後日談3:夢の中だから
季節は移ろい、少しずつ冬の気配が増してきていた。
自室で仕事をしていたレティシアはペンを置き、本から顔を上げる。窓の外、月明かりはいつの間にか大きく角度を変えていた。
「もう、こんな時間……」
本を閉じる。疲労を感じて、レティシアは背もたれに身を預けた。
明日は、朝からサイラスと共に王太子殿下との謁見がある。あえて朝一で予定を組んでくる辺りに、王太子殿下からサイラスへの友情らしいものを感じなくもない。レティシアはそれを思い出してくすっと笑ってから、ふと笑みを消した。
(寝なきゃいけないと、わかってはいるけど……)
悩んだ末に、結局立ち上がり、ゆっくりと部屋を出た。屋敷内はすでに消灯されていて薄暗い。部屋から持ち出した魔法のランプに触れるが、それは光を放たなかった。
胸元を飾る青薔薇のピンブローチに、そっと指を沿わせる。冷たい感触が胸に刺さる。
サイラスが近くにいないことを、反応しないそれがなによりも物語っていた。
薄暗くとも、もうすっかり慣れてしまった屋敷の中だ。レティシアはゆっくりと、しかし迷いなく屋敷内を歩き、玄関ホールまでやって来た。玄関扉はぴたりと閉ざされている。
(サイラス様)
明日になれば会える。そうわかっているのに、ついこんな所まで来てしまった。
最近、レティシアがオルコット家の進退のことで忙しいのと同様に、サイラスも王太子と協同して教会の件やセレストの扱いを取り決めるために動いている。
だから、同じ屋敷の中にいるのに、顔を合わせる機会がほとんどなくなっていた。今も、ティンバー本邸の方に出掛けていて、まだ帰ってきていない。
(……寂しい)
そう思うのは、とても贅沢なことだとわかってはいるけれど。
ダイニングから椅子をひとつ持ってきて、玄関ホールに置いた。そこに腰掛け、開かない玄関扉を眺める。
緊張のあまり詰めていた息を、ゆっくりと吐き出した。
いつかわからない帰宅を待つような真似をして、彼に会って、それからどうしようというのだろう。お互い忙しいのは承知している。今は重要な時期だとわかっている。こんなことでサイラスの手を煩わせるべきじゃない。
そう思うのに、どうしても動き出すことができなくて――レティシアはいつの間にか、瞼を閉ざしていた。
「……レティシアさん?」
聞きたくてたまらなかった声が、耳をくすぐった。顔を上げると、会いたかった人の顔がある。
レティシアはふわりと微笑んだ。
(なんて、幸せな夢なんだろう)
満たされた心を噛みしめていたら、髪をゆっくりと撫でられた。それが気持ちよくて、レティシアは彼の手に身を寄せる。
サイラスのすぐ後ろにいたロードリックが、ニヤニヤしながら足早に廊下へと消えていった。
「もしかして、待っていてくれたんですか?」
聞かれて、こくんと頷いた。
「貴方に会いたかったので……」
夢の中だから、素直に言えた。サイラスが息を呑む。驚きと戸惑いが入り交じったような表情。彼の新しい一面を知って、レティシアはまた表情を緩める。
(もっと、貴方を知りたい)
その気持ちが溢れて、止まらない。レティシアは椅子から立ち上がり、サイラスへと一歩近付いた。彼が目を瞬かせる。
「レティシアさん――」
サイラスが何かを言う前に、レティシアは彼に抱きついていた。背中にゆるく腕を回し、胸板に顔をくっつける。間近で感じる彼の香りに、くらりと頭の芯が痺れた。
「寂しかったです」
告げると、抱きしめている人が身動ぎする。レティシアは彼を見上げた。視線が交わる。彼は顔を赤くし、こちらを見下ろしていた。
いつも余裕な彼から一本取れたようで、レティシアはふふっと笑った。
「夢だから、いいですよね」
「……貴女は、本当に……」
サイラスは大きく息を吐いた。彼の腕がレティシアを抱き寄せ、更に距離が縮まる。
「これは、夢ですから」
彼の顔が近付く。額にキスが落とされた。ふれあいはほんの一瞬。なのに、その柔らかさと温かさが残っている気がして、レティシアは首を傾げる。
サイラスは真剣な顔をしていた。青い瞳に宿る光に魅入られたように、レティシアは一歩も動けない。
「行きましょうか」
サイラスの声が響いた直後、レティシアの体は軽々と横抱きにされた。落ちないよう、レティシアはぴたりと彼にくっついた。サイラスは歩き出す。階段を登って、2階へ。どこに行くつもりなのだろう。
運ばれている間、レティシアはずっとサイラスを見つめていた。すぐ近くに、体の顔がある――よくわからない衝動が溢れて、レティシアは思わず、その頬に唇を寄せていた。
「……っ」
歩調が一瞬、乱れる。
「サイラス様?」
「全く……意地悪なのは貴女でしょう」
サイラスの言いたいことがわからない。きょとんとするレティシアには答えず、サイラスはおもむろに、自分の部屋の扉を魔法で開けた。
「貴女がいけないんですよ」
そう言うサイラスの声は、いつもよりも低い。
背後で、音を立てて扉が閉まった。
続きます。




