16:変わりはじめたもの
サイラスの研究所はこの日、朝から慌ただしい空気に包まれていた。
「レティシア様っ、そっちのお鍋をお願いします!」
「はい!」
クレアの指示の元、レティシアは今にも吹き零れてしまいそうな鍋の前に立った。竈を制御している魔石に触れて動力を絶ち、火を止める。
「真剣な表情のオルコット嬢も素敵ですね。どうでしょう、この場はクレアに任せて僕と町にでも――」
「ロードリックさんは口より手を動かして下さい!」
「はいはい、承知しましたよ鬼軍曹さま。怒った顔も可愛いね」
クレアの鋭い指摘に、ロードリックは肩をすくめて目の前のまな板に向き合った。包丁を持つ手は、素人のレティシアから見てもたどたどしく、不安を掻き立てる。
「しかし、厨房担当が全滅とはね。敵は人員不足という我々の弱点をよく知っているようだ」
「敵って何ですか。バカなこと言ってないで、手を動かして下さい!」
風邪が流行しており、今日は厨房担当が誰も出勤できないらしい。なので急遽、レティシアたちが厨房に立つことになったのだ。
けれどレティシアとロードリックは調理経験ゼロ。
主にクレアが料理をして、ロードリックが包丁と洗い物、レティシアがその他雑用全般を担当し、どうにかこうにか食べられるもの――色々なサンドイッチと野菜のスープが完成した。
種類は少ないし、具材の大きさはまちまちだけど、とにかく完成はした。
「いつも料理を作って下さる方に、感謝しなくてはいけませんね……」
レティシアがそう溢すと、クレアとロードリックが同時に頷いた。
と、背後で扉が開く。まだ眠そうな顔で現れたのはセシルだった。テーブルの上に乗っているサンドイッチと、疲弊した表情のレティシアたちを交互に見つめる。
「なに。あんたたちが作ったの?」
「はい。モーガンさんたちは風邪でお休みですから、クレアさんが作ってくれました。私はお手伝いだけです」
レティシアが答えると、セシルはささっとテーブルに近寄ってきた。迷わずハムとチーズのサンドイッチが乗った皿を手に取る。
「ちょっと、手は洗ったの? それに野菜も食べなさい」
鬼軍曹の視線が、ギロリとセシルを見据える。
「うるさいな。洗ってきたし」
野菜については完全無視して、セシルは厨房の隣にある使用人のための食堂に向かった。その姿が扉の向こうに消える寸前、ちらっとこちらを振り向く。
「あのさ、あんたみたいなお嬢様がここまでやってあげる必要ある? 出来合いのものを買ってくれば良くない?」
その言葉を残して、セシルはバタンと扉を閉めた。残された3人で、顔を見合わせる。
「……その発想はなかったですね」
ロードリックがぽつりと呟く。今度はレティシアとクレアが同時に頷く番だった。
セシルの提案を受けて、昼食はロードリックが人数分の食事を街で買ってきてくれた。多分屋敷の全員が、セシルのに感謝しただろう。
空になったバスケットを荷馬車に運んでいると、玄関ホールにサイラスがやって来た。昼間なのに、どこか気だるげで眠そうだ。
「どうかしたのですか?」
彼はたくさんのバスケットがある理由がわかっていない様子で、心底不思議そうな顔をしていた。
「モーガンさんたちが風邪でお休みなんですよ。だから昼は街に買いに行ってきたんです」
「ああ、なるほど」
ロードリックに説明され、ようやく事情を理解したらしい。
(公爵様は朝食を食べていないのかな?)
そんな疑問が浮かぶ。サイラスはいつ、どこで食事をしているのだろう。不思議な人、という印象が強まる。
「やはり使用人が少ないのは不都合があるだろうか」
サイラスが悩むように顎に手をやった。
「無闇に増やすのは反対です。あ、女性ならいつでも大歓迎ですよ」
「もう、サイラス様が本気にしたらどうするんですか! あの、私も反対です」
ロードリックとクレアが次々と意見を出していく。居候の身だし口にはしないけれど、レティシアも同じ意見だ。知らない人が増えれば、実家にいた時と同じように息がしにくくなってしまう。そんな気がした。
レティシアの視線の先で、サイラスはブックホルスターから魔道書を引き抜いた。
「なるほど。では、魔法で代用できないか試してみようか」
言うが早いか、サイラスは足早に厨房へ向かって歩いていった。その瞳はキラキラと輝いている。
彼の様子に、慌てたのはクレアだ。
「ちょ、ちょっと待ってください! 私すっごく嫌な予感がします」
「奇遇だね、僕もだよ」
ロードリックが小走りでサイラスを追いかけた。レティシアとクレアも後に続く。
厨房にたどり着いた時、サイラスはすでに魔法を発動させていた。
魔法のお茶会と同じように、食器類がふわふわと宙に浮かんでいる。まだ洗われていなかった食器たちは我先にと流しへと飛び込み、洗われ、水気をしっかり取った上で食器棚に静かに収まる。
「すごい……これなら、みなさんがとても助かると思います」
「そうでしょう?」
サイラスがレティシアに視線を向けた。その表情は心なしか誇らしげだ。
ついでとばかりに、雑巾が床に落ちた水滴を拭い、箒が掃き掃除をしてくれる。
「これなら、まあ……」
と、クレアが絆されかけた瞬間だった。
洗われたナイフがカトラリーケースに飛び込もうとしたのに、タッチの差で他のナイフに場所を奪われてしまう。ナイフは行き場所を失って混乱したのか、宙を不規則な軌道で飛び回り始めた。
厨房内にぎらりと輝く銀の軌跡が描かれる。魔法による制御を完全に失っていた。
「きゃあっ!」
クレアが悲鳴を上げて床に伏せる。ロードリックは目を細め、レティシアを守るように一歩距離を詰める。
「サイラス様! 何とかしてください!」
「戻りなさい」
サイラスの命令で、ナイフはぴたりと空中で動きを止めた。とはいえ止めただけで、カトラリーケースには戻ろうとしない。
これは魔法だ。なら――
(私に、できることがあるはず)
怖いながらもレティシアは進み出て、ナイフの柄に手を伸ばした。指先が触れた瞬間、魔法の力は一気に消え失せ、ナイフは重力に従って自由落下を始める。
床に転がる寸前、ロードリックがそれを器用につかみ取り、手動でカトラリーケースに戻してくれた。
「すみません。助かりました」
サイラスがしゅんとしてレティシアに頭を下げる。
「いえ、お役に立てて良かったです」
「良くないですよ! やっぱり失敗魔法じゃないですかっ!」
立ち上がったクレアがサイラスを恨みがましい目で見つめた。
「まあまあ、面白かったしいいんじゃないかな」
「ロードリックさんは甘いです! 誰かが怪我をしたらどうするんですかっ」
その言葉に、サイラスははっと表情を変えた。
「……すみませんでした」
サイラスの声色は、いつになく沈んでいた。肩を落とし、目を伏せている。彼のそんな様子を見て、レティシアは妙に心がざわざわとした。
いつものような顔を、見せて欲しい――
そんな気持ちで、言葉を探す。
「――あの、すごい魔法でした。みんなのために頑張ろうとしてくださったんですよね」
口にしてから、漠然とした意見だなと思う。
「これも、貴方の山ほどある失敗のひとつ。ここから成功の道を探っていく……ですよね?」
いつか聞いた、サイラスの台詞を引用する。
「……!」
サイラスは一瞬、言葉を失ったようにレティシアを見つめた。
「そう、です。……そうですね、ありがとうございます。貴女がいてくれて、とても助かります」
「……私は、自分の体質でできることをしただけですから」
「それだけじゃないですよ。俺に冷静な意見をくれました」
サイラスは一度、口を閉ざす。
言葉を探すように視線を彷徨わせる。それからレティシア
を見て、唇の端にはにかむような笑みを浮かべた。
「……頼りにしています」
まっすぐな瞳。そこにいつもと僅かに違うものを感じ取って、レティシアは俯いた。顔に熱が集まって、彼の顔を見られない。
「はい」
「もうっ、あんまりレティシア様に迷惑かけちゃダメですよ」
クレアの声がした。ふわふわした空気がぱちんと破れて、現実に引き戻される。
「これじゃどっちが主かわからないですね」
ロードリックは苦笑いを浮かべている。
いつも通りの穏やかな空気。
その中で、自分だけが何か変わったような気がした。レティシアはそっと、ざわつく胸に手を置く。
ちゃんと、役に立てた。
その事実を、ゆっくりと噛みしめた。




