番外編3:セシル
セシルは、自然に宿るものたちと会話をすることができる。稀有な才能、けれどそれを活用する術を、彼は知らなかった――
まだ、セシルが年端もいかない子供だった頃。
男に乱暴に手を引かれて、セシルは毎日暗く深い穴に潜っていた。ボロボロの服に、擦りきれた靴。セシルと同じような格好の大人が、ツルハシを片手についてくる。彼らは誰も、何も声を発しないのに、セシルにはざわざわとした雑音のような声が常に聞こえ続けていた。
セシルはふと、足を止めた。遠くから、見えざるものたちの『音』が聞こえた。声と言うには弱く、澄んでいて、意味を持たないもの。
「……ここ」
声が聞こえた壁を指差す。セシルを捕まえている男が、後ろの人間たちに指示を出した。彼らはのろのろと動き出し、ツルハシで壁を掘り始める。
一度『音』を聞けば、しばらくセシルの仕事はなくなる。地上で腕を鎖で繋がれ、穴を出入りする大人たちをぼんやりと眺めるだけの日々が続く。
やがて、大人のひとりが緑色をした小さな石を持って穴から出てきた。その石は、セシルにだけ聞こえる『音』を発している。それを伝えると、周囲の人々から歓声が上がった。
「間違いない、精霊の涙だ!」
今なら、わかる。
セシルは奴隷で、オルコット領にある魔石鉱山で働かされていた。セシルが様々なものの声を拾えることを利用して、大人たちは『精霊の涙』や他の魔石の場所に当たりをつけ、採掘していたのだ。
高値で売れるとお祭り騒ぎになっている大人たちを尻目に、セシルは無表情で地面を眺めていた。
聞こえているざわざわが大きくなる。
何かが起こる。
そんな予感に、セシルは顔を上げた。
『セシル、崩れるよ。逃げて』
見えない何かが、セシルに話しかけてくる。返事をしたり、その内容を大人に伝えると「頭がおかしい」と言われるから、セシルは黙っていた。
どおんと、遠くで何かが崩れるような音がした。続いて地面が大きく揺れる。穴の中から、悲鳴が聞こえた。
地上にいた人々が呆然と立ち尽くす。
「落盤だ……」
誰かが呟く。その言葉の意味を、セシルは知らない。だから次の命令がくるまで、黙ってそこに立っていた。
それから、セシルが穴に連れていかれることはなくなった。あの時地上にいた大人たちは、装備を背負って穴に入っては出てくる。あの時揺れの時に地下にいた人たちの姿を、もう見ることはなかった。
何日かして、身なりの良い人たちが大勢来た。あの穴を調べているらしい。
その人たちの中に、赤い髪の、18歳くらいの少年がいた。大人に混じってメモを取ったり、魔法で土砂を穴から運び出したりしている。時々セシルをちらりと見て、セシルを穴へ連れていく大人と話していることもあった。
『あの子、すごく強い魔法使いだね』
見えざる声がそう言ったから、印象に残った。
また、何日か経った。身なりの良い人たちはここからいなくなるのか、荷物をまとめている。
例の少年は、真っ直ぐにこちらに近寄ってきた。
「君、名前は?」
「……」
名前……。ここでは名前なんて必要ないから、一瞬言葉が出てこなかった。
『この子はねー、セシルだよ。仲良くしてあげて!』
見えない声が言う。少年は何かを感じているらしく、きょろきょろと周囲を見回している。声が直接聞こえているわけではないようだ。
「……セシル」
名前を言うなんて、久しぶりだった。見えない声がいなければ、忘れてしまっていたかもしれない。
「俺はサイラス。良ければ、一緒に来てくれないか?」
サイラスと名乗った少年の言葉に、セシルはぱちりと瞬きをした。
「どうして」
「君の力は、もっと色々なことに使えると思う。その手伝いがしたいんだ」
彼の青い瞳が、キラキラと輝いている。
「……頭がおかしいのに?」
「おかしくなんかない。君には特別な力があって、その使い方を知らないだけだよ」
そう言って、彼は手を差し出した。セシルは彼と手を見比べて、それからおずおずと彼の手を取る。
「わかった」
彼の手を取ってから、セシルは色々なことを知った。知識を得て、無知な自分が犯した罪に気付いても、セシルはサイラスの手を取ったことを後悔したことは一度もない。
ただあの人に早く追い付きたいと、そう思った。
*
「俺はいらない」
サイラスとレティシアから『ピンブローチの改良』の話をされた時、セシルは即答で断った。
午後の研究室に、少しの沈黙が落ちる。
「セシルくん……」
レティシアがこちらを見ている。恐らく、セシルが強がりで断っているのではないかと心配しているのだろう。
『セシル、いいのー?』
見えざるものの声が、耳元で響いた。続けて、ふわりふわりとセシルの周囲を飛び回る気配も感じられる。
――精霊。
分類上はセレストと同じ生き物だけど、その力は彼女より大きく劣る。セレストは空を飛んだり土地を豊かにしたり、人間とは全く別格の魔法を使う。
けれどセシルの周囲にいる精霊たちはそれよりずっと弱く、せいぜいセシルが魔法を使うときに多少補助をしてくれる程度。人間で言うなら、大人と子供程に違う。
子供の頃からずっと聞こえていたそれの正体を知ったのは、ここに来てからだった。
「別にいい。これで十分」
セシルは今のピンブローチを気に入っていた。ずっとセシルの近くにいる精霊の声は聞こえて、それ以外の有象無象の声は遮断できるから。
『セシル、僕たちの話を聞こうとしてくれるんだ』
はしゃいだような声。こういうウザい時もあるけれど、彼らの声が聞こえなくなったら、セシルはセシルでなくなってしまう気がした。
――子供の頃は、頭のおかしくない、普通の人間になりたかった。でも、今は違う。
真正面に座るレティシアを眺める。その胸元には『精霊の涙』が輝いていた。
彼女は今、18歳を迎えてここにいる。
それで、十分だった。
次回から後日談後編を投稿していきます。




