18:もっと、一緒に
翌日の午後、いつも通りレティシアはサイラスの研究室を訪れていた。
「今日は自信がありますよ」
魔法で紅茶を淹れながら、サイラスは笑顔でそう言った。けれど、口に含んだ後、いつかのようにお互い無言でカップを置いてしまう。
今日はかなり味が濃かった。
「……すみません。クレアに習ってはいるのですが、なかなか難しいです。貴女の方が先に力を使いこなしてしまうかもしれませんね」
「大丈夫です。……あの、今日はよろしくお願いします。精一杯やります」
レティシアの言葉に、サイラスは目を見開いた。それからふわりと笑顔を浮かべる。
「積極的なのは良いことです。何かきっかけがありましたか?」
積極的と言われたことが、何となく気恥ずかしい。頬に熱が集まるのを感じて、レティシアは視線をローテーブルの上のティーカップに向けた。
「ロードリックさんから、お話を聞いたんです。彼も昔、自分の体質に苦しんでいたって」
「彼が話したのですか……それは、意外ですね」
サイラスが呟く。
「彼はあまり過去のことを話したがりません。ここに来るまで、かなり辛い思いをしたようなので」
レティシアは、ロードリックが過去を話したがらない理由がわかる気がした。
彼の力――魅了は、レティシアと違って彼自身に有利に働く類いの体質だ。自分に都合の良い力を「嫌い」と断言してしまうくらい、彼は力に傷付けられたことがあるのだろう。そう、レティシアは察していた。
それでも、彼は過去の傷を話してくれた。
「期待されているのですね」
「……本人にも言われました」
レティシアなんかに期待してくれるのなら、それを裏切ってはいけないと思う。
叔母も、元婚約者も、レティシアに何も期待していなかった。だから、こちらも彼らに何も求めていない。
レティシアは濃い紅茶をゆっくりと飲み干す。温かいそれは、この別邸とよく似ている。
サイラスやこの別邸で働く人は、今まで周囲にいた人たちとは違う。みんなレティシアに求めてくれる。
そんな優しい人たちが傷付かないようできるかもしれない力が、自分の中に眠っているのなら――応えたいと、そう思う。
「頑張ります」
自分に言い聞かせるように宣言したら、サイラスはまぶしいものを見るようにレティシアに視線を向けた。
「その意気です。……では、始めましょうか」
サイラスが魔法を使うと、いつものように、戸棚から土人形が転がり出てくる。
レティシアはソファから立ち上がり、そのつぶらな瞳を真正面から見つめた。
ロードリックは自分の力を拒絶するなと言っていた。彼が大嫌いとまで言う力を受け入れるまで、どれだけの時間が必要だったのだろう。
目を閉じ、意識を己の内側に集中する。一度目の時よりもあっさりと、光を帯びた力を見つけることができた。
(私は……受け入れられないと思う)
少なくとも、昨日の今日では無理だ。両親が亡くなってから起こった色々なことが、頭の中でフラッシュバックする。良いことは少なく、嫌なこと、辛いことはたくさんあった。
けれど、この力があったからレティシアは今、ここにいる。その事実は素直に『嬉しい』と思う。
他が最低だったとしても、それだけは譲れない。
(だからその分だけでいい。力を貸して)
祈るように手を伸ばす。光が自ら、こちらに近寄ってきた感覚がした。
レティシアは目を開けて、再び土人形を見据えた。光が力を貸してくれるのが、本能でわかる。
今のレティシアには、土人形に白く光る糸のようなものが纏わりつき、それがサイラスの手元まで伸びているのが、はっきりと見えた。
意識の手を伸ばし、サイラスから伸びている白い糸に触れる。何の抵抗もなくそれは解けて、レティシアの内にある光に吸収されていった。
ぐらりと土人形が傾く。
「これは……」
サイラスの声色が真剣さを帯びたものに変わる。彼は再び魔法を発動させ、土人形と糸を繋ぐ。
それをレティシアが切る。
土人形は地面に転がった。手足は外れていない。当初の目的どおり、レティシアは土人形の動きだけを止めてみせた。
「公爵様、私――」
できましたと言いたかったのに、唇は言葉を紡ぐことができなかった。全身から力が抜けるような感覚がして、足元がふらつく。
咄嗟にソファの背もたれに手を伸ばした。
「オルコット嬢!」
サイラスがレティシアの体を支え、ソファにゆっくりと座らせてくれた。
視界が歪み、ぐるぐると回っていた。とても気分が悪い。何度か深呼吸を繰り返していると、少しずつ視界が清明になり、全身に力が戻ってくる。
「……もう、大丈夫です」
今度は、ちゃんと声が出た。こちらの顔を覗き込んでいたサイラスが、ほっと肩を落とす。
支えてくれたのだから当たり前だけれど、彼が案外近くにいたことにその時気付き、レティシアは焦った。
「貴女の力は、かなり負担が大きいようです。無理せず、今日はここまでにしましょう」
「ですが……」
言い募ろうとしたレティシアに、サイラスは微笑みを返してきた。何かを確かめるように、レティシアの手首に触れる。
「まだ顔色が悪いし、呼吸も荒い。それに脈も少し早いようです」
理路整然と体の不調を言い当てられてしまった。
「……はい。すみません」
レティシアはそっと目を伏せる。また、失敗してしまった……そんな自己嫌悪でいっぱいになっていると、サイラスが笑った声が聞こえた。
「失敗で落ち込むくらい、一生懸命に取り組んでくれたんですね。ありがとうございます」
レティシアが目を開けると、対面のソファに戻ったらしいサイラスと視線が合った。
空のように青い瞳――レティシアは、理由はないけれどそわそわしてしまって、視線を僅かに逸らす。落ち着かない気持ちのまま、指先でネックレスに触れた。
「失敗しても大丈夫です。貴女も、この前俺の失敗をフォローしてくれたでしょう? 魔法はとても奥が深い分野ですから、失敗するのは当たり前なんですよ」
そう語るサイラスの顔は、いきいきと輝いている。
この人はいつも、魔法を語るときに子供みたいな表情になる、とレティシアは思った。優しく頼れる一面と、無邪気な一面。それが両方あるからこそ、レティシアはサイラスを不思議な人だと感じる。
(この人のことを、もっと知りたい。……一緒に、いたい)
誰かをこんな風に思うのは、初めてだった。理由ははっきりとはわからない。けど、その気持ちは確かにレティシアの中にある。
「魔法が、お好きなんですね」
そんな言葉が、咄嗟に口をついて出た。レティシアは慌てて口を押さえたけれど、出してしまった言葉はもう取り消せない。
サイラスは目を丸くして、それからはにかむように微笑んだ。
「……はい、そうなんです。これでも、昔は魔法が大嫌いだったんですよ」
「意外です。公爵様にもそんな時があったんですね」
「あの頃は、俺も子供だったんですよ。恩師のおかげで、魔法が好きになれたんです」
いつの間にか土人形が再び動き出していて、サイラスの膝の上に乗って手を振っている。その仕草がとても可愛らしくて、自然と頬が緩む。
こんな風に、自在に魔法が使えたら、きっと楽しいだろうなと思う。簡単には届かない夢だと、わかってはいるけれど。




