょう!」
「何なに!?分かんない!」
「釘本さん、一旦逃げましょう!ネズミホイホイは急いだ方が良い!」
「???」
先程の恐怖と松山のよく分からないネズミホイホイ宣言に、私の脳はエラーを起こしてフリーズする。
訳が分からないまま、私は松山に引っ張られて事務所へ向かう。
「松山、よく分からないけど、ネズミがいたの?」
「はい!いたじゃないですか、釘本さんに襲いかかる"ネズミ"が!今から僕は、事務所内の電話機から警察に通報します!業者さんには、警察を呼ぶまで少し時間稼ぎしてもらいます!」
「警察?」
「はい。先程の"ネズミ"の行為は、おそらく不同意わいせつ罪に該当します。僕はプロではないため詳しくは分かりませんが、警察と弁護士が判断してくれるでしょう。目撃者は僕と、フロアマットの交換に来ていた業者さんです。証拠として、僕の設置していたボイスレコーダーがあります。」
「ボイスレコーダー?」
「とにかく、後は僕に任せてください!」
そう言って、事務所に到着した松山はそこの電話機から警察に通報した。
私は未だ思考が停止している。
* * *
対応は迅速だった。
10分も経たないうちに警察が現れ、赤山はパトカーに連行された。
私は警察から話を聴かれたような気もするが、あまりのショッキングな出来事に、記憶が無い。
あの後、事務所に松山の両親が現れた気がする。
事が非現実的過ぎて、いまいち地に足がついてない感覚だ。
その後、どうやって家に帰ったのか覚えてないが、いつの間にか私はアパートに居た。
布団に横になっていた。
買った記憶の無い食品がたくさんテーブルに置かれていた。
もしかしたら松山一家がアパートまで保護してくれ、数日分の食べ物を置いていってくれたのかもしれない。
家に一人になり、時間が経ち冷静になってきたところで、ようやく実感が沸いてきた。
たくさん泣いた。
苦しくて吐いた。
私はしばらく仕事を休むことにした。
「どうしてそんなことをしたんだ?」
逮捕された赤山に、警察が問う。
「違うんです!俺もよく分からなくて!現実とゲームの世界の区別がつかなくなったというか!昨日は遅くまで恋愛ゲームをしていて、そのキャラクターが釘本さんにそっくりなんです。俺は前々から釘本さんのことが好きで、でも踏み出す勇気が無くて。そしたら松山という若造が、ある日入社したんです。松山は仕事が出来ない、手のかかる男です。教育係の釘本さんは、それから松山と付きっきりで仕事をするようになりました。俺が席を外してる間に、いつの間にか二人はどんどん仲良くなりました。俺の方が釘本さんを想ってるのに!それなのに、松山は俺を差し置いて釘本さんとLINEを交換しました。俺もいつか交換しようとタイミングを図ってたのに!二人はアイコンタクトしたり、仕事外でも会ってるところを別の従業員が目撃したり・・・。許せなかったんです!釘本さんを想う気持ちは、俺の方が上なのに!気持ちを抑えてずっと我慢していたら、たまたま美女恋愛ゲームを見つけたんです。初めは軽い気持ちで遊んでたんですけど、好きなキャラクターが釘本さんにすごく似てるんです。これなら疑似恋愛が出来る・・・。そう思って俺は夜遅くまでゲームで遊ぶ日々を過ごしてました。今日は明け方まで遊び過ぎただけなんです!今目の前にいる人はゲームのキャラクターだと思い、選択肢で口づけを選んだだけのはずが、たまたま現実だっただけなんです!俺はただ単にゲームを遊んでるつもりで選択肢を選んだら、それが運悪く現実で・・・。悪気は無かったし、釘本さんを傷つけるつもりもありませんでした!許してください!間違えただけなんです!!!」
顔を真っ赤にしながら、赤山は言い訳がましい自分語りを止めなかった。
* * *
「ニュースをお伝えします。今日のお昼頃、○○県大場市のスーパーマーケット内で、不同意のわいせつな行為をしたとして、47歳の惣菜チーフの男が逮捕されました。警察の調べによると、容疑者は同じ部署内の女性に無理やりキスをしようと脅迫した模様です。当時、たまたま現場に忘れ物を取りに来た同僚の男性と、外部業者の証言により明らかになりました。同僚の男性は、入社当初から職場内のハラスメント問題を疑問視しており、内部告発のためボイスレコーダーを常日頃から持ち歩いていました。そのボイスレコーダーを前日に忘れて帰り、取りに尋ねたところ犯行現場に遭遇したそうです。現場を目撃した同僚の男性は、被害者の女性を一旦事務所に避難させ、容疑者が作業場から逃げないよう、外部業者との連係により、警察が到着するまで容疑者を作業場に閉じ込めていたそうです。容疑者は"以前から被害者の女性に好意を持っており、最近同僚の男性と仲良く談笑しているところを見て許せなくなった"。"彼女に似た恋愛ゲームキャラクターと疑似恋愛をしていた"。"ゲームだと思いキスを迫ったら、そこは現実だった"。"悪気は無かった、たまたま現実だっただけ"などと供述しています。警察は、調べを進めています。」
自宅でニュース番組を観ていたサンセットの従業員たちは、それぞれの自宅で大騒ぎしていた。
「ええーーー!?」
「待って、これ惣菜部門の赤山チーフじゃない!?あんた!この人うちのスーパーの人だよ!」
「これ赤山さんじゃん!!昨日何か事件起こしたの!?」
「無理やりキスだって~!気持ち悪~!」
「今日のお昼頃ってことは、釘本さんかな?惣菜部門でフルタイムの女性はあの人しかいないもん!」
しかし、惣菜部門の従業員たちの反応は少し違った。
「赤山さん!何てことをしたのよ!今日のお昼頃ってことは・・・被害者は釘本さんよね!?ああ!可哀想に!怖かったでしょうね!釘本さんに無理やり手を出すなんて許せないわ!これだから男は、女のことをいつも見下してるんだから!男尊女卑よ!こんな男、去勢手術でもしてやりたいわ!私が赤山さんの首を取りたいくらい!」
「ちょっとー!赤山さん捕まったのー!?明日からのシフトどうすんのー?しかも被害者の女性って釘本さんだよねー?ってことは、明日からフルタイムの人松山君だけになるじゃーん!杉田さんと白石さんは使い物にならないからどうしよー!別の店舗から社員を早く出してもらわないと大変。明日店長に言ってみよー。」
「赤山さぁ~ん!そんなぁ~!これから私がせっかくフルタイムで頑張ろうと決意したタイミングで、そんなことするなんてぇ~!ひどぉ~い!ただでさえ私は大変なのにっ、赤山さんの仕事まで押し付けられるぅ~!いや、ちょっと待って・・・部署内の女性に無理やりキスってことは、これって釘本さんのことだよね?待って待って!ってことは、釘本さんも会社に来なくなるかもしれないってことだよね!?いやだぁ~!二人の仕事を私に押し付けられるぅ~!私も大変なのにぃ~!今後フルタイムが松山君と私の二人になると・・・松山君まで私に無理やりキスして来るかもしれないじゃ~ん!いやぁ~!襲われるぅ~!」
杉田は釘本のことを本気で心配し、赤山のことを本気で打ち首したいほど憎んでいる。
しかし、前野と白石はあくまで自分の不利益と被害妄想しか考えていない。
現場に居合わせ、ショック状態の釘本を目撃した松山は、夕飯も食べず自室に籠り、怒りに震えていた。




