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第十六話 矛盾

今日の夕飯は久しぶりに"四人"で食卓を囲み、楽しかったな。

兄が死んでから、もう三年だ。

三年間空席のあるダイニングテーブルで、"俺"ら家族三人は静かにご飯を食べていた。

今日、釘本さんが"空席"に座ってくれたことで、「四人で食卓を囲んでいた頃」を思い出し、悲しくもあるが嬉しかった。


兄を失ったことで、母は一時期うつ状態だった。

父は元々強靭なメンタルだから、兄が死んだ時は母と俺を毎日励ましてくれたけど、きっと一人で部屋に籠っている時は泣いていただろうな。

父は在宅ワークで基本家にいるのに、外出したわけでもないのに、洗濯物にはよくハンカチが混じっていた。

おそらく、俺と母が居ないところで、そのハンカチで涙を拭っていたに違いない。


母は大好きな花の力で、少しずつ元気を取り戻した。

最近やっと咲いた庭のペチュニアの花は、「兄に心の安らぎを」という思いを込めて育てたそうだ。

母が釘本さんを庭に案内し、その花を紹介していたのも、「"普通になりたい"という同じ悩みを抱える釘本さん」を慰労する意味だったのだろう。


でも、"普通"ってそんなにいいものだと、俺は思わない。

兄の剛は、とても同じ一家とは思えないほど、一人だけ大柄だった。

身長は180cm、名前の通り強靭な肉体を持つ、ゴリマッチョだった。

しかし、彼には弱点があった。

それは、メンタルが弱すぎるということだ。

それに子供の頃からASDのグレーゾーンで、周りから浮いていることに苦しんでいた。

自分の心の弱さを補うためか「筋肉は全てを救う」というマッチョ本の言葉を信じて身体を鍛えていたが、現実社会では通用しなかったようだ。

「トレーニングへの忍耐力が身についても、対人関係の忍耐力には通用しない」と絶望していた。

そして、何をやっても空回りする兄を「おもちゃ」として扱う、憎き同僚たちのいじめを苦にし、兄はこの世を去った・・・。


一方、弟の俺は、兄とは正反対だった。

身長は170cm、名前の通り優男に見間違えられる、ヒョロガリだ。

しかし、俺には利点があった。

それは、メンタルの強靭さと、物事の深淵に気づけるということだ。

子供の頃から勉強が得意で、一度教科書を読めば全てが頭に入るし、人の深層心理にもよく気づいた。


例えば、竹内君にランドセル持ちをさせていた意地悪なクラスメイトの佐藤君。

彼はいつも「俺の父さんはサッカー教室の先生ですごいんだ!」と自慢していた。

他のクラスメイトは「佐藤君のお父さんはすごい=佐藤君もすごい」と勘違いしていたが、俺は違った。

彼は、自分に褒められる要素がないから「虎の威を借る狐」で、間接的に承認されたいのだと見抜いた。

彼の長所は足が速いことだが、そういってもクラスにはもっと足の速い男子が三~四人は居た。

「足は速いけど、クラスの中では五位」では、絶妙に自慢できないラインかと思う。

そこで彼は、父親のすごさをまるで自分のすごさかのように虚勢を張っていた。


他のクラスメイトにも嫌な思いをさせていた彼をこらしめてやろうと、俺はポンコツのふりをして、彼に鎌をかけた。

そして俺は"理詰め"で彼を泣かせ、二度と傲慢な態度を取らせないように黙らせた。


・・・そう言っても、俺にだってコンプレックスはある。

それは「どこで何をしていても"剛の弟"」としか認識されないことだ。


そこに「松山優」という認識はない。

あくまで「剛の弟」という"曖昧な概念"でしかないのだ。


近所の人たちは「剛の弟は頭がいい」「剛の弟には適わない」としか言わない。

一見褒めてくれているようだが、主語は「剛の弟」なので、俺はいつも「兄の陰」として扱われた。

親族同士の集まりだって、皆兄にばかり声をかける。

俺が兄の横にいても、いつも彼らは「剛君、剛君」と、グレーゾーンの兄を気遣っていた。


つまり「"普通"過ぎて目立たない俺」は「"グレーゾーン"で目立ち過ぎる兄の付属品」でしかないのだ。

たとえグレーゾーンであっても、心がまっすぐ清らかで、邪気のない兄が、俺は羨ましかった。


だからか、釘本さんがモブキャラとして「周りの記憶に残りたくない」と望む姿には驚いた。

普段からモブキャラみたいな俺のようになりたい・・・だと?

しかし、「美人には美人にしか分からない悩みがある」のと同じで、俺もまた「モブキャラ切望者にはモブキャラ切望者にしか分からない悩みがある」ことは理解できるため、主観を押し付けるべきでもない。

「経験したことのない人がそれについて考えたところで、妄想もしくは虚像でしかない」のだ。


しかし、"普通"って、何だろう?

最も"普通"に近いはずの俺が"普通"を理解できないとは、なんという皮肉かな。


まあ、分からないものは分からない・・・それでいい。

俺は寝る前に、イマヌエル・カントの『純粋理性批判』の本をもう一度読み返すことにした。


* * *


私は今日、注文弁当を終わらせた後気分が悪くなったので、早退した。

それに娘は今日、お昼に授業が終わる日なので、丁度良い。

私は娘を学校へ迎えに行った後、そのまま車で子供服のお店に向かう。


「ママ~、『正義戦隊・サンレンジャー』の変身おもちゃが欲しい~。」

「ダメ!あれは男の子が遊ぶものだから、女の子は遊んじゃダメ!それより、この『アニマルふれんず』なんか良いんじゃない?女の子らしくて可愛いじゃん!絵美には絶対こっちの方が良いよ!ね、私が買ってあげよっか?」

「・・・。」

「絵美?返事は~?」

「・・・。」


私の娘・白石絵美は発達障害のグレーゾーンだ。

以前病院でそう言われてから、私は娘のために、全ての「選択」に神経を尖らせている。

娘のために、私が先頭に立って物事を決めてあげるのだ。


この前は『正義戦隊・サンレンジャー』のTシャツが欲しいって言っていたから、おそらく今学校で流行っているのだろう。

でも、絶対にダメ!

戦隊ヒーローは男の子が好きになるものだから、女の子はもっと可愛いものを好きにならなきゃいけない。

また、絵美は黒や緑、青など・・・「男の子」を象徴する色も好みがちだ。

ただでさえグレーゾーンで目立つんだから、嗜好まで「女の子じゃないもの」を選んだら大変!

女の子は赤やピンクで決まってるんだから、私が選んであげなきゃ!


どうして娘はいつも、私が望むものを好きになってくれないんだろう。

私はこんなに頑張ってあげてるのに!

それに、最近娘はふとした時に返事をしないことも増えた気がするし、前はよく笑っていたのに最近は無表情なことも多い。

もしかして、発達障害のグレーゾーンが深刻化してるの?

どうしよう!?

娘が少しでも"普通"になれるように、私が「娘のためのルール」をもっと作らなきゃ・・・!


* * *


翌朝。

土曜日で学校は休みだが、私は仕事である。

しかも、今日夫は会社の人に会わなければいけないらしく、娘を家に一人置いて行くことになる。

本当は身内に預けるべきなのだが、夫のお義母さんは杉田さんみたいな癖の強い人だから嫌だし、うちの両親だって甘やかすに決まってるからダメ。

私は娘のために「注意事項」を伝える。


「絵美、いい?ちゃんと聞いてね。ママとパパが帰って来るまで、ぜっっったいにお外に出ちゃダメ!それに、ゲームは一日30分までだから、私たちがいない間は絶対にやっちゃダメよ。それと、ジュースも禁止ね!飲み過ぎたら病気になるんだから、私が決めた量しか飲んじゃダメなの。それに、家に"知らない人"が来たとしても、居ないふりをして静かにしなきゃダメだからね。ママの言うことを聞かなかったら、二度とジュースは買ってあげないし、今度から部屋に閉じ込めて出られないようにするからね!絵美はママの言うことだけ聞いてれば良いの!!分かった!?」

「・・・。」

「絵美っ!!!なんでママの言うことが分からないの!?ママはあなたのためを思って言ってあげてるのよ!ちゃんと返事しなさい!絵美は、ママが殴るか蹴るかしないと分からないかなー!?ママ、本気だからね!!ほら、返事は!?」

「・・・ダメばっかり。」

「え!?何!?」

「ママ、ダメばっかりしか言わない。良いって全然言ってくれない。パパは良いって言ってくれる。」

「だって!私はあなたのためにやってあげてるの!パパは頼りないから信じちゃダメ!どうして分からないの!?」

「パパと"ヒーローのお兄ちゃん"は、えみちゃんは良い子だねって、えみちゃんはいつもえらいねって言ってくれる。でも、ママは私にダメばっかり言う。」

「ヒーローのお兄ちゃん?テレビで観ているものを現実にも持ち込むなんて。空想ごっこは頭が悪くなるからダメなんだからね!今日はお絵かきでもしていなさい!ママはもう時間だから、絶対に約束は守らなきゃダメよ!!じゃあ、行ってくるね!」

「・・・。」


もう!!こんなにも言ってあげてるのに、この子はなんにも理解してない!

娘のためを思ってこんなに頑張ってるのに!

私の居ないところでパパが甘やかすせいよ!

私はイライラしながら仕事に向かう。


* * *


そして、サンセットに到着したと同時に、私はあることを思い出す。

それは、杉田さんと釘本さんに裏切られたことだ。


昨日の注文弁当で、杉田さんは私が出勤するなり「裏切り者!」と罵ってきた。

それに、ただ私は「松山君の家から釘本さんが出てきたこと」を杉田さんや前野さんに言っただけなのに、釘本さんは被害妄想をしているのか、私を強く拒絶した。

前野さんは前野さんで、第三者がいると私との交流を避けたがる。

赤山さんは私のことを「悲劇のヒロインぶるな」なんてバカにしてきたし、松山君は何を言っているのか分からない変な子だから関わりたくない。


私が何をしたって言うの?

娘のことも上手くいかないし、仕事の人間関係も最悪・・・。

最近は、優しい夫もどこかよそよそしくなった気がする。

前は休日に会社の人に会うなんてほとんどなかったのに、最近は毎週土曜日に会社の用事があると言って出ていくし、平日だってなかなか帰って来ない。

誰も私の言うことを聞いてくれない!

とりあえず、今日は娘が4時間家で大人しくしてくれるように祈ろう。


私が作業場に入ると、ありえない光景が目に入った。

杉田さんが・・・あの杉田さんが、赤山さん、釘本さん、松山と談笑しているのだ!

なんで・・・!?


「白石さん、おはよう!」

「お、おはようございます・・・。」

「白石さん、おはようございます!」

「・・・おはよう。」

「・・・っす。」


赤山さんと松山君が挨拶をしてくる。

私は誰とも口を利きたくないけど、一応挨拶をする。

杉田さんは、私が入ってくるなり急にテンションを下げる。


釘本さんに至っては「っす」なんて、DQNみたいなテキトーな挨拶しかして来ない。

注文弁当のトラブルでたまたまリーダーシップが取れたからって偉そうに・・・ムカつく!


今日私は、松山と二人でパックをしなくてはならないらしい。

いつもなら私はお寿司かお弁当をやるのに。

新人の面倒は釘本さんが見るんじゃないの?

面倒ごとを私に押し付けるなんて、ひどい!!

まあ、松山は少しずつやり方が分かってきてるっぽいから、今日私は手を抜こう。

だって、私は今、娘のことで頭がいっぱいだから。

娘が、変なことをしていませんように。

娘が、私の望んでいないことをしていませんように。


* * *


仕事が終わるなり、私は急いで家に帰る。

娘にゲームをしちゃいけないこと、ジュースを飲んじゃいけないことを伝えてきたけど、ちゃんと守ってるかな?


「ただいまー!絵美、ちゃんと約束守ったー!?」


今までは飼い犬のように「おかえり!」と玄関まで走ってきていたのに、今日はそれが無い。

それに、物音も一切聞こえない。

寝てるのかな?

私はリビングの扉を開く。

すると、窓が大きく開かれ、娘の姿が無かった。


「いやあーーーーーーーー!!」


娘が、誘拐されたに違いない!!

私は半狂乱になりながら、お隣に住む山田さんに助けを求めた。


「山田さん!!いらっしゃいますか!?娘がっ、うちの娘がっ!家に居なくてっ!どうしようっ!」

「し、白石さん!そんなに慌てないで!さっき絵美ちゃんが、松本君たちと一緒に公園で遊んで来ると言って出て行っただけだから、大丈夫よ!」

「こ、公園?松本君・・・?」


年金暮らしの山田さんは、毎日近所を散歩されている。

そのため、自宅近辺で起きていることを熟知しているのだ。

公園というのは、以前絵美が「学校に行くことを忘れて一時間遊んでいた公園」だ。

あの時も山田さんが、絵美を職場に連れて来てくれた。

私は急いで公園に向かう。


「はっはっはっ!悪の大王の俺さまとたたかうなんて!いいドキョーだ!」

「悪の大王っ!今日こそショーブをつけようじゃないか!」


そこには、クラスメイトの男の子たちと『正義戦隊・サンレンジャー』ごっこで遊ぶ絵美がいた。


「絵美ぃぃぃっっ!!ママの約束を守りなさいって言ったでしょーーっ!!なんでお外にいるの!?ダメって言ったじゃない!リビングの窓を開けっぱなしにして出て行って!泥棒でも入ってきたらどうするの!?それに男の子と遊ぶなんて、いけません!!あなたたちも、男の子同士で遊びなさい!絵美はあそこにいる女の子たちみたいに、女の子らしいおままごとをしてればいいの!『サンレンジャー』は、もう禁止ですっ!!」

「いやだー!松本君は"知らない人"じゃないから、友達だから一緒にお出かけしただけなのに!なんで松本くんたちはヒーローOKで、私はダメなの!?」

「ダメったらダメ!よそはよそ!うちはうちなの!あなたは女の子らしくしなきゃダメなの!男の子たちとの遊びは禁止にしますっ!約束を破ったんだから、家に帰ったらどうなるか・・・分かってるよね!?」

「・・・。」


この娘はっ・・・!

おとなしく、私の言うことさえ聞いていればいいのっ!


「あ!白石さん、こんにちは!」

「!?」

「あ!戦隊ヒーローのお兄ちゃん!」

「絵美ちゃん、こんにちは!あれ!?白石さんと絵美ちゃんって親子だったんですか!びっくりしました!」


そこに、松山が現れた。

なんで?あいつは今日仕事なのに?


「僕、実は今日"臨時のアルバイト"が入ったんで早退したんですよ!」

「は、はぁ・・・。」

「兄ちゃん!今日の大場モールのヒーローショー、出るの!?」

「うん!いつも僕の練習に付き合ってくれてありがとう!松本君たちは、今日来てくれるのかな?」

「行くに決まってんじゃん!おれも兄ちゃんみたいになりたくて、さっきえみちゃんたちと"ごっこ"してたんだー!」

「お兄ちゃんは遠くから見てたぞ~!お兄ちゃんと並んで戦えるぐらい、カッコ良かったぞ!」

「やったー!兄ちゃん、そろそろお父さんが車で迎えに来て、木村君たちの家族とモールでお昼ごはんを食べてからショーを観に行くから!待っててなー!」

「オッケー!じゃあ、また後でな~!」


クラスメイトの男の子たちは、公園の一角にある駐車スペースに向かった。


「さて、絵美ちゃん!今日の14時からのヒーローショー、おいでよ!」

「うん!行きたい!ね~ママ、私も松本くんたちと一緒に・・・」

「ダメに決まってるでしょ!!なんでそんな遊びばかりするの!ケンカはしちゃいけないものだから、女の子はヒーローもののケンカを見ちゃダメ!分かった!?」

「・・・。」

「絵美!!分かったって返事しなさいよ!最近、ママの言うことを全っっ然聞かないんだから!」

「・・・。」

「何とか言いなさいよ!絵美!!」


本当にこの子は・・・!

私がこんなに頑張ってあげてるのに、全然愛情を受け取ってくれない!


「白石さん、もうそれ、やめましょうよ。」

「は?」


ヒーロー気取りの松山が、私と娘の間に入ってくる。


「今のやり取り、僕はずっと横で聞いていました。はっきり言って、白石さんのやっていることは"精神的虐待"です。」

「はっ?だって!娘が言うことを聞いてくれないから!」

「そんなに血走った目で僕を睨みつけないでください。悪いことを言っているのは僕ではなく、白石さん本人なんですから。あなたの発言って、とても矛盾していますよね。さっきは"よそはよそ!うちはうちなの!"なんてワードを言ったかと思えば、すぐさま"女の子らしくしなきゃダメなの!"なんて言っちゃって。"全人類の女の子はみんな女の子らしくしなければならない"って言いたいのかもしれませんが、それはさっきの"よそはよそ"と意味が正反対です。"その瞬間の自分"に都合の良いように言葉を並べているんですか?あなたは何が言いたいんですか?矛盾してますよ。」


ヒーロー気取りの松山が、生意気に私に食って掛かる。


「でも!女の子は女の子らしくあるべきよ!」

「それは白石さんの価値観であって、絵美ちゃんには"戦隊ヒーローが好き"だという価値観があります。それに"女の子は女の子らしくあるべき"って、いつの時代の話ですか?今の時代、ジェンダーについておおらかになって来てるんですよ。どんな感性であっても、皆、自分に合ったジェンダーに誇りと自信を持って生きています。白石さん、たとえ絵美ちゃんが娘であっても"血の繋がった他人"であることを忘れてはいけません。白石さんと絵美ちゃんは別の個体なんですから。子供は自分の人生の延長線ではありません。本人がやりたいという気持ちを無理やり押さえつけて、実力行使で親の言うことを聞かせようとするのは、それはもう虐待です。"精神的虐待"です。いつか倍返しに遭っても知りませんよ。」

「うるさい!他人は黙ってろ!」

「・・・。」

「私は娘のためにやってあげてるの!あんたみたいなトチ狂ったグレーゾーンにならないために、私が"普通"の道を用意してあげてるの!あんたみたいな発達障害、私は絶対に嫌だから!」

「・・・。」

「ふん!私の言うことに、返事もできないんだ!」

「・・・。」


松山は瞬きさえしないまま、私のことを、ただじっと見つめてくる。

その目が、とても不気味だ。


「ちょっと・・・いつまで私のことを見てんのよ!気持ち悪い!」

「・・・。」


それでも松山は瞬きさえしないまま、私のことを、ただじっと見つめてくる。

え?なんか怖いんだけど。


「だから!こっち見んなって!それに急に何も喋らなくなって!何とか言えば!?」

「・・・黙れとか何とか言えとか、お前の話は矛盾してんだよ。」

「え!?」


目の前にいる松山は、松山のはずだ。

しかし、今言葉を発したのは・・・誰だ?

この・・・松山なの?

感じたことのない殺意と聞いたことのない口調に、私は思わず怯んでしまう。


「お前が黙れって言ったから俺は黙ったんだよ。それなのに今度は何とか言えだなんて、脳ミソ腐ってんのか?絵美ちゃんが相手の時もそうだろ?絵美ちゃんに何とか言えって脅しながら、どうせお前は頭ごなしに"絵美ちゃんの価値観"を否定するんだろ?絵美ちゃんが返事をしないのは、はなからお前に否定されると絶望してるせいだ。"本物のグレーゾーン"を知っている俺から言わせてもらうと、絵美ちゃんはグレーゾーンじゃない。全て、お前の抑圧のせいだ。」


松山が、絵美のグレーゾーンは私のせいだと言ってきた。


「違う!私は悪くないもん!私は絵美のためを思ってやってあげてるだけ!言うことを聞かない絵美が悪いのよ!」

「だからその、娘のためを思って、娘の気持ちを踏みにじって、娘の選択肢を奪い取る行為が"精神的虐待"だっつってんだよ。お前が今まで絵美ちゃんの"選択肢"を奪ってきたことが原因で、絵美ちゃんは自分の意見を持つことができない。それに、"娘のためを思って"という口実で、なんでも先回りして"発達を阻害"してるから、絵美ちゃんは一人になった時に"選択肢"を見つけられないんだ。そうやって育てられると、意見そのものが言えなくなり、やがて表情も乏しくなっていく。そんなことも分からないのか?」


うるさいうるさい、黙れ!!


「それと、お前まさか絵美ちゃんに、殴るとか蹴るとか脅してないよな?もしそうだとしたら、刑法222条脅迫罪に問われるぞ。もしくは児童虐待の可能性だってある。」

「!?」

「全てお前のせいだ。お・ま・え・の・せ・い。母親失格。母親不適合者。自分が悪いのに嫌なことは絵美ちゃんのせいにしたり、都合が悪くなると急に悲劇のヒロインのような顔をしやがる。お前はいつも矛盾してんだよ。お前こそグレーゾーンだろ。"絵美ちゃんをグレーゾーンだと思い込む"ことで責任逃れしてないで、自分のマジキチ発言を疑ったらどうだ?お前こそ、カウンセリングが必要なんじゃない?」


なんなの、なんなの・・・!?

私がグレーゾーンなわけ、あるわけない!!

私はこいつとは違う・・・私はまともなんだから!!


「精神疾患であること自体、俺は別に悪いと思っていない。心の優しい人が陥りやすいって言うからな。ただし、もしお前みたいな捻じれ曲がった奴に病名がつくと、もっと厄介だろうな。病名を免罪符に自分を正当化するか、都合の悪いことは悲劇のヒロインぶるんだから。」

「・・・ッ!!」

「俺が大学時代に勉強していたことを基にするなら、絵美ちゃんではなくお前こそASDのグレーゾーンか、自己愛性パーソナリティ障害、もしくは代理ミュンヒハウゼン症候群だろうな。あ、お前の頭じゃこの言葉は理解できないか(笑)さて、お前が心底軽蔑している"グレーゾーン"に、自分自身が可能性大だという事実を聞いて、お前の頭じゃ理解できないと言われて、今どんな気持ち?ねえねえ今どんな気持ち?(笑)」


私は、何も言い返せなかった。

ただただ、その場にしゃがみ込んで大泣きした。

こいつのせいで、私は、もしかしたら可能性があると・・・嫌だあーーーーー!!


まるで賞味期限が三年前のニンニクチューブを冷蔵庫の奥から発見したような顔で、松山は大泣きする私を見下ろす。

絵美は、私を助けてくれるわけでもなく、松山に懐くように抱きついていた。

どうして?

私はいつもあなたのために、あんなに頑張ってあげてたのに・・・。

私よりも、松山を選ぶなんて・・・。

「絵美ちゃんは、絵美ちゃんパパと一緒にヒーローショーを観に来てくれるんでしょ?」

「うん!パパとヒミツのやくそくしたのー!ママにはぜったい言っちゃダメだって!でも、今はヒーローのお兄ちゃんがそばに居てくれるから、私こわくないもん!」

「そっかそっか~!実は僕、絵美ちゃんパパと松本君パパと約束して、待ち合わせしてるんだ~!ほら!松本君パパが小さいバスで迎えに来てくれたよ!」


は?どういうこと・・・?

夫は今日、会社の人と会う予定では・・・?


振り替えると、確かに松本君のお父さんがマイクロバスで迎えに来ていた。

あの子のお父さんがバスの運転手だってことは、保護者会で聞いたことがある。

そして、私に内緒で夫も助手席に乗っているのが見えた。


「お兄ちゃん、松本君のパパがうんてんしゅさんって知ってたのー?」

「うん!実はね、絵美ちゃんパパから教えてもらったんだ!絵美ちゃんをどうしてもヒーローショーに連れていってあげたいって願い事してたよ!」

「わあーい!やっぱりパパが好き!ママはダメしか言わないから嫌だ!」

「!?」


私はあんなに絵美のためを思ってやってあげていたのに、ママは嫌ですって!?


「でも、何でお兄ちゃんは私のパパを知ってるのー?」

「それはね、僕が"心のお医者さん"をお勉強してた時に、絵美ちゃんパパが病院に来たことがあるからだよ!」

「心のお医者さん?」

「辛くて悲しくて、助けて欲しいと思ってる人が来る病院だよ!絵美ちゃんパパは、絵美ちゃんが好きな人生を送れるように想ってくれてるのに、ママがいつも絵美ちゃんを邪魔する悪の大王みたいで、絵美ちゃんが可哀想だ!って泣いてたよ~!」

「ママは悪の大王なのー?!」

「そうだよ!絵美ちゃんがヒーローになろうとするのを邪魔してるのは、絵美ちゃんママが、本当は悪の大王だからだよー!」

「こわーい!だからいつもダメって言うんだ!」

「そうだよ~!でも大丈夫!僕と絵美ちゃんパパはヒーローだから、必ず絵美ちゃんを助けて、ヒーローになれるよう応援してあげる!」

「やったー!やっぱりヒーローのお兄ちゃんとパパは大好き!ママは大嫌い!」

「!?ちょっと、絵美!?」


ヒーロー気取りの松山があることないことを絵美に吹き込んで、マインドコントロールしようとしてる!

どうしようっ!?!?

そこへ、マイクロバスから夫が出て来る。


「優さん!お久しぶりです!その節はお世話になりました!」

「いえいえ、僕は何もしてませんよ~!白石さんが絵美ちゃんのことを"本当に"想っているのが、研修医の僕でも理解できたので、立場を越えてお助けしたかったんです!研修医を免罪符に、患者様である白石さんとご連絡先を交換して、大変失礼しました!」

「いえ、私は絵美のヒーローの夢を少しでも叶えてあげたくて・・・。まさかお医者さんの卵の優さんが、戦隊ヒーローショーのスターだって思わなくて、こんなことあるんだって!」

「ヒーローショーのスターだなんて、とんでもない!ただの卵ですよ!僕は結局、医師の道も卵止まりで、現在はお惣菜スタッフです!奇遇にもあなたの奥様と同じ職場だなんて・・・。そして今日みたいに、たまにヒーローショーの臨時キャストとして召還される日々を送ってます!白石さんたちは特別招待客として、真ん中の一番見えやすい席をご用意できるよう、僕が運営に事情を説明してます!あ、でも奥様はヒーローショーがお嫌いだと伺っていたので、彼女の席はありません!!(笑)」


松山は私の方を見て「おめぇの席、無ぇから!」とでも言いたそうな、してやったりみたいな顔でニッコリ笑いかけてくる。


「では、松本君パパの安全運転でいってらっしゃい!僕はキャスト用のロケバスで向かいますので!」

「優さん!ありがとうございます!絵美、本当に良かったなぁぁ・・・!」

「パパ、どうして泣いてるのー?私はうれしいのにー!」

「ご、ごめんごめん!パパは、絵美が久しぶりに、本当に楽しそうに笑ってくれたことが嬉しくて、泣いちゃったんだ・・・!」

「うれしくて泣くって、ふっしぎー!でも、パパありがとう!大好き!」

「絵美!優さん、本当に本当にありがとうぅぅ・・・!」

「白石さんの想いが伝わって良かったですね!では、後ほど!」


そして、松本君のお父さんが運転する車で、彼らは出発した。

松山は彼らが立ち去るや否や、私に再び冷ややかな視線を送り、その場を去って行った。


いや、待って・・・。

あのバカの松山が、"心の医者"の研修医だって?

そんなこと、あるわけがない!!

夫と松山は、きっと絵美を私から奪い取るために共謀して嘘をついてるんだ!!


ああ!もう!!

どいつもこいつもっ!!

皆、私の人生の邪魔をするっ!!

絵美、ママの言うことを聞かなかったから、絶対に許さない!!

帰って来たらとっちめてやるんだから!!

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