6 転落
馬車が大きく傾く。姿勢を保持していられない。
そして大きな水音。
「な…なに…っ?がっ!?」
僕たちの身体は床になった天井に叩きつけられ、水が入り込んでくる。リトは反射的に体勢を立て直して立ち上がったが、僕は背中のジンジンする痛みを堪えながら、リトに支えられてのそのそと立ち上がるしかない。
触れた腕から、リトの心の声が流れ込んでくる。
《下手な御者め、脱輪させたな。それもよりによって皇子が乗ってる馬車を、こんな深い川で…フレイアに殺されるぞ》
「だ、脱輪っ!?」
「そっすね。それで馬車がそのまま川に落ちたっす。脱輪したのが田んぼのあぜ道とかだったら、まだよかったすけどね」
「どっ…どうしたらいいですか?」
「どうしようもないっすね。扉の鍵は外からかかってますし。衝撃で外れてないかな?うーん、だめっぽいすね」
《フレイアが特別頑丈に作らせた馬車だから、剣でも壊せない。やるだけ体力の無駄だから、今は温存しとかないとな》
こんな状況なのに、なぜリトは落ち着いているのだろう。もしかして、よくあることなのだろうか。いや、よくあるとしても、こんな事故に自分が巻き込まれるなんてごめんだ。
「とりあえず呼吸を整えて空気を大事にして、助けてもらえるのを待ちやしょう」
「そんな悠長な…っ!ど、どうやって呼吸を整えろって…」
「小川のせせらぎが聞こえる森を思い浮かべてください。穏やかな気持ちになれるっすよ」
「そ、そんなのっ…」
「無理なら、凪いだ朝焼けの海でもいいっす。花が咲き乱れる草原もおすすめすね」
「い、いや…」
こんな状況では、どれも無理だ。
落ち着かなきゃと思うのに、呼吸は荒くなってくるし、水もどんどん入ってきて、もう胸あたりまで浸かっている。
春が始まったばかりの季節、まだ水は冷たい。その冷たさが死を予感させる。
「ううっ…」
寒さと怖さで、ガタガタと身体が震える。
「大丈夫っすよ、旦那」
リトはそう言ってくれるけど、僕の身体を支えてくれる腕から《思ったより水の侵入が早いな。早く助けが来ないとまじで危ないぞ》という本音が聞こえてきて、焦りが増幅する。
それでもリトが僕にかける声は、のんびりしている。落ち着かせようとしてくれているんだ。
「旦那、絶対死なないから大丈夫っすよ。みんなが助けに来てくれるっすからね」
「は、はい…」
「俺ら美男子軍団だけど、顔に似合わず強いっすから!ってあれ、おもしろくないっすか?騎士団では鉄板のギャグなんすけど」
《まあ今の状況なら無理か。つか、こんなことなら遠征前にキラに告っとけばよかったのに、俺のチキン野郎。一回もキスできないまま…ってか手をつなぐことすらできないまま死ぬなんて》
愛する人がいるのに、リトはこんな若さで、僕のせいで死ぬのか。ごめん、リト。
「ひっひっ…ひぃ…」
「旦那?もしかして過呼吸持ちすか?」
「わかりませ…息が…」
《くそ、袋かなんかあればな…》
「大丈夫す、過呼吸では死にません。ゆっくり息を吐いてください。まず吐くっす。まだ空気は残ってますよ」
「ゆっくり」と言われても、呼吸を自分で制御できない。だって僕の周りだけ、何故か空気が足りない。リトは「死なない」と言ってくれるけど、死にそうなくらい苦しい。
死ぬ?
本当に死ぬのか?
嫌だ。
忌み嫌われる能力をもって生まれてきて、家族に嫌われて、隔離されただけの寂しい人生だった。
生き延びたところで、これからも能力を隠しながら、人の心が読めるのに誰とも深い関係を築けないまま、生きていくのかもしれない。
そうだとしても、まだ死にたくない。
だって彼女に出逢えたから。
あんな盲目的に僕を褒めてくれて、恥ずかしくてくすぐったいけど温かくて。
「皇帝と息子は違う」って庇ってくれて、だから騎士も謝ってくれて、リトは食トレしようって言ってくれて。
彼女と出逢ってからまだ数日なのに、今までだったら想像もしてなかったことがいくつも起きて、だから彼女だったら…彼女とだったら…
「旦那、息を吐いて!」
もう、だめだ。
ドゴォ!!
《アルヴィン!》
衝撃音とともに燃えるような赤髪が見えたのを最後に、僕は意識を手放した。




