55:貴女に問う
レティシアの誕生日前夜――
大広間には、穏やかな音楽と談笑する人々の声が満ちている。
その夜、オルコット家では、大きなパーティーが開かれていた。表向きはオルコット家次期当主の、18歳の誕生日祝いという名目。一部の人間だけが、精霊セレストのお披露目会であることを知っている。
レティシアは、壇上で飾られた人形のように座っていた。純白のドレスの裾が美しく広がり、招かれた者たちの目を楽しませていても、レティシア自身はずっと無表情を崩さない。
その心に在るのは、ただひとりだけだった。
サイラスに、来てほしくない。レジーナは彼を強く警戒している。彼が何か事を起こせばすぐに『始末』できるように、会場のあちこちに招待客に偽装した衛兵が潜んでいる。
何より、彼が結論を出してしまうことを、レティシアは一番恐れていた。
パーティーが始まるまでは確かにそう思っていたのに、いざ招待客たちがやって来たら、ついそちらに視線を走らせてしまった。
(私……何をしているの)
膝の上で組んだ手に力を籠める。来てほしくないと思っているはずなのに、彼を探してしまう弱さが嫌だった。
見慣れた赤髪が視界に入ってしまうことを恐れて、レティシアは自分のつま先に視線を落とす。彼から贈られたイヤリングが、耳元で揺れた。
レジーナが、意味ありげに微笑んでいる。ドリスは不貞腐れていて出席していないようだ。
招待客が挨拶に来る。
「18歳、おめでとうございます」
建前が、耳を通りすぎていく。
その時だけレティシアは顔を上げて、にこりと貼り付けたような微笑みを返した。
いつの間にか、こんなことまでできるようになっている。数ヶ月前の、彼と出会う前の自分では、考えられないことだった。
「……あら」
レティシアの隣で、レジーナが体を揺らし、妖艶に微笑んだ。彼女が纏う空気は張りつめている。
その変化に、背筋に冷たいものが走った。
意識が会場の喧騒を離れ、急速に研ぎ澄まされていく。かつん、と靴音が壇上で鳴った。
綺麗に磨かれた革靴が、レティシアの視界に映り込む。
自分の心臓の音が、やけに大きく聞こえた。
「いらっしゃい。よく来てくれましたね」
「こちらこそ、お招きありがとうございます」
応じた声。レティシアはゆっくりと顔を上げる。見慣れた服、大好きな微笑みを携えて、その人はひとりで立っていた。
息を止めて、見つめ合う。青い瞳と視線が交わったのは、多分一瞬のこと。けれどレティシアにはそれがまるで永遠のように長く感じた。
「オルコット嬢」
懐かしい呼び名で声をかけて、サイラスは軽く頭を下げた。堂々とした態度。真っ直ぐにレティシアを見つめる瞳。そこには、迷いなんて一欠片もない。
(……ああ、この人は)
ひとりで決めてしまったのだと、そう思った。
「貴女に会えて、嬉しいです」
サイラスはそれだけ言って、笑みを深めた。レジーナが温度のない表情で彼を値踏みしている。
サイラスがレティシアから目を逸らし、視線をレジーナに向けた。
「夫人。お招き頂きありがとうございます」
レジーナの喉が、上下に動く。
「……こちらこそ、来ていただけて嬉しいですわ、公爵。今夜は、レティシアにとって素晴らしい日になるでしょうから」
含みのある発言を受けてもなお、サイラスは揺らがない。レジーナの纏う空気を吹き飛ばす、一陣の風のようだった。
「そうですか。……オルコット嬢、また後でお会いしましょう」
サイラスはレティシアに向かって頭を下げてから、くるりと背を向けた。
(サイラス様、なにを……)
彼の考えが読めなくて、去り行く背中に思わず手を伸ばしそうになった。サイラスは振り向かず、会場へと戻っていく。教会関係者の冷たい視線が、彼に突き刺さる。
彼がセレストを消すつもりだったのなら、今が絶好のチャンスだったのではないだろうか。
(貴方は、決めてしまったのではないの?)
彼の態度に心がざわつく。胸が張り裂けそうになり、レティシアは手で胸を押さえた。ネックレスが揺れる。自分の内側で、セレストが寄り添おうとしてくれる温かさを感じる。
「彼の動きから目を離さないで」
レジーナが小声で、控えていた侍従に指示を出している。
(サイラス様……)
レティシアはただ、壇上からサイラスの背中を眺めることしかできなかった。
一通り挨拶が済んだところで、レジーナがゆっくりと立ち上がった。何をした訳ではないのに、自然と視線がレジーナへと集中する。
「皆様、今夜は本当に素晴らしい夜になります」
明るい声で、レジーナが告げる。
「なぜなら、ここにいるレティシアは伝説の『精霊の巫女』――その身に宿る豊穣の精霊セレスト様が、今夜お目覚めになるのです」
レジーナの演説が、会場のすべて飲み込んだ。誰も、何も言わない。人々の視線が、レティシアに向けられている。
「精霊セレスト様、どうか我々の国に恵みをもたらして下さい!」
白いローブを着た男性が、声を張り上げた。レジーナと協力している神官だろうか。
それを皮切りに、会場に人の声が溢れる。同調する者、セレストの存在を疑う者、突然のことに混乱する者――すべてを見下ろして、レティシアは深く息を吐いた。
(もう、後戻りはできない)
心の中で言い聞かせるように呟く。レティシアは席を立ち、ざわつく人々に声をかけようとした。
その瞬間、
「お待ちください」
凛とした声が響いた。会場の人波がぱっと割れる。そこを堂々とした足取りで進み、レティシアの目の前に現れた人がいた。
赤い髪と青い瞳のコントラストが美しい。サイラスは会場中の視線を一身に集めても、涼しげな微笑みを崩さなかった。初めて出会った時と同じように。
「オルコット嬢――いえ、レティシアさんに、問います」
真っ直ぐな瞳が、壇上のレティシアを貫く。
セレストの気配も、会場の声も遠ざかった。
サイラスが口を開く。
「貴女はまだ、生きたいと願いますか?」




