17:望む未来
サイラスの研究――土人形を使った訓練は、日を重ねてもなかなか成功しなかった。今のところレティシアには、直接触れてこの前のように壊してしまうか、触れないで土人形を止められないか、どちらかしかできない。
サイラスは「ゆっくりやりましょう」と笑ってくれたけど、レティシアとしては日々を無駄に過ごしているような気がしてしまう。
加えて、サイラスは魔法でお茶を淹れるのが上手くなっていた。2回に1回は、とても美味しい紅茶を淹れられるようになったのだ。
彼が弱点を克服しているのに、私は――と、比較して余計に追い詰められたような気持ちになる。早朝、サイラスとふたりで過ごす時間が穏やかだから、余計に「自分だけが進めないこと」に焦りが募る。
「はー……」
吐いた息は、春の終わりの空気に溶けて消える。
サイラス、クレアとの恒例のお茶を終えてから、レティシアは何となく庭園へと出た。
いつもどちらかが一緒にいてくれたから、ひとりでふらっと庭に出るのはこれが初めてになる。
庭に咲いた薔薇を見ていると、荒んだ気持ちが少し落ち着く気がした。サイラスが言うように、植物には癒し効果があるのだろう。
動物の鳴き声、鳥が羽ばたく音、そんなものに耳を傾けながら、ゆっくりと庭を巡る。
庭の片隅に、小さなガゼボがあるのを見つけた。
昔、オルコット家で過ごしたあの場所にどこか似ている。そんな雰囲気に釣られて、レティシアがゆっくりとガゼボに近付くと、植木の影からひょっこりと顔を出した人物がいた。突然のことに、思わず一歩後ずさってしまう。
「ああ、すみません。驚かせてしまいましたか」
異国の容貌を持つ執事――ロードリックは恭しく頭を下げる。謝罪の中にも誉める言葉を忘れない姿勢は、素直にすごいなと思う。頭の回転が早いのかもしれない。
彼の手に剪定用の大きな鋏が握られていることに気付き、レティシアはようやく、庭の手入れをしていたのがロードリックだと知った。
「ロードリックさんが庭を手入れしてくれているんですね。いつも綺麗です」
「ありがとうございます。美しいご令嬢からの褒め言葉は、一番のご褒美です」
彼は口先だけでなく、眩しい笑顔まで見せてくれた。
本来、執事は上級使用人だ。サイラスの秘書とも呼べる存在のはずだから、彼から離れて庭師を兼任するのは違和感がある。
といってもクレアもメイド兼レティシアの専属侍女のようなものだし、ロードリックの庭師兼業もこの別邸の人手不足から来るものなのだろう。
みんなそれぞれ協力して暮らしているのに、レティシアだけが同じ場所で立ち止まっている――そんな気がした。
「憂いを帯びた眼差しの貴女も美しいですが、僕は明るい顔の女性の方が好ましいと思います」
そう言われても、レティシアには難しい。
「……サイラス様にいじめられているんでしょう?」
「いじめられている訳では……」
冗談めいた言い方なのに、その表情はひどく真剣だった。
「僕もね、ここに来た時、散々やらされたんですよ。力をコントロールできるようになるまで、毎日です」
その言葉に、レティシアは弾かれたようにロードリックを見た。彼の視線はこちらではなく、胸元のピンブローチに向いている。
「ロードリックさんにも、力があったのですか」
「僕が、というより、ここにいる人間は大抵『そう』ですよ。貴女程ではありませんがね」
ロードリックはゆっくりと歩いていき、ガゼボの中に入った。ピンブローチを外し、テーブルに置く。
――瞬間、変化は訪れた。
魔法的な素養がないレティシアにも、それははっきりと感じることができた。
小鳥が空から舞い降りてきて、ロードリックの肩に止まった。それを皮切りに、兎や栗鼠、鹿といった動物が次々と森から現れ、彼の周囲に集まってくる。
動物たちは人に対して怯える様子もなく、彼の近くで思い思いにくつろいでいた。ロードリック自身は何も変わっていないように見えるのに、生き物の態度だけが明らかに変わっている。
(これは、魔法……?)
目の前で何が起こっているのか、レティシアには少しもわからない。戸惑いの視線をロードリックに向けると、彼は苦笑いを浮かべてみせた。
「やっぱり、貴女には効かないのですね」
彼ははー、と大きく息を吐く。すっきりしたようでいて、どこか痛みを堪えるような、不思議な表情だった。
「効かない?」
「ええ。だって、貴女は何も感じないのでしょう? それが何よりの答えです」
彼が頭を擦り付けてくる小鳥の羽を、優しく撫でる。
「僕はね、魅了体質なんですよ」
態度とはまるで違う、吐き捨てるような言葉だった。
「魅了」
ロードリックの言葉を繰り返す。
アルヴェイン王国では、魅了魔法を含む『相手の精神に作用する魔法』は昔から使用が厳しく禁じられてきた。だから今では、それらの魔法の使用方法すら伝わっていない。
「生来の体質なので、効果は魅了魔法ほどではないですよ。相手の好みの容姿に見えたり、ちょっと注目されるようになるくらいです」
「ロードリックさん……」
レティシアはロードリックを見つめた。
彼がその体質を解放しているから、彼に惹かれた動物が集まっているのだろうけど――レティシアには何も感じられない。恐らく魔法を無効化する力が働いているのだろう。
「私にはいつもと変わりないように見えます」
「ですよね。……この体質のせいで、昔の僕は皆から避けられていました。気味が悪いと言われて」
ロードリックの自嘲気味な言葉に、レティシアは共感できるものがあった。
人と違うから避けられる。自分と同じだ。
この人にもきっと、傷だらけの過去がある。
「そんな僕をサイラス様が見つけて、力をコントロールするように訓練させられたんですよ。今の貴女とお揃いですね?」
ロードリックは言いながら、力を解放するのをやめたらしい。動物たちが、名残惜しそうにしつつも彼から離れていく。
完璧なまでの切り替え。レティシアの目からは、彼は力をしっかりと制御できているように見えた。
「力を制御するコツは、自分の力を拒絶しないことです」
ピンブローチを胸元に着け直しながら、彼は力強く言い切った。
自分の力を拒絶しないこと。
その一言が、重く響く。
(……私は、この力が嫌い)
もしも、自分に魔力ゼロという体質がなかったら――きっとレティシアは、普通の令嬢として日々を過ごせていた。従妹と叔母は、優しいままだったのではないか。元婚約者だって、普通に接してくれていたかもしれない。
そう思うと、どうしたって力への拒否感が出てしまう。
「僕も嫌いでしたよ。今だって大嫌いです」
ロードリックの声は、驚くほど穏やかだった。
「……なら、どうして力を見せてくれたのですか?」
「貴女の力になりたかったから」
ざあっと強く風が吹き、木々を揺らした。彼の目に宿る光は、真剣で、とても暗い――
「……なーんて。すみません、嘘です」
一転して、彼は力の抜いてへらりと笑ってみせる。いつも通りの明るさだ。知らず知らずのうちに握っていたレティシアの手から、力が抜ける。
「僕は貴女に期待しているんですよ」
彼の肩で最後まで羽を休めていた鳥が、羽音と共に飛び立つ。
レティシアは目を瞬かせた。
(期待している、なんて)
ここに来てから、レティシアは初めてのことばかり経験している。サイラスも、ロードリックも、魔力ゼロの役立たずに何かを望んでくれる。
彼らの態度に、どうしようもなく心が揺れた。
その言葉が小さな明かりとなって、心の奥底をあたたかく照らすようだった。
「貴女の魔法を無効化する体質――解明されれば、僕たちの体質の抑制にも必ず役に立ちます。それが一番の理由です」
ロードリックが、ピンブローチを指でつついた。
「これ、サイラス様が作ってくれた魔力の制御装置なんですよ。無意識で魅了を発動させることがないように、ってことなんですが、完全に遮断することはできないんです」
レティシアも彼の胸元のピンブローチに目を向ける。青い石が美しいそれは、陽の光を受けてきらりと輝いた。
てっきり使用人の証のようなものだと思っていたけれど、ロードリックと同じく、付けているのは魔法的な体質で苦しんでいた人たちなのかもしれない。
人目を避けるセシルにも、明るく朗らかなクレアにも――人に言えない過去があるのだろうか。
「貴女の力が解明されれば、ブローチが改良できるかもしれない。つまり、僕にもメリットがあるんですよ。ふふ、やはり貴女は僕の特別な人です!」
軽さの中に、レティシアに対する確かな温かさを感じることができる。だから少しだけ、表情を緩めた。
「そうですか。ありがとうございます」
「つれないお方だ!」
すっかりいつもの調子に戻ったロードリック。冗談を言いながら、笑顔を浮かべている。
彼のように、いつかレティシアも心から笑える日が来るだろうか。
目を閉じ、考えてみる。
隠れ家のような、穏やかで小さな研究所。庭の花をロードリックが手入れしていて、クレアがお茶を淹れてくれる。図書室に行けば、セシルが無愛想に話をしてくれる。
レティシアは研究室のソファに身を預けていて、正面にはサイラスがいて、笑いあっている――そんな優しい未来を思い浮かべて、胸の奥が温かくなった。
そんな未来は、『期限』のあるレティシアには、望めないかもしれないのに。




