第2話「導き」
前回までのあらすじ
5年前以降の記憶を失っていた戦災孤児のアタナシアは養子として育てられてきた。幸せな生活を送るある日のこと、城下の祭りから帰る途中、野犬に襲われて死亡する。
しかし、目を覚ますと自身の体は「燃えない炎」に包まれて再生していた。
果たして自分は人間なのか……不安が彼女の胸中を支配していた。
温度を携えた光が窓より内に立ち入った。遥か彼方、上空に居を構える太陽は、一人物言わず真っ青な天の海を泳いでいる。
むくり、と上体を起こす。複雑な感覚だ。心地の良い朝ではあるのだが、なんとも居心地が悪い。
カーテンを開けて外を見ると、春の名残の夏雲雀は空を低く飛んでいる。土と草の混じった香りが鼻をくすぐる。
掛け布団を押しのけてベッドに一時の別れを告げると、部屋に置かれたクローゼットを開ける。
昨晩の出来事を確かめなければならない、とそう思った。確かめたくはない、とそうも思った。
クローゼットの下には藁を編んで作った籠が置いてある。その蓋をすっ、と開くと、中には衣服が入っていた。
昨日、私が祭りに着て行き、そして野良犬に食い殺された時の衣服が。
襟元から胸の辺りまでかけて、赤黒く染まって、カピカピと乾いている。持ち上げると、パリパリ、ポロポロと固まった血液のカスが落ちた。
昨日の出来事は、本当にあったことなんだ。これだけの血が出て、あんな一瞬で傷が治るはずが無い。それに、あの時の炎……あの時の声は───。
もし、私が人間じゃないっておじさんやおばさんにバレたらどうしよう。二人はどんな反応をするんだろう……。私を、怖いと罵るだろうか。ここから出て行けと追い出すだろうか……。
ぶんぶん、と頭を振った。嫌な考えを頭から追い出すように。おじさんやおばさんは良い人だ。そんなことはしない。しないに決まっている。
モヤモヤと心臓に絡みつく不安を治めるように、深く息を吸って吐いた。
よし。ちゃんと話そう。おじさんとおばさんは、私をここまで育ててくれたんだ。二人にこれを隠しながら生きていくのは、何か……形容しがたい裏切りのような気がする。
部屋の扉を開けて、タン、タンと、軽快な音を立てて階段を降りる。リビングに繋がる扉を開けて、出来るだけ、普段通りの声色で「おはよう」と言った。
「おはようアタナシア。朝ごはんできてるから食べちゃって」
おばさんがそう言う。テーブルには、トーストされたパンにベーコンエッグ、トマトとレタスのサラダが置かれていた。いつもの朝食だ。
食卓につく。
「……ヘンゼルおじさんは?」
「あの人ならもう畑仕事に出てるよ」
「……そうなんだ」
出来るだけ、三人揃っている時に打ち明けたかったけど……いいか。とりあえず、ここにいるおばさんにちゃんと伝えよう。
「あのね。おばさん」
きっと受け入れてくれる。
「なぁに?」
「その……」
言え。言うんだ。
ちゃんと、話さないと。
「昨日のお祭り、楽しかったよ」
おばさんはふふっ、と笑った。
「知ってるわよ。昨日帰り遅かったじゃない。沢山楽しんできたからでしょ?」
違う。
違うんだよ。おばさん。
昨日私は野犬に襲われて、一度死んで……だから帰りが遅くなったんだよ。
なんて。
言えるわけが無い。
言ってしまえば、この幸せが崩れる気がして。話してしまえば、もう、自分が人間じゃないことが確定してしまう気がして……。
そうして私は結局伝えられないまま、朝食を食べ終えた。その後、自室に戻って破れた作業着を繕うため、裁縫の道具を取り出した。
糸の先を少し口に含んでから、針に通す。
裏地から入れて針を、水面を飛び跳ねるイルカのように、裏表裏表と生地の面を行き来させる。
「痛っ」
針がチクっと、親指に刺さった。
傷口からぷつっ、と小さな球形に血が溢れる。それを口に持って行って吸う。
血は止まったが、傷口は塞がった感じがしない。昨日のように、燃えない炎が出ることもない。
……もしかして、昨日のは本当は夢で……いいや、違う。血まみれの洋服と言う動かぬ証拠がある。それなら何故……。
「あ」
そうか。死ななかったからだ。考えてみれば今までだって、多少の怪我を負った事があるが、その度にあんなことが起きていたわけではない。死んだ瞬間に再生するのだ。
それはつまり、死にさえしなければ今までとなんら変わりない生活を送れると言うことだ。
気に病むことなんてない。気負うことなんてない。
人生で死ぬなんてこと、そう滅多に無いんだから。
大丈夫……。大丈夫。私はまだ、大丈夫だ。
夜。そろそろ寝ようかしらん、といった頃合だった。ドンドンドン、と扉を叩く音が聞こえた。切羽詰まったような音だった。
何事かと部屋から出て一階に向かうと、玄関でおばさんと誰かが話していた。
あれは……グレイとマリーの母親だ。
「アタナシア!」
おばさんが私を呼びつける。
「今日、グレイとマリーを見かけなかったかい?」
「見かけてない……私、今日外出てないから……。何かあったの?」
恐る恐る、私は聞いた。
「行方が分からなくなってるの。今、この辺のみんなで探してるって……」
おばさんが答える。
「私も探しに行く!」
そう言って、パジャマのまま、私は飛び出した。何か嫌な予感がする。
恐ろしいことが起こる。そんな予感が。
外に出ると、ポツポツと灯りが見え、あの双子を呼ぶ声が響いている。
私も名前を呼びながら探し回った。
「おーい!グレイー!マリー!」
返事はない。
どこへ行ってしまったんだろう。
森や山の中で遭難しているのか。どこかの沼にはまってしまったのか、川に流されてしまったのか。分からない。森の奥には危ないから行くな、とこの辺の子供達は耳にたこができるほど聞かされている。奥に行くと、迷って帰れなくなると……。もしかしたら立ち入ってしまったのか?
とにかく、開けたところには確実にいない。
そうこうしていると、ヘンゼルおじさんを見つけた。猟銃を持っている。向こうも私に気付いたらしく、
「アタナシア!お前も来ていたか」
と、私を手招いた。
私は、「森や山の中を探そう」と告げた。
「ふむ……そうだな。私が行ってくる。お前はここに……」
「嫌だ!私も一緒に探しに行く!」
「ダメだ。どれだけ夜の自然が危険か、分かっていないだろ!」
「分かってるよ!危ないことくらい。でも、あの二人の方が、今は危ない目に遭ってるかもしれないんだよ!?」
そうだ。危ないことは知っている。昨日、私はその夜に野犬に殺されたのだから。あの二人も襲われているかもしれない。
「……分かった。しかし、俺から離れないようにしろよ」
とおじさんは言って、持っていたランプを私に託した。
夜の森は、奥に踏み入る程この世のものでないように感じられた。これまで散々共に暮らしてきた自然が、まるで他人のような……牙を剥いてこちらの様子を窺っているような感覚になる。
木々のざわめきが、草木を踏む音が、虫の鳴き声が、心を騒ぎ立ててくる。
チャリ、と足で何かを踏んだ音がした。
足元を見ると、それは───
クラゲのイヤリングだった。
私が昨日、マリーに買ってあげた。
「おじさん!これ!」
私はそう言っておじさんに見せ、そのことを伝えた。
「……これは」
彼がしゃがんで地面を見る。イヤリングのすぐ隣を見ているようだった。
「轍だ。消されかかっているが、間違いない。何か馬車のようなものがここを通ったのだ」
確かに、目を凝らすと線のようなものが薄らと残っていた。
その轍は、森の奥深くに向けて伸びている。
終端の見えぬ暗闇に誘うように。
次の回も同時投稿されているのですぐに読めます!
序章の中のプロローグが次回で一旦終わります。お楽しみに。




