「あれは私と同じ身の上。殺すことなど出来ませぬ」
「暖かいものだな、そなたの手は」
ひょいひょいと雪道を駆け上がる妻に手を引かれて歩く。
「そなたは雪もなんのそのなのだな。私は滑りそうで少々怖い」
「火山灰で滑る床は経験済みですれば」
少女のように弾んだ声で言う。
「なるほどなあ」
苦笑交じりに納得した俺だった。
(困った……)
あの日から、震えが止まらない。
悟られぬようにせねば。
なんとか頼み込んで思念を読むことだけはやめさせれた。
ただ、それでもいつ察し取られるか。
(いつからだ。どのタイミングから命の限界を悟っていた)
結局独りよがりな恋だったのではないか。
そんな悔いがやってくる。
「そんなことはありませんよ、陛下」
妻が、足を止める。
苦笑して、言った。
「私も、速すぎる時の進みが、少々怖い。もう、越冬が見えてきた」
雪は溶けつつある。
仙人との邂逅はもうすぐそこに迫っている。
「あと、どれだけ生きられる」
単純明快に聞いていた。
彼女は静かな表情になるが、再び苦笑する。
「内緒」
「それはなかろう、連れないやつだ」
その口を塞がれる。
「陛下もどうやら随分とポンコツ化しているらしい。私も鈍っている」
溜息混じりに言うミリィ。
「ここで実戦の感を取り戻せてよかった」
しみじみと言葉を続ける。
「なにか、暑い……? この辺り一帯を中心に、雪が溶けている?」
「ええ、ここから進めば進むほど、気温は上がります。最終的に真夏の気温になるでしょう」
溜息混じりに言う。
「私の解析が正しければ、竜」
腕まくりして剣を抜く。
「竜狩りか。竜肉は精がつくという。お主に献上しよう」
「いえ」
ミリィは苦笑する。
「あれは私と同じ身の上。殺すことなど出来ませぬ」
「先行き短い……? そんな嗄れた肉では精もつかぬか」
「誰が嗄れた肉ですか」
冷たい声で言う。
「失言でしたミリィ」
そう言って剣を鞘に収める。
「敬語はおやめください、陛下。尊厳のない」
溜息混じりに言う。
「サーチの範囲外から、斜め上空から見下ろしましょう」
ミリィの杖に導かれて、空へ飛んでいく。
黒い龍が、一匹。
巣に大きな体を横たわらせている。
「黒竜か……弱っているのか? 眠っているのか? 身動き一つしない」
「違いますよ。ツガイがそろそろ来るはずです。隠れましょう」
ミリィは上機嫌に言うと、木陰に潜んだ。
頭上から雪が降ってきて、それが背筋に入り込む。
怖気が走ったが身動ぎせずになんとか堪えた。
(ミーリーイー!)
文句を言う。
「良いから、良いから」
楽しげなミリィ。
こんな若々しいミリィいつぶりだろう。
ミルドの国を冒険していた頃の、まだ嫉妬深いミリィの記憶が蘇る。
思っていた不平が飛んでこないので戸惑いつつミリィを見上げる。
ミリィは口元に人差し指を立てていた。
音を立てるな、ということらしい。
じっとする。
果たして、ツガイはやってきた。
口に肉を掴んでいる。
そして、寝ていた竜は餌を食べると、再び寝始める。
ツガイは甲斐甲斐しくその頬を舐めてやったりしている。
「あの世話焼き加減、陛下みたい」
滑稽そうに言うミリィ。
「何がそんなに楽しいのか、そろそろ教えてはくれぬか」
「卵を抱えているのです。あの個体は」
「卵……なるほど。それはそなたと同じ身の上だなあ」
ミリィの腹ももう随分大きくなってきた。
「これではドレスは着れませんね」
苦笑交じりに言うミリィ。
貴族の世界は基本デキ婚はなしだ。さらに、容姿も厳しく躾けられる。
貴族用の結婚式のドレスは皆腹がぺったんこに出来ている。
「胸の大小の差はあるのだから腹の大小ぐらい良いだろうに、と思いますけどね。どの国も中々保守的だ」
「産後、着れば良いではないか」
「子供を連れてヴァージン・ロードを歩くんですか?」
滑稽そうに言うミリィに、憤慨する俺。
「未来の形にそんなケースがあっても良かろう」
「ヴァージンでもなんでもないじゃないですか」
からからと笑う。
「私は若い綺麗な姿のままで殿下の中に生き続ける。それが誇りなのです」
「……俺は、一緒に老いていきたかった」
呟くように言う。
「置いて行かれるのは、少々寂しい」
「夢だったと思って、新しい恋を始めるのです、殿下」
優しい口調で言う。
「その世界の何処を探しても、私と同じ個体は見つかりませぬ。ミリィは唯一無二です。ミリィの体験したこと、ミリィの思ったこと、ミリィの伝えたかったこと。その一つ一つが私なのです。私は唯一無二。複製を作ることは容易いですが、それは容姿だけ似通った、まったく違った名前の全く違う生き者になるでしょう」
「お前みたいに六年間引きこもってたやつなんて初めてだぜ」
「私の初めても、大体殿下に差し上げました。男の人って女の初めてになりたがるのでしょう。女は最期の女になりたがると言うが、私はどうやらそうではないらしい」
「多兄弟は災の種だ」
俺は淡々とした口調で言う。
「そなたが私の最期の女だ、ミリィ」
「重いなあ」
苦笑するミリィ。
「昔のそなたよりはマシだ」
悪びれずに言い返す。
ツガイはそのうち二匹並んで寝息を立て始めた。
それを、憧れるように眺めるミリィ。
「帰ろうか」
杖をよじ登って、ミリィの頭を撫でる。
「子供扱いはもうやめてくださいまし」
苦笑交じりに言うミリィ。
「そなたの子供期間が長かったのだ」
「旦那様がうっかり者だと苦労して成長します」
「よく言う」
「あー、執念深いって思ってるんだ」
「正味な話、気苦労の量では俺のほうが多い気がするぞ」
「子供に魔力が遺伝する可能性は考えなかった癖に」
痛いところを突かれる。
「どうせ愛のあるなんとやらに惹かれていたのでしょう。盲目になるのが貴方の悪いところです」
「……お前に言われちゃおしまいだ」
溜息混じりに言う俺だった。
まったく我が細君には敵わない。
冬が開けた。
竜の子供が、嘴を突いて卵のからを破る。
それを咥えると、竜の一家はどこかへ去っていってしまった。
「越冬ですね」
しみじみとした口調で語るミリィ。
「そろそろ連絡が来るかな」
あの謎の声は、あれきりだ。
「そろそろ出産の時期が近づく。妊娠中の魔力の訓練はリスクだとミリィの母親の例から知れておる。胎児のうちから高純度の魔力の鍛錬を積む親が傍にいたり母体だったりすると、ああいった事故は稀に起こるらしい」
「なら産後の訓練になりますかね。いつまで滞在できますか?」
「リーシェが交渉しておる。奴ならば問題あるまいよ。出来た姑だ」
苦笑交じりに言う。
冬が明けた。
ヨルムドにいるのも、あと少し。
つづく




