15:セシルとレティシア
夜がすっかり明けてしまっても、レティシアは自室のソファに座って光る花を眺めていた。
朝の支度のためにやってきたクレアが、光る花を見て目を丸くする。
「光る花ですか! 素敵ですね。どうしたんですか?」
「公爵様が温室の地下で育てていたのを、分けて頂いたんです」
「温室……!?」
レティシアの言葉に、クレアが目をつり上げた。
「サイラス様ってば、レティシア様を温室に連れていくなんて! 危ないじゃないですか」
クレアの語気はいつになく荒い。
「確かにトラブルもありましたけど、行ってよかったと思っています」
「む。それならいいですけど……」
クレアは不満げにしつつも、花は押し花にして、それを栞に加工するのはどうでしょう、と提案してくれた。魔法の吸水紙を使えば、数日でできてしまうらしい。
彼女の小言と、花の香りが部屋に満ちる。
重りにした分厚い本の下、押し花が完成するのが楽しみだった。
*
図書室の少年――セシルとは、あの後も図書室を訪れるたびに顔を合わせていた。例の本棚の影の席がお気に入りなのか、必ずそこに座っている。
けれど、レティシアは彼に声をかけられずにいた。レティシアとクレアが掃除のために図書室に入ると、彼は必ず席を立って足早に出ていってしまうのだ。
しかもわざわざ螺旋階段を駆け上って、こちらをちらっと確認してから2階の出入口から立ち去るものだから、直接顔を合わせることもない。
「あの子、すっごく人付き合いが苦手なんです。話しかけても無視されるか、バッサリ切り捨てられるんですよねー」
なんて、彼が向かった2階を眺めながら、クレアが教えてくれた。この前話せたのは、特例中の特例なのかもしれない。
「さ、掃除しちゃいましょう!」
クレアの声を合図に、レティシアは本棚の端から埃を払っていく。
(苦手……か)
確かに、彼はレティシアと同じで人と話すことに不慣れなのだろう。だけどそれは、決して人との関わりを拒絶しているのではなく――多分、怖いからだとレティシアは考えていた。オルコット家での自分が、そうだったから。
(チャンスがあれば、やっぱり声をかけよう)
漠然とそう思っていたのだけれど、機会は案外すぐに訪れた。
クレアからセシルの話を聞いた翌日のこと。またクレアがサイラスの部屋を掃除すると言ったので、レティシアは一人で図書室を訪れていた。
セシルはいつも通り、逃げるように去ろうとする。螺旋階段を登りきったところでこちらを振り向いた彼は、いつもと違い、足を止めていた。
レティシアは真っ直ぐに、彼を見上げる。
「……あの、セシルさん」
静謐な図書室の中、レティシアの声ははっきりと響き渡った。
「この前からここでお世話になっている、レティシアと申します。よろしくお願いします」
深々と頭を下げる。そういえば、誰かに自己紹介するなんて、これが初めてのことだ。
返事はない。逃げられてしまったかと思ったけれど、セシルはゆっくりと螺旋階段を降りてきてくれていた。
目の前まで歩いてきたセシルに視線を向ける。レティシアより背が低いので、自然と見下ろす形になった。
「……知ってる」
セシルが短く答えをくれた。ぶっきらぼうだけど、そこに拒絶の色はない。
「オルコット家の夜会に行く時、サイラスがあんたを連れてきたいって言ってたから」
彼の言葉に、薄々察していたことが真実だったと知った。
このお屋敷にレティシアが来ても誰も驚かなかったし、クレアは魔力ゼロだと知っていたし、ドレスなども用意されていた。
サイラスはきっと、レティシアを噂で知っていて、それでオルコット家に夜会という名目で乗り込んできたのだ。
あの出会いは、今の居場所は、偶然に流されたものではなかった。その事実が、どうしてかレティシアの胸に温かいものとして残る。
「今日は、あの人いない?」
「あの人……もしかして、クレアのことですか?」
「そう。いたら色々口うるさいじゃん」
レティシア自身は口うるさいと思わないけれど、クレアのサイラスへの対応を見ていれば、セシルの言葉の理由はすぐに見えてくる。
「時々、そうかもしれません。……でも、彼女はとても優しくて、みんなのことを誰よりも考えてくれているんですよ」
レティシアは慎重に言葉を選びながら、会話を続ける。セシルがふいっと視線を逸らしたので、逃げられてしまうかと思ったけれど――予想に反して、彼はその場を動かなかった。
「それは……あんたよりわかってるつもりだけど」
けど。その続きは待っても出てこない。セシルの胸元で、クレアやロードリックと同じデザインのピンブローチが輝いていた。
彼ら以外にも、お屋敷で働く人のほとんどが身に付けているから、使用人の証のようなものだとレティシアは勝手に思っている。
「はい。セシルさんは私よりお屋敷歴が長いですから、当然知っていますよね」
レティシアが肯定すると、セシルの表情がほんの少しだけ明るくなった。
「クレアさんはそのうち掃除しに来ますよ」
「……そう。俺は帰る」
セシルはこちらに背を向け、螺旋階段の一段目に足をかける。けれどそのまま登ることはせず、その姿勢のままレティシアを振り返った。
「……じゃ。………………また」
今度こそ、セシルは螺旋階段を駆け上っていった。レティシアが口を挟む暇もなく、2階の扉が開き、大きな音を立てて閉じられた。
レティシアはひとり、静まり返った図書室に取り残される。
素っ気ないとはいえ、別れ際にちゃんと言葉をくれる彼の姿勢が嬉しくて――
(次にまた、声をかけても大丈夫)
レティシアは思わず微笑みを浮かべていた。




