60:明日も、明後日も
オルコットの屋敷の執務室――儀式を終えたその部屋に、レジーナの姿があった。レティシアたちはすでにオルコット家を出て、ティンバー家に帰っている。
机の上に残された本を開く。レジーナが敬愛する異母姉が遺した、たったひとつの記録。
『私は、セレストを否定したかったわけではありません。
ただ、あの子が――レティシアが、生きたいと願う未来を奪われることが、怖かった』
そんな言葉から始まる日記に、完璧で美しい姉とその夫が、セレストの『器』だと思っていた少女のために奔走した日々が綴られている。
レジーナは日記を、何度も、何度も読み返した。彼女の顔からは、表情が抜け落ちている。
姉の想いを知った彼女の心に何が浮かんだのか、知る者はいない――
*
精霊セレストの目覚めは、ティンバー公爵サイラスと成人を迎えたオルコット伯爵令嬢レティシアによって、国中に公表された。
それと同時に、レティシアを『精霊の巫女』として生け贄に捧げようとしたとして、王太子ハワードが教会とオルコット家、それから弟であるメルヴィンを糾弾。審問の元で罰則が科されることになり、人々から非難の声が集まっている。
少しの間、レティシアの周囲は騒がしくなった。
レティシアはサイラスと共に対応に当たり、少しずつ穏やかな時間を取り戻していった――
*
レティシアが目覚めると、まだ部屋の中は薄暗かった。すっかり馴染んだ、研究所の客室だ。
起き上がり、カーテンを開けた。まだ夜明け前で、中庭は薄明かりに包まれている。
テラスに置かれた植木鉢の中で、可愛らしい白い花が秋風に揺れていた。
「レティシアさん」
庭からサイラスが声をかけてくる。優しい声に、抑えきれない気持ちが込み上げてきた。
「今、行きます」
レティシアは部屋に戻り、ガウンを引っかけてから屋敷を飛び出す。サイラスは正面玄関前で、レティシアが来るのを待ってくれていた。
「ご一緒させて下さい」
そう言って、レティシアからサイラスの手を取った。彼は笑顔を浮かべて、手を握り返してくれた。
ふたりで並んで朝の庭を歩く。この穏やかな時間が、レティシアは好きだった。
いつもなら、この時間の庭には誰もいない。けれどこの日は、朝靄に紛れるように花を愛でる人影があった。
「セレスト?」
レティシアが呼びかけると、セレストは花から視線をこちらへと移動させた。
長い金髪に、翠の瞳。――セレストは、精霊の涙という器を基盤にして、魔法で人の姿を取っているらしい。その容姿はレティシアと双子のようにそっくりだった。彼女にとって、それが一番馴染む姿のようだ。
「はい。おはようございます」
セレストはレティシアに向かって淑女の礼をする。
「体は大丈夫ですか? 何か困っていることは?」
「特に不調はありません。レティシア、いつも気にかけて下さって、ありがとうございます」
セレストが微笑む。
彼女はそう言うけれど、レティシアの心配は尽きなかった。なにせ、無機物に精霊が宿るのは前例のないことなのだから。
「元々、レティシアの魔力はかなり高いですから。私は安定してこの世界に存在できていますよ」
そう言われても、レティシアは自分の魔力を感じたことがないから今一つぴんと来ない。胸元の精霊の涙に、そっと触れた。
セレストは何かから魔力の供給を受けなければ、この世界での存在を維持できないらしい。そのため、レティシアの魔力はこのネックレスを通してセレストに流れ込み続けている。
別に、それでも構わなかった。魔力があることよりもずっと、大事なものがあるから。
「私はもう少し、ひとりで庭を見て回りますね」
そう言って、セレストはさっさと踵を返して遠ざかっていく。
「……一緒は嫌だったんでしょうか……」
レティシアはセレストを、生まれた時からずっと共にいた、自分の片割れのような存在だと感じていた。お互いのために分離という形を取ったことは間違っていないと思うけれど、こういう時、少しだけ寂しいと思う。
「寂しがらなくても、気を遣ってくれただけだと思いますよ」
隣にいる人が、ふっと笑った。そのまま、ゆっくりと顔を近付けてくる。
「俺は、ふたりきりが良いです。レティシアさんはどうですか?」
耳元で囁かれて、心臓が止まってしまうかと思った。繋いだ手を振り払って逃げ出したい気持ちを抑えて、代わりに一歩、彼に寄り添う。
「わ、私も……です」
サイラスが感情を隠さず、満足そうに笑った。
「貴女が、自分から近付いてくれるようになって嬉しいですよ」
「恥ずかしいです……」
レティシアが主張すると、サイラスは笑顔を消して真剣な表情になった。その顔に、思わず見惚れてしまう。
「本当のことですから。……レティシアさん、俺は、ずっと前から、貴女が好きです」
「サイラス様……」
サイラスはゆっくりとレティシアの左手を持ち上げ、薬指に口付けを落とす。
「……!」
柔らかな感触に、胸が鷲掴みにされたように苦しくなる。
「ここに相応しい指輪を贈りますから、どうか俺と、ずっと一緒に生きていってくれませんか」
心からの誓いの言葉。
レティシアの瞳から涙があふれた。それを拭うこともできないまま、レティシアは深く頷いた。
「……はい。私も、貴方の隣にいたいです」
選ぶことで、失うものと背負わなければならないものがある。それをもう、レティシアは知っている。
「明日も、明後日も、ずっと」
それでも、レティシアは最愛の人の隣を選ぶ。
サイラスの顔を見上げる。青い瞳の奥に宿る熱を見つけて、レティシアは濡れた頬のまま、微笑んだ。
軽く背伸びをして、目を閉じる。
重なりあったふたつの影を、柔らかな朝陽が明るく照らし出していた。
これにて完結となります。お読み頂きありがとうございました。
評価、感想、リアクション等頂けますと嬉しいです。
数日後に後日談、番外編の投稿を予定しています。
活動報告にあとがきがあるので、そちらも見て頂けると幸いです。




