おまけ話 諒子&尚人 なんてことない日常の一コマ
本編終了後も多くの方が読みに来てくださってる模様。
どうもありがとうございます。
うれしくなって、つい書いてしまった、何気なく通り過ぎていくなんてことのない休日の一日。
過度な期待は厳禁です。さらっと読み流してください。
「おはよう」
「おはよー」
ダイニングの椅子に腰掛けながら、最近一気に言葉がはっきりしてきた翔と挨拶を交わした。翔は今の時間はテレビを見るのに忙しく、こっちをちらっとも振り返らずに言葉だけ返してきた。
「あら、おはよう。もう起きたんだ。まだゆっくりしてればいいのに」
洗濯物を干し終えたところなのか、諒子がベランダから空の洗濯籠を片手に部屋に入ってきた。
もう起きたと言ってもそろそろ九時。休日は朝寝を決め込んでいるので、僕が一番起きるのが遅い。
結婚して、翔を迎えに行くために早く仕事を切り上げることもなくなって、そう頻繁にではないが帰宅が午前様になることも出てきた。それを心配してか、彼女は休日ぐらいゆっくり身体を休めろとうるさいのだ。
でも、平日の帰宅が遅くなった所為で、翔と過ごす時間は休日ぐらいしかゆっくり取れなくなってきたので、よほど疲れが溜まってるときでもなければ、このくらいの時間には起きるようにしていた。
おはようと挨拶を返し、母さんは? と尋ねた。
「今日はサークルの人たちとお出かけですって。展示会があるとかで何人かで見に行くんだって。うちの母も一緒って言ってた。今出掛けたところ。すぐご飯食べる?」
聞いたけどなんの展示会だったか忘れちゃったとあっけらかんと笑っている。
「うん、もらう。ふーん、母さんもずいぶんフットワーク軽くなったな」
以前は平日はどうだったのか知らないが、休日にまで出掛けるようなことはあまりなかったような気がする。多分お義母さんの影響なんだろう。性格が似てるというわけでもないのに、どう馬があったのか、今では陽子ちゃん、初音ちゃんとお互いに呼び合って、すごく仲がいい。
「尚人さん、ご飯とパンどっちがいい?」
「飯にしようかな」
「はーい、ちょっと待っててね」
新聞にざっと目を通しながら待っていると、温めた順にあれこれ出てきた。
残り物の煮物に味噌汁、ごはん、最後にベーコンエッグにサラダ。
「パパー、のりー」
テレビを見終わった翔が、味付け海苔の入れ物を抱えてきた。もう自分の食事は終わったはずだけど、僕の食事に便乗してつまみ食いするつもりらしい。
「ありがと」
僕に海苔を渡すとダイニングの椅子によじ登り始めた。
「あれ、翔君も食べるの? ご飯よそってくる?」
「いや、本格的に食べると昼に響くだろう? 二人で分けながら食べるよ」
母が出掛けて、三人だけの朝食は久し振りだった。
結婚前も慌ただしかったが、結婚してこの三か月もあっという間に過ぎた。
結婚前から少しずつ準備に取りかかっていた家の建築が一か月前から始まった。その少し前から家の解体作業も始まったため、母もこのマンションに身の回りの少しの荷物だけを持って引っ越してきたのだ。リビング横の和室に夜は布団を敷いてやすんでいる。
諒子の、四人で生活するには充分のスペースがある、という一声で決まった同居生活だった。
別に部屋を借りるのは家賃がもったいないという彼女に、表だって反対はしなかったが、気がかりはあった。母も同様だったようで、最後までしばらくの間なんだから別に部屋を借りると言っていたのだが、しばらくだからこそもったいないという彼女に押し切られた形となった。
母も僕も新婚なんだからとそれとなく言ってみたのだが、母と同居することになんの屈託もなかった彼女は、夫婦生活が一番盛んであろうこの時期に、狭い空間に親子で共同生活を送る気まずさまで思い浮かばなかったようだ。
彼女は同居してみて初めて、マンション住まいの新婚家庭に母親が同居する不便さに気が付いたらしい。
3LDKのマンションで生活スペースだけのことなら問題はなかったんだろうが、事後にシャワーを使うのだって、割り切ってしまえるまでは僕だって照れくさかったのだ。
よく二人でデートでもしていらっしゃいと言っては送りだされるのだが、もしかすると、このところ休日によく向こうのお義母さんと出掛けるのも、気を利かせてのことかもしれない。
振り返れば、そんな日には翔が昼寝したりするとついいちゃついたりすることが多い。
さて、今日は何をして過ごそうか。
翔が僕のご飯茶碗をすっかり取り上げて、味付け海苔を手にご飯をつまみ上げるのを目にしながら、諒子も椅子に座った。
諒子が向かいに座ったと見るや、椅子の上に立っている翔が、つまんだ海苔ご飯をテーブルに身を乗り出すようにして、諒子の口元に差し出した。
「ママ、あーん」
あーんと声に出して翔の手から食べる彼女。ご飯の量はほんのちょっとで海苔ばかりが減っていく。
「おいしいー。ありがと。パパにもあげて」
それにうれしそうにはーいと返事してまた海苔を一枚手にする。
「ホントによそってこようか? 尚人さん食べられないじゃない」
「おかずつまみながら少しずつ翔に食べさせてもらうよ」と返した。
本当に少しずつなので時間はやたらと掛かるが、休日でもなければこんなやりとりさえ出来ない。時間に余裕のあるときの贅沢だと思って、ゆっくり腰を落ち着けて食事する。
喋っている間にも口元に海苔ご飯が差し出される。
「パパ、あーん」
「あーん。……翔が作ってくれると海苔ご飯もおいしいな」
咀嚼しながら翔に話しかけた。
「おいしーの。翔ね~※&*#$%……」
何かお喋りするように、ごにょごにょ言葉らしきものを繋げるが、途中から何を言っているのかさっぱり分からない。分かった振りで彼女と二人でそうか、うんうん、と相づちを打ち、会話を繋ぐフリをする。
彼女は時折翔の頬から飯粒をつまんで口に入れ、僕よりさらに熱心に会話する。やがてご飯にも話にも飽き、翔は椅子からよっこらしょと降りて、おもちゃを置いてある方に行ってしまった。
「ずいぶんお喋りするようになったな」
我が子の著しい成長ぶりに、つい顔もほころぶ。
「うん、やっぱりお義母さんとわたしの会話を聞いてるからかしら。それらしく抑揚付けて喋るの聞いてるとおかしくって……」
からからと笑う。
「あとは言葉が通じればたいしたもんなんだけどな」
「そうだね。ねぇ、もう少しだけご飯よそう?」
ご飯が半分ほど残った茶碗を引き寄せた僕に尋ねた。
「これでいいや、結構翔に食べさせてもらったから……。今日出掛ける予定とかある?」
「ないけど、なにかあった?」
「いや、ないならのんびり過ごそうか。昼飯まで公園でもぶらついてくる?」
「うん、そうね。コーヒー飲む?」
僕の食事も終わりそうなのを見て取って諒子が席を立った。
公園という言葉に反応した翔がこちらに向かってくるのが見えて、慌てて食事の残りを胃袋に収めたのだった。
昼下がり、食事を三人で食べ終え、諒子と並んでソファに座ってテレビを見ていたら、それまでそばで遊んでいた翔が二人の間に割り込んできて座った。
最近こういうことが増えた。多分ヤキモチを妬いているんじゃないかと思う。
さっきも公園帰りに近所のスーパーに歩いて行ったのだが、少し前までは抱っこというと僕だったのに、最近はどうも僕より諒子の方がいいらしく、ママがいいとぐずる。
それだけ彼女に懐いてくれたと喜ぶ反面、父親としてはちょっと複雑だ。
今もそのままうとうとしてきて、彼女の方にもたれかかって、こっくりこっくりしてきてる。休みの日ぐらい僕にくっついてきてくれればいいのに……。
「眠ったな……。向こうで寝かしてくるよ」
「もう少し待った方がいいかな」
リモコンでテレビを消し、翔の背中を静かにぽん、ぽんと叩きながら言った。今ではこういうことも彼女の判断の方が当てになるようになった。すっかり頼りになる母親だ。
「しかし、翔はずいぶん甘えんぼになったな」
「甘やかしてるつもりはないんだけどな……」
別に文句を言ったつもりではなかった。
「これまでの反動なんじゃないか? 安心して諒子に甘えられるって分かってきたんだよ」
「そう?」
うれしそうに笑った。
「でも、抱っこはな……。重くなってきたし、僕がいるときぐらいこっちに来てくれたっていいのに……」
実はうれしいことに、頑張った甲斐もあって結婚早々彼女の望み通り妊娠した。今は妊娠初期。
上の子がいる妊婦さんはそんなこと言ってられないだろうが、僕がいるときぐらいは少しでも負担が軽くなればと思っているのに、翔はママの方がいいらしい。幸いにも彼女はつわりらしいつわりもなく、『妊娠に向いてる体質なのかも』と気分良く妊娠生活を送っている。
彼女の携帯が震えたのでそのまま翔を抱き上げ、寝室のベビーベッドに寝かせるために部屋を出た。
結婚を機に一度は片付けたベビーベッドをもう一度組み立てた。翔が寝入るまでは僕たちのベッドに三人で川の字だけど、眠ったら僕たちの都合上、翔には寝場所を移ってもらう。両親の仲がいいのが、何より子どもはうれしいに違いないと言い訳しながら……。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
電話に出ると母だった。
「諒子、今日の夜、うちでご飯にしない? 基達もくるのよ」
「いいの? お兄ちゃん達までくるなら大人数になっちゃって、食事の支度とか大変じゃない?」
「大丈夫。初音ちゃんもこのまま家に来て手伝ってくれるって言うから」
どうやらお義母さんもそばにいるらしい。ざわついているので、まだ出先のようだった。
「そう? 何時頃に行けばいい? 早めに行って手伝おうか?」
「手伝いが何人もいたって台所に入りきらないわよ。でも早めにきてくれればお父さん喜ぶかもね。平日に翔君が来たって言うと、お前ばっかりって言ってうらやましがってたから」
笑いを含んだ声でそう言った。
「ふーん、じゃあ、昼寝が終わったらそっちに行くね」
用件だけの電話をあっさりとすませたところに、尚人さんが戻ってきた。
「うちのお母さんだった。晩ご飯向こうで食べようって。お兄ちゃん達が来るんだって。お義母さんもそのまま一緒に向こうに行ってるって」
「へぇー、何かあったのかな。大集合だね」
「うん、手伝いもお義母さんがいるからいいって……。翔君が起きてから行くって返事しといたけど良かった?」
うん、いいよと返事しながら隣に座った。妙に近い。
「じゃあ、しばらくは夫婦の時間だな」
そう言って意味深に笑った。
「さっき思ったんだけど、母さんがここんとこ良く休日に出掛けるのは、僕たちのために気を利かしてるんじゃないかと思うんだ」
へ? 気を利かすとは? よっぽどわたしが不思議そうな顔を見せたのか、そう思った理由を話し出した。
「新婚なのに同居しちゃったからさ、僕たちに気を遣ってるんだと思うよ」
彼の言いたいことが分かって顔が赤らんだ。
「つまりさ、いちゃいちゃしようと思っても、自分がいると遠慮しちゃうんじゃないかって思ってるんだよ」
もう、わかったからそれ以上言わないで。恥ずかしいじゃない。
「翔も寝ちゃったことだしさ……」
それからしばらくらぶらぶモードを満喫したわたしたち。まったり彼に寄りかかっていると彼が言った。
「諒子、結婚する前に翔の母親になってくれって言ったけど、翔ばっかり構ってるとヤキモチ妬くぞ」
珍しいことを言うのねと思ってじっと顔を見つめていたら、いや、翔が優先でいいんだけどさ、とぼやくように言うので、ぎゅっと抱きついた。
「翔君はわたしにめいっぱい甘えてくれればいいじゃない。わたしは尚人さんにめいっぱい甘えるから」
そう言ってみた。まんざらでもない様子にクスクス笑った。
夕方、実家に着くとお兄ちゃん達ももう着いていた。
みんなが揃っての食事の席で、うれしい発表があった。お兄ちゃん達のところもおめでたらしい。急遽それを祝う席となった。
「諒子さん達の赤ちゃんと同級生になるかは微妙なところです」
恥ずかしそうに言った瑠璃ちゃん。わたしと違って早速つわりが始まっているそうだ。顔色はあまり良くないけど、表情はうれしそう。
「お兄ちゃんをこき使ってやんなさい」
と発破をかけながら、瑠璃ちゃんのおめでたも我がことのようにうれしく感じた。
そして、日常生活の中に幸せの種は一杯転がっているもんだなと思った。
大きな、誰にでもそうと分かる幸せな出来事だけじゃなくって、ほんの些細なことでもそれに気づいて、幸せと感じることが出来るかどうかによって、その人の幸福感には差が出るんじゃないかって思う。
結婚して尚人さんや翔君と過ごすようになって、最近特にそう思う。そしてそれに気付く余裕を与えてくれるのが尚人さんかなって思う今日この頃なのである。
読んでいただいてありがとうございました。