14:温室への誘い
レティシアは早朝に目覚めると、まずサイラスから貰った花の種に水をやる。毎朝ドキドキしながらチェックをするけれど、植えた種はまだ発芽していない。
その後で、毎朝早起きしている彼と話す。それがここ数日の日課になっていた。
「ここでの暮らしには慣れましたか?」
早朝の庭を歩きながら、サイラスが訊ねてきた。庭は相変わらず、丁寧に整えられている。
「……はい。ありがとうございます」
彼がいつも気遣ってくれるから、申し訳なさが胸に広がる。
「今日は温室を見てみませんか?」
「温室……」
サイラスの誘いに、少しだけ戸惑う。彼はこちらの返答をじっと待っている。
「その、よくわからない植物があると聞きましたけど……」
懸念を口にしてみたら、サイラスは目線を泳がせた。いつも誠実な彼が、こんな風に振る舞うのは珍しい。
「クレアに聞きましたか。……まあ、そうですね。俺はとても面白いと思うんですけどね。オルコット嬢はどうしたいですか?」
そう問いかけるサイラスが、どこか寂しそうに見えた。
サイラスはこうやってこちらの意見をよく聞いてくるし、相手に遠慮し、黙りがちなレティシアのことを、辛抱強く待ってくれる。――ちゃんと、聞こうとしてくれる。
そういう姿勢にどれだけレティシアが助けられているか、きっとこの人は知らないのだろう。
ぎゅっとガウンを握った。
「行ってみたい、です」
「わかりました」
彼の表情が、ぱっと明るくなる。
こうして、レティシアは初日から遠目で見ていた温室に、ようやく足を踏み入れることになった。
温室は、見た目の印象よりもずっと大きかった。自室から見渡せる範囲よりも奥、木立の中に隠れるようにして西へと広がっている。
外が整えられた立派な庭園なのに対して、ここは別世界かと思う程に様子が違う。見たこともないような奇妙な植物が、ところ狭しと植わっているのだ。
サイラスは当たり前みたいに、躊躇いなく入っていく。レティシアも彼の背を追って、中に一歩入る。
途端に濃密な熱気と湿度を感じて、立ち止まってしまった。外と隔てられた空気の中に不用意に入っていいものか、迷う。
「魔法で環境を整えているんです。怖いですか?」
「……少しだけ」
そう答えても、彼が気分を害した様子はなかった。それどころか、入り口の方へと戻ってきてくれた。レティシアの手元に視線を落とす。
それから、さっと手を取ってくれた。
「大丈夫ですよ」
触れた手は大きく、温かい。思わずサイラスを見ると、安心して下さいとでも言いたげに柔らかく微笑まれた。
それはそれで、どんな顔をしていいのかわからない。こちらの戸惑いには気付かず、彼は軽い足取りで温室の中に入っていく。
「この前の朝、貴女に見られてしまったのは、この植物を観察していた時でしたね」
サイラスが苦笑いと共に示したのは、同じ植物を植えたらしい2つの鉢だった。ひとつは小さな白い花が咲き誇っているのに対し、もう片方は蕾のままだ。
「花が咲いている方は魔法で水をやっていて、蕾の方は手で水をやっています。その他の環境は同じにして、育ち方や魔力の含有率を調べているんです」
言いながら、サイラスは魔法で水差しを飛ばし、花に水を与えている。
青い瞳が、いたずらっぽくこちらを見つめてきた。
「蕾の方、水をあげてみますか?」
「は、はい」
彼はふわふわ浮いている水差しを捕まえて、レティシアに手渡してくれた。
慎重に水差しを傾けて、蕾に水をやる。自室の鉢を世話するときもそうだけど、たったそれだけの作業なのに、何となく心が優しく、安らぐような感覚を覚えた。
「……植物を育てるのって、こんなに楽しいのですね」
そう言ってみたら、サイラスがあからさまに顔を輝かせた。普段は大人で紳士なのに、こういう時だけ子供のように無邪気になる――本当に、不思議な人。
「わかりますか。見ているだけでも癒されますし、世話をするとなお良い気分になりますよね」
サイラスが周囲にある怪しい植物を見ながら言うものだから、レティシアは返答に困ってしまった……。
その時不意に、とろりとした蜜のような香りを感じた。甘い空気に包まれていると、頭がぼんやりとしてきて、体から力が抜けていく。
「オルコット嬢!」
聞いたことのない、焦ったような声が響く。ふらりと傾いた体を、正面にいたサイラスがさっと支えてくれた。
「大丈夫ですか?」
レティシアに声をかけながら、彼は周囲を漂う香りが原因だと気付いたらしい。風の魔法を放ち、空気を循環させてくれた。
何が起きたのかわからなくて、ぱちぱちと瞬きをする。次第に思考力が戻ってきて、彼の腕に支えられていることにようやく気が付いた。
「……す、すみません」
我に返ったレティシアはすぐに謝罪し、ぱっと離れた。自分の失態のせいか、顔が熱い。
「こちらこそすみません。この花の香りには鎮静作用があるんです。魔力が高い人間に効果が出やすいので、貴女は大丈夫だと思い込んでいました」
サイラスは申し訳なさげに視線を落とした。こちらの手を引いて、近くにあった花から離してくれる。
「本当に、色んな植物があるんですね」
「そうなんです。いくら温室があっても足りないくらいですよ」
サイラスはそう言って、苦笑いを浮かべた。冗談ではなく、本当に彼なら国中の植物を集めて研究してしまいそうだなと思う。
「そうだ。こっちにオルコット嬢が好きそうな花があるんです」
サイラスはレティシアの手を引いて、更に奥へと向かう。奥側にはカーテンで締め切られたエリアがあり、その中に地下室へ降りる階段があった。
「暗いので気をつけて」
先を行く彼が光の魔法で足元を照らしてくれているとはいえ、慎重に一段一段降りていく。木造なのか、体重をかけると軋んだ音がする。
暗闇に目が慣れた頃、階段は終わった。サイラスは光魔法を消す。
それからレティシアに目配せし、目の前にある扉を開けた。
「わ……」
レティシアは呼吸も忘れてその光景に見とれてしまった。地下室には花壇があり、そこには淡く光を放つ花がたくさん植えられていた。放たれる色とりどりの光が、幻想的な光景を作り出している。
「とても、綺麗です」
そんなありきたりな感想しか出てこない。暗闇の中で、サイラスが笑った気配がした。
「なら、連れてきた甲斐がありました」
彼は花壇まで歩いていき、そこにしゃがみこんだ。レティシアも後ろからついていく。近くで見ると、花弁の一枚一枚が光を帯びているのがわかった。
「オルコット嬢はどの花が好きですか?」
不意に問われ、まごついてしまう。
どれも素敵だなと思うけれど、サイラスのすぐ前にある青い花ばかりに視線がいってしまう。それは一際鮮やかで、美しい色をしていた。
「そこの青い花、でしょうか」
「では、これを差し上げます」
サイラスはレティシアが言った青い花を摘み、レティシアの手に優しく握らせた。
花の光はレティシアが触れても失われず、手の中で淡く輝き続けている。
こんなに素敵な贈り物をもらったのは、初めてだった。花を抱くようにして、胸元に引き寄せる。花と同じように、レティシアの心にも淡い光が灯ったかのようだった。
この気持ちを表現したくて、サイラスへと向き直る。
「ありがとうございます……!」
心のままの言葉は、思った以上に明るい声になった。気恥ずかしくて、レティシアは胸元の花へと視線を落とす。
「オルコット嬢は、贈りがいのある方ですね」
頭上から、くすくすと笑い声が降ってくる。やっぱり、彼は意地悪なところがある。
顔をあげられなかったレティシアは、サイラスが青い目を細めてこちらを見ていたことには少しも気付かなかった。
その表情は、彼女が抱いた光と同じように、穏やかで、静かだった。




