57:最後の夜
「レティシア様!」
会場を飛び出してすぐに声をかけられ、驚く。
廊下にクレア、ロードリック、セシルが立っていた。レティシアたちが出てきたのを見てそれぞれ表情を緩める。
「どうしてここに? 危険かもしれないから、屋敷の外で待機するよう伝えたはずだが……」
サイラスも戸惑っていた。
「『唯一の味方』が手引きをしてくれたんですよ。サイラス様は、必ずレティシア様を連れて来るからって」
(……唯一の味方?)
ロードリックの言葉に、レティシアは首を傾げたが、サイラスは心当たりがあるらしい。なぜか苦笑いを浮かべていた。
「助かる。もうあまり時間がないから、呼びに行く手間が省けた」
「そういうこと。はいこれ」
セシルが抱えていた書類の束と古い本を、サイラスに押し付ける。
「結論から言うと、あんたの推測はほぼ当たってた。オルコット伯爵夫妻は、娘と精霊セレストを分離する方法をずっと探していたらしい」
サイラスは書類に目を通し、頷く。レティシアは本を開き、中身を確認した。レティシアの母が使っていた日記帳のようだ。巫女として生まれてしまった娘を助けるため、父と共に奔走した日々の記録が綴られている。
「お父様とお母様が……」
ふたりがレティシアとセレスト、両方の命を救う方法も探してくれていたなんて、少しも知らなかった。
レティシアは精霊の涙に視線を向ける。それはうっすらと光を放ち始めていた。
レジーナの言葉通り、残された時間は少ない。
「はい、それで……っ」
言いかけたクレアの体が、ぐらりと傾いた。ロードリックが支えて転倒は免れたが、彼の顔にも隠しきれない疲労が見える。
「クレアさん、大丈夫ですか?」
「あはは……ちょっと、無理しちゃいました」
クレアが力なく笑う。顔色もあまり良くない。
「休める場所に案内します」
レティシアは全員を誘導する。
疲労しきっている3人を客室に残して、レティシアはサイラスを書斎へと連れていった。本棚に収まっているのは魔道書ばかり。その横の硝子の展示棚には魔法アイテムがずらりと陳列されている。
この8年、ほとんど使われていない部屋は、まだレティシアの父の気配が色濃く残っている。
「ここに帰ってきてから、それとなく教会の方に精霊セレストの話を聞いてみましたが、彼らはあまり多くを知らないようでした。お母様が持っていた持っていたオルコット家の歴史書に、古い時代の記載があるくらいです」
レティシアは本棚から古い本をいくつか引き出し、机に広げた。
そこには遺跡で見た情報と同じく、歴代の巫女がオルコットの直系に生まれ、赤子の頃から半ば監禁され、人と関わらず、ただ『器』としての扱いしかされずに育ってきたことが記されていた。
レティシアが家で育つことができたのは、母が教会に粘り強く交渉したからだったようだ。
「……酷いですね」
本を見て、サイラスは眉をひそめる。
サイラスも、3人が調べてくれた資料を机の上に並べた。書きなぐられた文字が、3人がどれだけ努力してくれたかを物語っている。
とはいえ、結果は芳しくない。資料によれば、レティシアの両親は『レティシアとセレストの魂は完全に融合している訳ではない。別の魂であるという核を示すことで、分離できる可能性があるのではないか』と考えていたようだった。
『それは、十分にあり得ることだと思います』
肯定したのは、セレストだった。
『私とレティシアはまだ完全に同一の存在ではありません。そこに分離の余地がある可能性は高いです』
レティシアがセレストとのやり取りをサイラスに伝えると、彼も同意してくれた。
「ただ、核だけでは足りない可能性があると、俺は思います」
「……器、でしょうか」
セレストとの分離に絶対必要なもの。レティシアの体を使えない以上、何か他のものにセレストという人格を移動させる必要がある。
「はい。オルコットの血族と同じくらい、セレストと馴染むものではなくてはいけません」
サイラスは少しだけ視線を落とし、言葉を選ぶように続けた。
「……以前から考えていたのですが、精霊の涙を使うのはどうでしょうか」
レティシアは思わず胸元に手を当てた。
『それなら、可能だと思います』
即座に、セレストが答える。
『精霊の涙は私そのものです。器としての相性は、問題ありません。ただ、精霊の涙がこの場にひとつしかない以上、私がレティシアの体に移る瞬間を狙う必要があると思いますが』
セレストの言葉を伝えると、サイラスは頷きつつも顔をしかめた。
「チャンスは夜明けの一度きりということですね」
「サイラス様……」
「大丈夫、必ず成功させてみせます」
サイラスが微笑む。そこに偽りはないけれど、滲む僅かな強張りに、レティシアは胸がつきんと疼いた。
自分自身の命よりも、彼の心が心配だった。
『レ……シア、きっと、……』
セレストの声が、遠い。自分の内側に集中すると、ようやくはっきり彼女の声が聞き取れるようになった。
(セレスト?)
『ごめんなさい、急に貴女の気配が遠くなって』
セレストも同じ違和感を感じていたらしい。
「あとは分離の核さえ見つかれば、魔法でセレストの魂を精霊の涙に結びつけ直せるはずですよ」
「魔法で? でも、私やセレストに魔法は効かないのでは?」
レティシアが不安を口にすると、サイラスは申し訳なさそうに眉根を寄せた。
「実は、精霊にも効く魔法を開発したんです」
やはり、サイラスはセレストを排除する方法を見つけ出していた。それを知って、レティシアはこっそり息を吐き出した。
同時に、魔法の可能性を改めて知る。
「そんな魔法があるんですね」
何とはなしにそう口にしたら、サイラスは僅かに視線を泳がせた。いつもの、魔法への真っ直ぐさが感じられない。
「サイラス様?」
じっとレティシアはサイラスを見据える。しばらく膠着状態が続き、折れたのはサイラスだった。
「この魔法は、自身の生命力を消費する魔法……なんですよ」
「だ、ダメですそんなの!」
レティシアが叫ぶ。
『ええ。レティシア、サイラスさんを止めて下さい。精霊の命を結び直すレベルの魔法なんて、人間には耐えられる訳がない』
セレストの呟きに、レティシアの顔からさっと血の気が引く。
「ですが、これしか方法が……」
「それでも、貴方がいない世界なんて嫌です」
我が儘なことを言っている自覚はあった。自分はサイラスにそれを押し付けたのに、自分は嫌だと突っぱねるなんて。それでもどうしても、譲ることはできなかった。
『レティシア、……』
セレストの声がまた遠ざかっている。意識を集中させると、彼女の声が戻ってきた。
『サイラスさんが魔法を使い始めたら、貴女が魔法を使って彼の生命力を補ってあげてくれませんか?』
セレストの提案に、レティシアは目を見開いた。
『幸い、この部屋には魔力の源である魔石がたくさんあります。魔力を補えば問題なく魔法は使えるはずです』
セレストの声は真剣だった。
(私が……)
レティシアは目を伏せた。悩んだのは一瞬だけ。
「……サイラス様、私が治癒魔法で貴方の命を守ります」
宣言と共に、サイラスにセレストとのやり取りを通訳する。
「わかりました。よろしくお願いします」
サイラスがとびきりの笑顔で微笑むものだから、レティシアの心臓がどきっと跳ねた。
瞬間、セレストとの繋がりが弱まったことを、本能的に感じ取った。
(そういえば……)
ふと思い出す。魔法のペガサスで空を飛んだ時、サイラスのことを考えた瞬間、コントロールを失いそうになったことがあった。
基本的にレティシアが使う魔法はセレストのものだ。精霊である彼女がコントロールを誤ることなどないはず。
ならば、なぜあの時レティシアは魔法の制御を失ったのか。
(まさか……)
少しだけうるさい、自分の胸に手を当てた。
すぐ近くに、資料に目を落とし、レティシアに背を向けていたサイラスの広い背中が見える。
「サイラス様」
呼び掛けると同時に、意を決してその背中に抱きついた。
「……っ、レティシアさん?」
動揺したようなサイラスの声が、すぐ近くから聞こえた。こんな状況だけど、レティシアの胸は素直に高鳴る。今この時、レティシアの感情ははっきりと彼に向いている。
――セレストの気配は、ない。
(……これが、私の核?)
名残惜しく思いつつも、サイラスの背中から離れる。それと同時に、セレストの気配が自分の内側に戻ってきた感覚がした。
『おそらく、そうですね。以前から、サイラスさんのことを貴女が考えている時、繋がりが途切れるような感覚は私も感じていました。歴代の巫女たちが他者との接触を禁じられていたのも、分離させられるリスクがあるから、かもしれません』
「……レティシアさん、どうかされたのですか?」
セレストと話し込んでいたため、サイラスが心配そうに覗き込んできた。慌ててレティシアは彼と視線を合わせ、笑顔をつくる。
「すみません、大丈夫です。……あの、私とセレストを隔てる核、わかったかもしれません」
「それって何ですか?」
「え、その……」
レティシアは口ごもった。さすがにこんなこと、本人には面と向かって言うことができない。
と思ったところで、そういえばお城で、お互い気持ちを打ち明けていたことを思い出した。レティシアの顔に熱が集まる。
「…………秘密です」
視線を逸らしながら答えたレティシアに、サイラスが悪戯っぽい笑みを向ける。
(気付いてる……)
レティシアはこんな状況なのに、今すぐこの部屋から消えたくなった。
例え今夜が人生最後の日だったとしても、いつも通りに過ごしてくれる――そんな彼の思いやりを、レティシアは確かに感じていた。




