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50:レティシアの進む道


 魔法というのは、本当に便利なものだ。それをレティシアは初めて実感していた。

 ペガサスが羽ばたいても、振動ひとつ感じなかった。横座りなのに、安定して姿勢を保つことができている。


 魔法の凄さを実感すると同時に、心に雪のように降り積もるものがあった。


(サイラス様……)


 あの人はきっと、魔法のこういう所に魅せられたのだとわかって、息が苦しくなる。


 途端に魔法のコントロールを失いそうになって、慌てて軌道修正をする。


『大丈夫?』


 自分の内側で、声が響く。それはレティシアに自然に馴染んでいた。まるで昔から、自分の一部だったかのように。


(……セレスト)


 声の主の名を、心の中で呟く。


 彼女と意志疎通ができるのはきっと、セレストとの同一化が進んでいる影響なのだろう。

 

 レティシアの死は、きっとそう遠い話ではない。


『……怖いですか?』


 問いかける声は、弱々しかった。


(そう、ですね。死ぬことは怖いです)


 オルコットの家で暮らしていた時は、そうじゃなかった。サイラスと出会わなければ、死ぬ運命を受け入れていたかもしれない。

 でも、レティシアは研究所の温かさを知ってしまった。失いたくない――そう思うのに、レティシアは救ってくれるというサイラスに縋ることができない。


(サイラス様を失うことの方が、ずっと怖い)


 貴方に、屈託なく笑っていて欲しい。

 レティシアの望みは、はっきりしていた。


 サイラスに宛てたお別れの手紙を、一晩かけても書き上げることができなかったのは心残りだけど――

 

(これは自分で選んで、決めたことですから)


 心の中で呟きながら、ペガサスの高度を下げる。


 光を舞い散らせながら、レティシアは王都からずっとずっと離れた東の地――オルコット領にある、とある山に降り立った。


 思わず、西を振り返る。

 もちろん、サイラスはいない。セレストは精霊だけあって、人間とは魔法の質が桁違いだ。馬で何日もかかるようなこの場所に、普通の人間はこんなに速くたどり着くことはできない。


 ほっとしたような、心に穴が空いたような、おかしな気持ちを抱く。


『……彼を止めなくて、良かったんですか?』


 セレストに聞かれて、レティシアは目を閉じた。浮かぶのは、別れ際のサイラスの表情。

 出ていくつもりだったのだから、いつか土人形(ゴーレム)で訓練した時のように、彼の魔法をセレストの力で遮断すればよかった。


 だけどレティシアはそうしなかった。彼の魔法を否定するようなことを、したくなかった。


 なにより、きっと彼に追いかけてきて欲しかった――


 自分の弱さから目を逸らして、レティシアはペガサスの背中から滑り落ちる。地面にふわりと着地すると、ペガサスは光の粒子となって、胸元の精霊の涙に吸い込まれた。


『懐かしい……』


 レティシアの中で、セレストがざわつく。


 高い山岳地帯の中の、盆地のような場所だった。四方を山と森と泉に囲まれ、人が暮らしている気配は全くない。ところどころに残る基礎の石造りだけが、ここにかつて集落があったことを物語っていた。

 

 見たことも、来たこともない場所。なのに、セレストとの同化の影響か、レティシアも郷愁に駆られる。


『ここは昔、私を奉る巫女の家系――オルコットの一族が暮らしていた場所です』


 レティシアはそっと、崩れた石壁に触れた。風化して丸みのとれた遺跡は、巫女が廃止されてからの長い年月を感じさせる。


 ここに来たのは、セレストについて調べるためだ。サイラスにセレストを消させない。教会がだんまりを貫いている以上、他に情報がありそうなのはセレストゆかりの地であるここと、王都にあるオルコットのお屋敷くらいだろう。


『北の方に、私の祠があります』


 セレストに導かれ、レティシアは静かな遺跡を歩く。かつて道だったと思われるところは、今も他の場所に比べて草の丈が短いような気がする。もしかしたら、レティシアの両親が来て、整備していたのかもしれない。

 さくさくと草を踏み分け、獣道を歩くこと数分――レティシアは、ただひとつだけ無事な建物にたどり着いた。


 正面の扉は、魔法陣によって封印されている。


『オルコットの血族であれば、解除できるはずです』


 レティシアは頷いて、扉に手を沿わせた。魔法陣が僅かに鳴動し、ふっと光を失う。封印されていた扉は、僅かに力を籠めただけで簡単に開くことができた。


 その様子に、以前研究の一環として魔法で鍵をされた箱を開けたことがあったなと思い出す。数ヶ月前のことなのに、まるで何年も昔のことのように思える。


「行きましょう」


 気持ちを切り替えるように、あえて声を出した。


 祠の中は、埃っぽい空気で満ちていた。中は狭く、お屋敷のレティシアの部屋程度の広さしかない。

 中央に、ひび割れてはいるが形を保っている石板がある。


『そこの石板に触れてみて下さい』


 レティシアが触れると、目の前に光で記された文字がびっしりと浮かんだ。思わず一歩後ろに下がってしまう。


『これが、オルコット家が受け継ぎ続けてきた精霊と巫女の記録です』


 レティシアは光の文字に目を向けた。



 

 昔、このアルヴェイン王国は貧しく不毛な土地だった。そこに精霊セレストが、一人の少女の身を借りて降り立ち、豊穣をもたらした。

 人々は精霊の力を得続けるため、精霊が宿る魔石と、器となる巫女を造りだし、セレストをこの地へと留め続けた。

 

 セレストははじまりの巫女の血筋にのみ宿り、国に加護を与え続けた。


 


『今まで誰も、この連鎖を止めることができなかったのです。精霊教会が、巫女に相応しい赤子を、私の器として育て続けていたから』


 セレストの声に、悲しみの色が混ざった。連動して、レティシアの心臓にちくりと刺が刺さったような痛みが走る。


(セレスト様は、歴代の巫女たちに生きて欲しかったのですね)


『はい』


 セレストの短い返答の中に、言葉にできない多くの感情が籠っている気がした。彼女が宿るというネックレスの魔石――精霊の涙に、レティシアは触れる。


 この石は、正しくセレストの涙なのだ。きっとセレストの想いを知った過去の誰かが、彼女の悲しみを後世に残そうとして、名付けたのではないか。そう思った。


『……私は、今までの子たちと同じように、レティシア、貴女にも生きて欲しいと思っています』


 ぽつりと零れたセレストの本音に、胸が締め付けられるように苦しくなった。もしかしたらセレストは、本当はサイラスのところに戻って欲しいと思っているのかもしれない。


「……ごめんなさい」


 そう言うことしかできなかった。


 光の文字は、後から書き足されているように筆跡が移り変わっていった。巫女に選ばれ、死んでいった少女たちの記録が、永い年月に渡って記されている。

 そして、数百年前――人々の要望を受け、巫女という位は廃止された。運動を先導したのはティンバー公爵家だという。


『教会が巫女を監禁して育てていたことを、王国側が突き止めたのです。元々、この大地はもう私の手を離れている。私が存在しなければならない理由は、教会の権威を保つため……それだけでした』


「そんなことのために……」


 犠牲になっていった大勢の女性を思い、レティシアは手を組んで軽く祈りを捧げた。


 巫女たちの記録の一番下に、まだ文章が添えられていた。巫女が廃止された後に付け足されたそれは、見覚えのある筆跡。どきりと、鼓動が跳ねた。


「お母様……」


 文字に手を伸ばす。それはあくまでも光だ、レティシアの指は何の感触もなく素通りしてしまう。決して、掴むことができない。


『どうして、こんなことが起きるのでしょう。生まれたばかりの娘――レティシアが、巫女に選ばれてしまった』


 硬直しているレティシアに代わり、セレストが文章を読み上げる。


『教会で育てるという教皇の要求をはね除け、レティシアを屋敷へと連れて帰ってきた。けれど、このままではレティシアは18歳になる時に死んでしまう……。どうにかしなければ』


 レティシアの記憶の中の母は、常に笑顔を絶やさない穏やかな人だった。笑顔の裏で、こんな重さを背負っていたことを、子供だったレティシアは少しも知らなかった――


 ぎゅっと拳を握る。指先は冷たく、氷のようだった。


 文章の一番下は、「もう少しで、何かがわかりそう」という中途半端なもので終わっている。記された日付は今から8年前。


「まさか……お父様とお母様は――」


 レティシアの両親は、オルコット領から馬車で王都に向かう最中に、事故で命を落としている。ここからの帰り道で、事故に遭ったのかもしれない。


『レティシア……』


 呆然とするレティシアに、そっとセレストが寄り添ってくれた気がした。


 長い沈黙の後、レティシアは姿勢を正し、もう一度石板に触れた。光の文字が消える。


「行きましょう。――オルコットのお屋敷に」


 レティシアが捨ててしまった居場所。そこにまだ、セレストの情報があるはずだ。


 そう願いながら、レティシアは再び魔法で空へと舞い上がった。



 

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― 新着の感想 ―
「精霊の涙」は、セレストが王国に使われ続けることの涙かと思ったんですが、もっと慈悲深い意味だったんですねぇ。 そして巫女廃止運動の先導がティンバー公爵家。 もう因縁しか感じませんね。 ……たまに出て…
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