47:好きになった人
「はい。レティシアさんの中からセレストだけを消滅させることができれば、貴女が死ぬことはないはずです」
サイラスが手帳を取り出し、さらさらと考えを書き付けていく。すぐ隣にいるのに、その姿が遠くに感じる。
「消滅以外の方法は、ないのでしょうか」
レティシアは震える声で問いかけた。サイラスは難しい表情で、首を横に振る。
「正直、難しいでしょうね。恐らくセレストの本体は、その魔石です。それが物理的に貴女から離れた場合にどうなるか……俺たちはもう知っています」
レティシアの中に、あの時――従妹のドリスにネックレスを奪われた時の感覚が甦り、ぞわりと背筋が凍った。
「貴女とセレストは、魂が半ば融合しているといっていいと思います。セレストは実際、貴女の心の内を知っていました」
レティシアの内側に在る精霊は、サイラスとそんなことまで話している――自分というものの境界線が消えていく感覚がして、ぎゅっと胸を押さえる。
「かつての精霊の巫女たちは、皆18歳でお披露目されたと記録が残っていました。恐らくそれは巫女本人ではなく、セレストだったのでしょうね」
(セレスト……)
レティシアとは、同時に存在することができない相手。会ったことも、話したこともない。
死ぬことは怖い。だけど確かに、レティシアは彼女に親近感のようなものを覚えていた。
(セレストは、私と……似ている)
オルコットの家にしがみついていた頃のレティシアと同じ。セレストには、レティシアという依り代にしか居場所がない。
だからレティシアは、簡単に『消滅させればいい』とは思えなかった。
それに、何よりも――
レティシアは唇を噛みしめた。口の中に鉄の味が広がっても、やめることができない。心の方がずっと濃く、深く、鉄の香りに満ちている。
視線だけを動かし、サイラスの横顔を眺めた。唇を引き結び、厳しい顔で手帳と向き合う。
真剣に、レティシアを救おうとしてくれているのが伝わってくる。
「巫女がセレストになる前の記録が一切残っていないので、消滅させる方法まではわかりません。セレスト本人ならば――」
「サイラス様っ!!」
大きな声を出す。
「……レティシアさん? どうかされましたか?」
不思議そうにするサイラスに、胸がずきりと痛んだ。それが伝わらないことが、何よりも悲しい。
レティシアは俯いた。
「もう、やめて下さい」
「やめる? それは――」
「私は……っ! 死んだって、いい……!」
サイラスの言葉を遮って、叫ぶ。
怖い。死にたくない。
なのに、死を肯定する言葉が、あっさりと口からこぼれ落ちる。レティシアの表情を見て、サイラスがはじめて顔色を変えた。
応接室に、再び沈黙が訪れた。レティシアはサイラスを拒絶するように、身を小さくする。
「どうして、そんなことを言うんですか?」
サイラスが声をかけてくれた。とびきり優しくて、レティシアに寄り添おうとする意思を感じさせる。
だからこそ辛くて、肩にそっと置かれたその手を振り払ってしまった。
「レティシアさん……」
「嫌、なんです」
顔を上げられないまま、レティシアは呟く。
「貴方が、セレストを簡単に切り捨てようとすることが」
セレストは、かつてのレティシアだ。それを、どうしてそんなに簡単に切り捨ててしまえるのか。レティシアにはわからない。
――魔法が持つ可能性をたくさんの人に届けたくて、こうして研究をしているのですよ。
そう言って、子供みたいに目を輝かせて、楽しそうに魔法を使っていた貴方の姿が、忘れられない。
「貴方は、魔法の可能性を信じているんじゃないんですか!?」
心からの叫びが応接室に満ちて、消えた。レティシアの乱れた息遣いが、静寂の中でただひとつ、はっきりと聞こえている。
「……もし、他に方法があるなら、俺だってそれを選びたい。ですが、今の俺たちには時間がない」
サイラスがレティシアに手を伸ばしかけ、途中でやめる。空っぽの手が、膝の上に落ちた。
「貴女が、大切だから……俺はどんな手を使ってでも、助けてみせます」
そう言う、サイラスの声は頼りなく震えている。
「私は……」
一瞬、言葉に詰まった。サイラスがレティシアを見つめている。言葉を、待っている――
研究所に来てからの日々が、鮮やかに甦った。
肩で荒く息をしながら、レティシアは口を開く。
「サイラス様が誰かを犠牲にして生きる未来なんて、欲しくないです……!」
死にたくない。
それでも、貴方のやり方で生き続ける未来だけは、選べなかった。
大切な人に伝わればいい。
伝わって欲しいと、願いながら。
サイラスは、何も言わなかった。レティシアも言葉が続かなくて、応接室に何度目かわからない静寂が訪れる。
閉じた扉の向こう、お城の喧騒が遠くに聞こえた。
サイラスは一度、言葉を探すように視線を伏せる。
「……レティシアさんはいつも、俺より俺のことをわかっていますね」
ぽつりと呟かれた言葉は弱々しい。けれど、サイラスはしっかりと顔を上げた。
「でも、こればかりは譲れません」
青い瞳には、もう迷いがない。
レティシアだって、本当はわかっている。
サイラスに頼って、彼と一緒にセレストを消滅させる方法を探す。そうすればレティシアは、これからも長くサイラスと、研究所のみんなと、過ごしていくことができる。
でもそこにいるサイラスは、レティシアが好きになった人ではない。
だから、レティシアは首を横に振る。
「私も、譲れません」
顔を上げて、サイラスを真っ直ぐに見つめ返す。
視線は交わるのに、決してわかりあうことができない。そのすれ違いが、ただ悲しかった。




