後日談1:目覚まし係
後日談前編です。
開け放たれた窓から入る風が、カーテンをささやかに揺らした。東から差し込んでいた光が、徐々に方角を変えていく。
レティシアは自分の部屋で机に向かい、教本の内容を書き写していた。その隣に立つ赤髪の女性は、レティシアの手元を見て、表情を和らげる。
「よくできているよ」
「そうでしょうか……」
「うん。愚兄の妻にするのが勿体無いくらいだ」
フレデリカの言葉に、レティシアはつい頬を赤らめてしまう。そんな様を見て、彼女はまた笑った。
ここ最近、レティシアはフレデリカから爵位ある貴族の仕事や、領地経営の基礎を学んでいた。両親が亡くなって以降、レティシアは『器』としてしか扱われなかったから、その辺りの勉強は独学のみ。
それを取り戻すためにサイラスが紹介してくれた家庭教師が、実務に明るいフレデリカだった。
オルコット家をどうするか――近いうちに、王太子ハワード殿下と話し合いを進めていかなければならない。レティシアは決意を新たにして、机に向かった。
近衛騎士であるフレデリカは、午後には城に戻らなければいけない。だから勉強会は午前で終わり。
昼になったので、レティシアとフレデリカは揃って部屋を出る。ちょうど近くにクレアがいて、サイラスの部屋の方へと歩いていくところだった。
彼女はこちらに気付いて、ペコリと頭を下げる。
「もしかして、クレアはお兄様のところに行くのかな?」
「はい。まだ起きていらっしゃらないので、起こしに行くところです」
はきはきと答えたクレアに対し、フレデリカは何故かにやりと口角を上げた。
(これは、フレデリカ様が何か企んでいる時の顔……)
レティシアは思わず身構えた。この兄妹は、時々とてもよく似ていると思う。
「クレア、私は君とぜひ話したいことがあるんだ。今すぐにね。とても重要なことだ」
フレデリカはそう言って、クレアの両肩をがしっと掴む。
「だから、兄を起こす役割はレティシア様に譲ってあげてくれるかな?」
「私が……」
レティシアの胸がどきっと跳ねた。実は以前から、一度くらいサイラスを起こしに行ってみたかったのだ。
しかし毎回、クレアにとりつく島もない勢いで拒否されていたから、決行できていなかった。
そんなレティシアの期待と喜びが顔に出ていたのか、こちらを見たクレアの表情に焦りの色が浮かぶ。
「あ! だ、ダメですよ! レティシア様をサイラス様のところには行かせませんんんー!」
小柄なメイドは抵抗しようとするが、現役近衛騎士に敵うはずもなく、拘束は少しも緩まない。
「昼まで寝ているところを見られたら、絶対幻滅されますー!!」
「いやもう知ってるんだから、今さらだよ」
「まだ目撃はされてないんですから、本当かはわからないじゃないですかっ!」
「往生際が悪いよ。それで幻滅されても、愚兄の自己責任だ」
フレデリカはばっさりと切り捨て、クレアを引きずるようにして歩いていく。角を曲がる寸前、フレデリカはちらりとレティシアを振り向き、ウインクをしてくれた。
「……ありがとうございます!」
その背中に声をかけて、レティシアは緊張しつつ、サイラスの部屋へと向かった。
扉の前に立っても、中からは物音ひとつしない。
一応、彼が自力で目覚めている可能性も考えて、軽くノックをしてみる。少し待っても、返事はない。
(……よし)
レティシアは一度大きく息を吸って、吐き出してから、ドアノブに手を掛けた。伺うように、そろりと扉を開ける。
一歩足を踏み入れただけで彼の香りに包まれて、訳もなくそわそわしてしまう。
サイラスの自室は、研究室と似た雰囲気だった。床は綺麗に掃除されているのに、本棚やデスクの上は雑多に物が散らかっている。そのアンバランスさに小さく笑みが零れた。
レティシアは視線を巡らせた。本棚、窓、観葉植物ときて、部屋の一番奥にベッドを発見する。
「……っ」
そこで眠っている人を見て、レティシアは息が止まってしまうかと思った。
普段よりも幼く見える顔立ち。少し乱れた赤髪がシーツに散っている。
寝間着の一番上のボタンだけが外れていた。見てはいけないものを見た気がして、レティシアは思わず目を逸らしてしまう。
息を殺して、じりじりと近付く。
「……サイラス様」
小声で声をかけるけど、サイラスはまだ気持ち良さそうに眠っている。
以前、クレアが「昼まで寝てますけど、寝起きは悪くないから、声をかけるどころか部屋に入ればすぐ起きます」と言っていたのに……。
(な、なんで!?)
自分で望んだことなのに、この状況に焦ってしまう。
「あの、起きて下さい。お昼です」
上擦った声で、もう一回話しかける。サイラスは僅かに身動ぎしただけで、目覚める気配はない。
レティシアはぎゅっと目を閉じてから、意を決してサイラスの肩に手を伸ばした。とんとんと軽く叩く。
「ん……」
サイラスの唇から、微かに吐息が漏れる。些細な仕草なのに、レティシアは飛び上がりそうになってしまった。
だけど、触れることは有効らしい。気を取り直して、レティシアはもう一度、サイラスに触れる。
「サイラス様、起きて下さい」
瞼は閉ざされたまま。彼の手がなにかを探すように伸びてきて、レティシアの手首をそっと握った。
「……レティシア……」
囁き声よりも小さな寝言に、レティシアは目を見開いた。




