38 帰りたくない
《ねえ、もうちょっとゆっくり進まない?》
バテてしまったらしいローグがそう訴えてくる。
「そうだね…並足でいいよ」
《追手がいるわけじゃないんでしょ?なのに何を焦ってるの?》
早くアンデ城から離れたかった。早く忘れたかった。全速力のローグにしがみつくことで、考えを止めたかった。
並足で身体に余裕ができると、考えてしまう。
《顔、見たくない》
《早く出てって》
そして最後に見た背中が示していた、拒絶。
「私はお前のことが好きだ。十一年前からずっとな!」という脅すような声も、柔らかいキスの感触も「待って」という甘い声も、拒絶の記憶に覆われて、触れたくても触れられないほど遠くなってしまう。
胸が締め付けられる。
「はあ…」
《ため息?もしかして、あの野生の女に振られたの?》
「そう。振られて当然なんだけどね。今まで一緒に過ごせただけで奇跡みたいなものだから」
《ふうん…人間って随分諦めがいいんだね》
その瞬間だった。
「おられたぞ!」
鋭い声とともに、前方の森から数騎の影が現れた。甲冑がウエスパシア式だ。
「第三皇子殿下だ!」
《こんなところで見つけられるとはな…獣たちの城に忍び込んで連れ出す手間が省けた。予定より早く帰ったら、褒章は増額されるだろうか》
リーダー格らしい男が馬から飛び降り、僕の前で膝をつく。他の騎士たちも次々と僕に頭を下げる。
「第三皇子に拝謁いたします。ウエスパシア帝国第一騎士団のエーリヒ・ブラウエンでございます。光り輝く皇帝陛下と皇太子殿下の命により、第三皇子殿下をお迎えにあがりました」
彼の心も同じことを考えていて、嘘はない。
父と兄は僕をウエスパシアに連れ戻そうとしている。僕を厄介払いしておいて、あまりに突然すぎる。なぜ。
「ひどく突然ですが、理由は」
「病身でありながら皇族としての責務を全うし、ウエスパシアを救うため赤猪の婿になった皇子殿下を、お二人は心より心配しておられます。そしてこのほど、我々に殿下を救い出すよう命じられたのです」
《まったく…こんな病弱の役立たずになにができるんだか。陛下は「第三皇子殿下さえウエスパシアに戻れば、属国の反乱も重臣たちの離反も抑えられる」と言っておられたが…》
僕はびくりと身体を硬直させた。
《私たちの能力は嫌われることもあるけど、狙われることもある》というウィナの言葉が蘇る。
父と兄は、国が崩壊しそうになるほど追い込まれて、ようやく気づいたんだ。僕の力の使い方に。交渉、尋問。裏切り者の炙り出し…心を読む力の価値に。
「皇子殿下を想う皇帝陛下と皇太子殿下のお心の、なんと美しいことか」
違う。父と兄は…自分たちの保身しか考えてない。忌み嫌って離宮に閉じ込めた挙句に厄介払いした挙句、自分たちが追い詰められたら連れ戻そうとするなんて。
「怒ってもどうしようもない」「こんな能力をもって生まれてきた自分が悪い」と押し殺していた怒りが、ふつふつを湧き上がってくる。
「お見受けする限り、皇子殿下も野獣の巣窟から逃げてきたご様子。ここからは私どもがお供いたします」
《感謝しろよ。役立たずが誇り高き第一騎士団に守られて帰還できるだなんて》
ウエスパシアになんて戻りたくない。彼らが「野獣の巣窟」というテムのほうが、人を人として扱わないウエスパシアよりもよほど人間らしく誇り高い。
「…断ります。ウエスパシアには戻りません」
「なっ…!?」
《なぜだ!?皇帝陛下と皇太子殿下がわざわざ精鋭の我々を遣わしたというのに…!いやそれよりも、連れて帰らないと俺たちが罰せられるんだぞ…》
僕はさっと手で彼らを制す。
「僕をウエスパシアに連れ帰ったら、あなたたちが誰にも話していない秘密を暴露します。秘密をバラされたくなかったら、僕のことは放っておいてください」
エーリヒは「はん!」を鼻で笑う。
「どうやって私どもの秘密を暴露するというのですか?」
「父と兄が必要としている、僕の能力を使ってです」
「は…?」
「僕は人の心を読めるのです」
「まさか!そんな話は聞いたことがございません」
「しかし事実です。父と兄はこの能力で自分たちの秘密が公になるのを恐れて僕を閉じ込め、今は状況を打破するために僕を求めているのです。証明しましょうか?」
僕は「手始めに」と、エーリヒのうしろで所在なげに身体を動かした騎士の目を見つめた。




