19 守りたいから
今、僕はアレイル族の本拠地であるテム王国内のライゼン城で暮らしている。
「アンデ城を出ても、ウエスパシアには戻れない」というと、カイはため息をついて、自身の居城に僕を連れてきてくれた。酒樽に入れられての移動は辛かったけど、おかげで誰にも見つからずに抜け出せた。
ここに来てからは、「アル」という名前で厩舎係をしている。馬の考えがわかるので「馬のストレスを軽くしてくれる厩舎係」としてカイにも馬にも重宝されていて、充実している。
心にぽっかり開いた穴から、彼女の匂いや仕草や言葉が溢れ出してきそうになるのを、仕事で塞ぐ毎日。
「彼は悪い人じゃない。彼も僕も彼女を守りたいっていう気持ちは同じ。だからこれで正解なんだ」と呟くと、《アル、そんなことより散歩はまだなのぉ?》という声が答えた。
「ああ、ごめんねナビ。レディを待たせるなんて僕は紳士失格だな」
《まったくだわ》
僕は「名馬を産む」と大事にされている牝馬のナビを厩舎の外に出して、散歩を始めた。
ーーー
あの日、カイは、初対面の僕に「フレイアから離れろ」と言った。
「理由を聞かせてもらえますか」
《ほう…激高しないか》
「フレイアの立場が危うくなるからです」
僕は虚をつかれた。
「テム王国はウエスパシア皇族の血を入れて、箔をつけたかったのではありませんか」
カイは「はん」と鼻で笑った。
《お高くとまったウエスパシア皇族様らしい発想だな》
「テムは箔など必要としていません。箔などなくても我々は強い。ウエスパシアやその他の国が我々を”下賤”だの”獣”だのと蔑んでも、我々が自らへの誇りを失うことはありません」
「それならば、なぜ女王は僕と結婚したのでしょうか」
わざわざ自分の不利になる政略結婚をする女王が、どこにいるというのだ。講和時にはテム王国が圧倒的に有利だったから、ウエスパシアが僕の婿入りを強要したわけでもない。
カイは心の中でちっと舌打ちをした。
《それがわかんねぇからいらつくんだよ。なんで中途半端に講和なんかした?あそこまで攻め込んだなら、徹底的に帝都を破壊すりゃよかったのによ》
「わかりません。直接話を聞きたいと思って忙しい中ここへ来たのに、タイミング悪くフレイアは遠方視察に出ていて帰還予定もわからずに会えずじまいになりそうですし。けれどこの結婚は確実に、フレイアにとって不利なんです」
テム族は自分たちに誇りを抱いている。だから王の血筋に、自分たちを抑圧してきたウエスパシア人の血を入れることには反対なのだ。
「あなたも養成訓練で感じたでしょう。ウエスパシアやあなたへの憎しみは、子どもですら強い」
セグの「うざ」が蘇って、僕は唇を噛んで頷く。
「ウエスパシアから命じられた過酷な戦役に従事した大人なら、より憎しみは強くなります」
「僕への憎しみが陛下への不満となって、結果として彼女を危険に晒す…」
「おっしゃる通りです。もう一人の部族長セリムは、フレイアを”本家の跡取り”として尊重はしていますが、意見がぶつかったときには実力行使も辞さないでしょう。武力衝突まではいかなくても、国の運営に力を貸さなくなることは十分考えられます」
《わかってくれ。俺はフレイアを守りたいんだよ。わからなくても強制的に連れてくつもりだが、手荒なことをしなくて済むなら、それに越したことはねえ》
僕だって、彼女が苦境に陥るのは望まない。
僕がいなくなったほうが彼女にとっていいのなら、迷う必要はない。
いくら胸がきしんで「嫌だ」と叫んでも、僕の気持ちなんて重要じゃない。
「わかりました。あなたの言葉に従います」
ーーー
僕が別れを告げることができたのは、ローグだけだった。ローグの厩舎の柵に、餞別として女王からもらったハンカチを巻く。
「僕の持ち物の中で、一番価値のあるものだから…お世話になった君にあげる」
本当は持っていきたいけれど、持っていったほうが辛くなる。
《急になんで?》
「アレイル領で暮らすことになって…もうお別れだから」
《せわしない人間だな、君は》
「そうみたい。今まで本当にありがとう」
《今生の別れみたいに言うんだね。だけど僕たちはまたすぐ会えるって、僕の野生の勘が告げてるよ》
思わず笑ってしまう。生まれたときから人間に飼われているローグの「野生の勘」だなんて。
《信じてないね?でも本当だってば》
「本当にそうなったらいいね。そのときまで、どうか元気で」




