45:決別、そして
メルヴィンに会うのは、花祭りの日以来だ。
兄に会いに来たのか、フロックコートを着ている。見た目だけなら、絵に描いたような王子然とした装い。だけどそれは、レティシアには嫌悪感しかもたらさなかった。
「殿下」
感情のない声で、呟く。
メルヴィンからの返答はない。立ち竦み、こちらを見つめたままだ。
「あの、フレデリカ様。彼とふたりで話せませんか」
フレデリカは悩むようにレティシアとメルヴィンを交互に見つめる。こちらが微動だにしないのを見て、フレデリカは表情を引き締めた。
「……わかった。こちらへ」
項垂れているメルヴィンに害意がないと悟ったのか、フレデリカは了承してくれた。
フレデリカの先導で、城内を進む。
メルヴィンは歩きながら、何か言いたげにちらちらとこちらを振り向いた。それに対してレティシアは一切の反応をしない。毅然として、歩き続ける。
「ここを使って構わないよ」
フレデリカが案内してくれたのは、応接室のようなところだった。中央にあるソファに、ふたりで向かい合うように腰を下ろす。メルヴィンが奥側で、レティシアは扉に背を向ける形になる。
「扉は開けておくから」
「はい。ありがとうございます」
レティシアが言うと、フレデリカは心配そうにしつつも部屋を出ていく。その足音が完全に消えるのを、じっと待った。
廊下にはそれ以外にも人の気配があるが、遠い。
(期限のことを、聞かなきゃ)
今、ここにはフレデリカもサイラスもいない。聞き出すチャンスは、もう訪れないかもしれない。
レティシアは改めて覚悟を決めた。
「……その。この前のことは……大丈夫、なのか?」
先に口火を切ったのは、メルヴィンだった。あの頃の面影を感じさせる真っ直ぐな眼差しが、レティシアを捉える。
思わず、ネックレスを隠すように両手で覆い、身を引いた。
「ち、違う! 僕はそんなつもりじゃなかったんだ」
メルヴィンは、慌てて弁明を始める。
「あんなことになるなんて知らなかった! ドリスに騙されていたんだ! ネックレスは危険なんだ、僕はただ、お前を救ってやろうとして……」
「殿下は、そればかりですね」
ぽつりと、レティシアは呟いた。メルヴィンがぴたりと口を閉じる。
「貴方とはじめて会った時の私は、本当に嬉しかったのです。貴方が手を差し伸べてくれたから」
目を閉じれば、色鮮やかにあの庭園での一幕が甦る。泣いていたレティシアに声をかけてくれた人は、今目の前にいる人とは……違う。
「あの時の貴方は、確かに私を見ていてくれた。そう、信じていました」
「なら、今だって!」
「いいえ」
レティシアは静かに首を横に振った。腹に力を入れて、震えそうになる体を抑える。
「殿下は、変わってしまった。今の貴方は、可哀想な誰かを救う役をしたいだけ。私個人を見ている訳ではない、ですよね」
「そんなことはない! 僕は君を守ろうとしていたっ!」
メルヴィンがテーブルを叩きながら、弾かれたように立ち上がった。叫び声が、広い応接室に反響する。廊下まで聞こえていただろうけれど、幸い誰も来なかった。
以前のレティシアならば、身を竦め、ただ彼に従っていたかもしれない。
だけど、今は違う。守りたいもののために、彼から情報を引き出さなければならない。
「なら、どうして私のネックレスを奪おうとしたのですか?」
ざわつく心を抑え、低い声で問いかける。
「知らなかったんだ! それが無くなっただけで死にかけるなんて、普通思いもしないだろ!?」
激昂するメルヴィンに、レティシアはただ首を横に振る。
「そうではありません。これは、両親が遺してくれた大切なものだと、知っているはずですよね。仮にも、私の婚約者だったのですから」
「……!」
メルヴィンは言い返そうとしたのか、口を開いた。
けれどその唇は震えるばかりで、言葉を紡がない。彼の顔から血の気が失せていく。
そのままふらふらと、力なくソファに沈んだ。
「私を守ると言いながら、ずっと傷付けていたのは貴方です」
応接室に置かれた時計の針が、かちりと微かな音を響かせた。
「ぼ、僕は……」
灰色の瞳が、迷子の子供のように揺れている。レティシアは胸元のネックレスに視線を落とした。
「殿下。もし『精霊の巫女』が何なのか、知っているのなら教えて頂けませんか」
レティシアの言葉が、静まり返った応接室に落ちる。メルヴィンは固まってしまって動かない。
「知りたいんです。貴方は18歳の誕生日に私が死ぬと言いましたが、今の私は……それを受け入れたくはない」
メルヴィンは沈黙している。
やはり、彼と普通に話すことなど無理だったのかもしれない。レティシアはそう思った。
メルヴィンは心底、レティシアのことを見ていない。彼が見ているのは自分の利益になることばかりだ。だから彼から聞き出そうなんて、甘い考えだった――
「……はは」
レティシアの思考を、微かな笑い声が遮った。
メルヴィンは何が可笑しいのか、ちらりと応接室の扉の方に視線を向け、それからレティシアへと戻す。
笑い声が途切れた。一瞬だけ、応接室から音が消える。
「受け入れたくない? そんなの、無理に決まってるだろ」
メルヴィンから飛んできたのは、残酷な言葉。ぎらりと輝く瞳が、レティシアを見据える。
「お前はこのまま死ぬ。精霊に体を乗っ取られて、死ぬんだよ!」
「……え?」
彼の叫びの意味を受け止められないでいる間に、メルヴィンは立ち上がった。レティシアに背を向ける。
「あいつにはお前を救えない。僕ではなく、あいつを選んだことを後悔しろっ!」
吐き捨てるような台詞の最中、一瞬だけレティシアとメルヴィンの視線が交わった。
メルヴィンは走る。そのまま、もう二度と振り向くことはなかった。扉のところにいた人物を乱暴に押し退けるようにして、応接室を出ていく。
彼の背を、レティシアは追いかけることができなかった。
微かな衣擦れの音が、耳に届く。
「……貴女が死ぬというのは、本当ですか?」
抑揚のない、サイラスの声が聞こえたから。
どきりと、心臓が嫌な音を立てて軋む。
ぎこちない動きで、メルヴィンに押し退けられたその人に目を向けた。
「……レティシアさん」
そこに、絶対にレティシアの死の運命を知らせたくなかった人が立っていて、温度のない瞳でレティシアを見つめていた。




