46:笑っていてほしくて
メルヴィンが去った応接室で、レティシアとサイラスは無言で見つめあっていた。心臓の鼓動は、時計の秒針よりもずっと早い。
息をするのも憚られるような空気の中、先に動いたのはサイラスだった。
メルヴィンが出ていった扉を、音を立てて閉めた。そのままこちらに歩いてくる。身を竦めるレティシアの正面に腰を下ろした彼は、空を思わせる青い瞳をまっすぐに向けてきた。
「彼の言葉は、本当ですか」
その声色からは、いつもの穏やかさが消えている。圧迫感に口が開けないレティシアは、ただ黙って頷いた。
貰った真珠のイヤリングが、揺れる。
「レティシアさんは、知っていたんですね」
その問いかけには、ほんの一欠片だけ寂しさが混ざっているように聞こえた。レティシアは顔を伏せる。
「……はい。以前からずっと、殿下には言われていたんです。18歳の誕生日に……私は死ぬと」
口にしてから、レティシアは身を震わせた。その言葉が真実になってしまうような錯覚に襲われる。
「どうして、黙っていたんですか」
「貴方にだけは、知られたくなかった……」
瞳から溢れてしまいそうになるものを誤魔化して、瞬きを繰り返す。
死ぬことよりも、貴方の笑顔を見られなくなることの方が、ずっと怖い。どうか最期まで笑っていて欲しい。そんな祈りは、粉々に踏みにじられてしまった。
「俺が、信用できなかったからですか」
「違います!」
レティシアは立ち上がり、叫んだ。その拍子に、目尻から一筋の雫が流れ落ちる。
「違う……私は、貴方が」
言葉に詰まる。
大切にしていた気持ちを、こんな形で伝えたくはなかった。でも伝えなければ、この人はきっと、自分を責めてしまう。
口を、開く。
「貴方が、好きだから」
その瞬間、すべての音が消えたような気がした。世界に存在するのは、自分とサイラスだけ。
サイラスが息を呑む。その瞳がいつになく揺れている。
彼は立ち竦むレティシアの隣まで歩いてきて、腕を伸ばした。引き寄せられるままに、彼と密着する。
背中に回された腕は、力強い。
「もっと聞かせて」
耳元で囁かれた言葉が、心をかき乱す。
「貴方が好きで……大切で、ずっと笑っていてほしくて、だから……」
たどたどしい言葉と共に溢れた涙が、サイラスの胸元を濡らしていく。彼の手が、レティシアの背を優しく撫でた。
「だから、言いたくなかった?」
確認の問いかけに、こくりと頷く。サイラスは改めてぎゅっとレティシアを抱きしめた。
「……ひどい人ですね、貴女は」
そう言いながらも、その声色はとびきり優しい。
「それで俺がどう思うか、少しも考えてはくれないんですね」
「……それは」
どういう意味ですか。聞きたくて見上げたサイラスの青い瞳に、自分と同じ熱が宿っているのを、レティシアは確かに見た。
「俺も、貴女が好きです」
告げられた言葉に、息が止まる。
「貴女が何よりも好きで、大切で、失いたくない」
その言葉が本当だと、レティシアを放そうとしないサイラスの腕が物語っている。
おずおずと彼の背に腕を回す。サイラスは、レティシアが一番好きな笑顔を見せてくれた。
「貴女を、死なせはしません」
力強く言われたその言葉が、何よりも嬉しかった。
サイラスに促され、レティシアはソファに座り直す。そのすぐ隣に、サイラスが座った。触れ合いそうな距離感に、今さら恥ずかしさが込み上げてきて、顔が熱くなる。
「……私が殿下から聞いているのは、18歳の誕生日になったら死ぬということだけです」
「先ほど、彼は言っていましたね。『精霊に体を乗っ取られて死ぬ』と」
サイラスがメルヴィンの言葉を繰り返す。
「彼の言葉は……恐らく、真実です。少なくとも俺はそう思っています」
重々しく告げられた言葉に、レティシアは息を呑んだ。
レティシアは正直、メルヴィンが何を言っているのかわからなかった。言葉の意味は理解できるけれど、何故突然そんな話になるのか、いまいちピンときていなかった。
一方でサイラスは何か心当たりがあるようで、顎に手をやり、深く考え込んでいる。
「サイラス様はどうして、そう思うのですか?」
レティシアが問いかけると、サイラスは暗い顔でこちらを見た。こんな風に悩んでいる彼を見るのは初めてで、レティシアの心に不安の影が落ちる。
「ここまで来た以上、隠し通すことはできませんね」
ため息と共に、サイラスは一度言葉を切った。それから、改めて向き直る。
「俺は、貴女の中にいる精霊……セレストに、会って話したことがあります」
重々しく、サイラスが告げる。
(私の中に、本当に精霊が……?)
見えないはずの死が、すぐそこまで迫っているような錯覚。部屋の温度が下がった気がして、レティシアは思わず自分の腕を抱いた。
「彼女はレティシアさんの体を使って、夜中に屋敷を出歩いていました。そこで俺と会ったんですよ。普通の、人間の女性のように話をすることができました」
「……!」
全く身に覚えがなかった。
なのに、なぜか脳裏に夜中の屋敷の光景が浮かぶ。
サイラスが椅子に座って本を読んでいる。
こちらに気付き、その椅子を貸してくれる。
椅子に座る私は――誰?
夢のように、けれど確かな現実味を持って再現された光景に、急激に目眩を覚えた。ソファの背もたれがなければ、倒れ込んでいたかもしれない。
(サイラス様と話していたのは、私ではない誰かで……そのまま、私は二度と目覚めない――そんな日が、来るかもしれない)
そんな実感に、押し潰されそうになる。
「大丈夫ですか」
サイラスがふらつくレティシアの肩を支えてくれた。
「顔色が悪い。……すみません。急にこんな話をするべきではなかった。今日はもう帰りましょうか」
「いいえ。大丈夫、です」
レティシアは深呼吸をして、息を整える。
「もし殿下の言うように、本当に私が精霊に乗っ取られて死ぬのが18歳の誕生日なら……あまり、時間はないです」
レティシアの誕生日は夏の終わり。あと一月ほどしか、猶予はない。
「……そうですね。精霊に体を乗っ取られないために、セレストを消滅させる方法を探らなければ」
サイラスが呟いた一言に、レティシアは、
「消滅、させる……」
ひどく、胸がざわついた。




