48:変わりはじめるもの
城からの帰り道、レティシアもサイラスも一言も口をきかなかった。目を合わせることもしない。行きよりもずっと長い時間、馬車に揺られていたような気がする。
屋敷で出迎えてくれたクレアとロードリックは、すぐにそんなレティシアたちの様子に気付いたらしい。顔を見合わせ、どう声をかけるべきか迷っている様子だった。
いつも明るく爽やかな屋敷の雰囲気が、今この時ばかりは黒く澱んでいるようだった。
「……ええと、レティシア様、お疲れ様でした。お着替えを手伝いますから、行きましょう」
クレアがそう言って、レティシアを部屋へ導いてくれる。正直、重い空気の中から連れ出してくれたことにほっとした。
部屋へと向かう道中、レティシアの背中にずっとサイラスの視線が貼り付いているような感覚がして、落ち着かなかった。
「レティシア様、どうしちゃったんですか……?」
ドレスを脱ぐ手伝いをしてくれながら、クレアが問いかけてきた。その表情から、心から心配してくれているとわかる。
(クレアさん……)
サイラスとの間にあったこと。どう答えていいかわからなくて、レティシアはクレアから視線を逸らす。
ふと、窓際に置かれた植木鉢に目が留まった。天井を目指して伸び続けているその植物の先端には、蕾のような膨らみが生まれている。
花開くまで、もう少し。
この花の種をサイラスから貰った時には、こんなことになるとは思わなかった。心の奥から何かがこみ上げてきて、レティシアの瞳に溢れる。
「……サイラス様に、好きだと言われました」
「えっ?」
クレアの目が点になる。
「ま、まさか振ったんですか?」
「いいえ。私から、好きだと言ったんです」
その気持ちは嘘じゃない。レティシアは胸に手を添える。少しだけ早い鼓動が、それを物語っている。
「レティシア様から……そうですか……」
クレアが少しだけ笑って、すぐに表情を引き締める。
「す、すみません。そんな雰囲気じゃないのに……」
クレアはゆっくりと、レティシアの結い上げた髪を解いていく。鏡越しに彼女の栗色の瞳と視線が交わる。
「でも、嬉しいんです。レティシア様が、ちゃんとサイラス様の良いところを見ていてくれたんだって、わかりましたから」
「クレアさん……」
クレアは今度こそ、にっこりと笑ってみせた。
「好きだからって、すべてを受け入れられる訳じゃないんですよ、きっと」
そう語るクレアの顔は、いつもよりどこか大人びて見える。胸元のピンブローチが、鏡の中で煌めいた。
サイラスが守ろうとしてくれることが、嫌な訳じゃない。ただこのままでは、きっとレティシアは息苦しさを抱えて生きていくことになる――
「お茶を淹れてきます。少しでも、レティシア様の気持ちが落ち着くように」
クレアが部屋を出ていく。
ひとり取り残されたレティシアは、ソファに身を投げ出した。色々なことが一気にあって、疲れきっていた。
背もたれに身を預けようとして、ふと、テーブルの上にある魔法のランプに目が留まった。今は昼間だから、それはもちろん消灯されている。
不思議な感覚を抱いた。体の内側から何かが溢れ出て、指先まで満ちている。温かくて優しい力――
『触れてみて下さい』
声が、どこからともなく響く。
吸い寄せられるように、レティシアはランプに触れた。何度やっても成功しなかったそれは今、あっさりと光を放ち始める。サイラスと離れている今、レティシアに魔道装置を操作することはできないはずなのに。
(これは……)
制御用の魔石にまた触れる。明かりが消える。点ける。消す。そんなことを繰り返して、レティシアはようやく理解した。
「私に、魔力が……?」
空っぽの手をまじまじと見つめた。
何かが、確実に変わり始めている。それを自覚して、レティシアは静かに目を閉じた。
クレアがお茶を持って、部屋に戻ってきた。
立ち昇る爽やかな香り。ミントの風味と紅茶の熱が、揺れ動く心を少しだけ落ち着かせてくれるようだった。
「クレアさん、ありがとうございます」
「いえいえ! 私にできるのは、これくらいですからー」
クレアがにっこりと微笑む。
それからふと、笑みを消した。滅多に見られない彼女の真剣な顔に、レティシアは背筋を伸ばす。
「あのね、レティシア様」
柔らかな声が、耳に届いた。
「遠慮なんて、しなくて良いです。自分で正しいと思うことがあるのなら、その方向に進んでください」
クレアの言葉を飲み込むまでに、少しだけ時間が必要だった。
(私は……どうしたい?)
そう、自問する。
サイラスは本気だ。レティシアの中から精霊を消滅させる――そんな、今までに誰もできなかったことを、きっと彼ならやり遂げてしまう。
レティシアが好きなサイラスという男性は、そういう人だから。
なら、レティシアができることは――セレストを守ること。その上で、自分が生きる道も探すことができれば、それが一番いい。
(見つかる保証なんて、ない)
サイラスが言ったように、それは不確実で、時間がない中で探すべきものではないかもしれない。
それでも――今は魔力もあり、取れる選択肢が増えている。決めつけてしまう前に、できることはあるはず。
レティシアは息を吐いた。
そのために必要なことは、まずセレストと巫女について、今以上に知ることだろう。
サイラスは魔法の知識に秀でているし、公爵という立場上、その気になれば大掛かりな行動にも出ることができる。何も持たないレティシアは、かなり不利だ。
その形勢をひっくり返す方法。
(心当たりは、ある)
レティシアはぎゅっと手を握った。
「クレアさん、お願いがあるのです」
本来、クレアはサイラスの使用人。レティシアがこんなことをお願いできる立場ではないとわかっているけれど、今のレティシアが頼れるのはクレアしかいなかった。
「はい、なんでしょう」
クレアはいつも通り、可愛らしく笑ってくれる。
だから、レティシアは考えたことを実行すると、そう迷いなく決めることができた。
「書き物をしたいので、紙とペンを貸して頂けますか。今夜、私は――」
レティシアの言葉に、クレアは目を見開き、ティーカップを落としかけた。




