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カグヤのきせき  作者: 桜海
参の月

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25/26

廿肆

 コクウ家本家、当主代理であるイツキは自身の執務室の中をグルグルと歩き回っていた。


「あ、あのぅ……イツキ様、こちらの書類も確認を……」


 そんなイツキに対し、怖々した表情で紙の束を差し出すのは、イツキと共にデート組から置いてきぼりを食らったヤゲンである。

 ギン! と自身の新たな侍従を睨むイツキに、ヤゲンの体が大げさなほどに跳ね上がる。

 無言でヤゲンから紙の束を受け取ったイツキは、深く息を吐き出して椅子に腰を落ち着けた。


「……やっぱり気になる。そもそも、今日の俺は休みなんだ。なんで仕事をしてるんだ。……ああ、アオイに会いたい……」


 書類に一枚ずつ目を通しながら、イツキのボヤキが執務室に落ちて重なって積み上がっていく。

 朝餉後にアオイたちが屋敷から出ていってから、もうずっとこの調子だ。

 そのうち愚痴だけで執務室が埋まるかもしれない。


(俺だってアサギリに会いたい……)


 不貞腐れた顔で黙々と執務を熟すイツキを眺めながら、ヤゲンも脳内で愛しい妻の顔を思い浮かべ、心の中で溜め息を吐いた。



「ああ……戻ったか、玄月(クロツキ)


 暫くは無言で仕事――城のではなく家の仕事――を捌いていたイツキが、不意に書類から顔を上げた。

 なにごと? と首を傾げるヤゲンの耳に、コツコツと言う音が聞こえてくる。

 音は、窓の方から聞こえていた。視線を向けたヤゲンは口をパカリと開ける。

 窓の向こうに、巨大な影があった。

 イツキは、驚愕で固まるヤゲンを気に留めることなく窓に近寄ると、硝子戸を大きく開け放った。

 スッと腕を伸ばせば、通常よりも二回り以上大きな鴉がイツキのそこに舞い降りる。

 甘えるように頭を擦り寄せる漆黒の鴉の羽を、イツキの手がゆっくりと撫でた。


「い、イツキ様……その鴉、は……?」


 恐る恐る近寄ってきては尋ねるヤゲンに、イツキはちらりと視線を向けた。


「これは俺の相棒(パートナー)鴉だ。名を玄月(クロツキ)。コクウ家の者は、代々鴉を従えている。というよりも、名家八家にはそれぞれ対になる動物がいる。コクウ家は鴉。家紋(シンボル)にもなっているから知っているだろうが」


 唐突に始まったイツキの長口上に、ヤゲンの背筋が伸びる。これは、侍従となるなら知っておかなければならないことのようだと、彼は瞬時に察したようだった。

 その姿勢に、イツキの口角が僅かに上を向く。


「うちは鴉だが、他の名家は違う。例えばアオイのいたハクロウ家は狼だし、アサギリに縁のあるコウコ家は狐、セキロク家は鹿だ。それくらいは、お前も知っているな?」


「あ、はい。シンボルは知っています。……ですが、それぞれにパートナーがいるというのは、知りませんでした」


「まあ、そうでしょうね。別に吹聴して回ることではないしな」


 そう言って、イツキは簡単にヤゲンに説明をする。

 名家八家。残りの四家はそれぞれ、ツキウ家、アオミ家、キンリュウ家、ギンヨウ家だ。

 ツキウには兎が、アオミには蛇が、ギンヨウには鷹といった動物が家紋にある。キンリュウだけは、そのパートナーの姿を見た者の話を聞いたことがない。キンリュウ家の家紋は龍だが、龍という存在がこの世にあるのかどうかを誰も知らないのだ。

 名家八家のうち、面倒な家で関わり合いになりたくないとイツキが思うのは、キンリュウ家とギンヨウ家だ。他の五家は、コクウ家にとっては取るに足らない存在である。

 実は、各家には序列というものがある。そのなかでも抜きん出ており"壱の家"として代々皇王家に仕えてきたのがコクウ家なのだ。

 イツキの代でその序列を落とすつもりはないし、今後も落とさせるつもりは毛頭ない。

 イツキの淡々とした語り口に、ヤゲンは神妙に頷いた。心の覚書にしっかりと書き留めておく。序列のことを語るときのイツキの表情が氷のように冷たくて寒気を覚えたことは、胸のうちに秘めることにする。

 漆黒の大鴉は、イツキにとても懐いているようだった。主人に撫でられながら、真っ黒なその瞳は、ヤゲンのことをじっと観察している。


「クロツキ、この男はヤゲンだ。俺の新しい侍従になった。攻撃せずに仲良くしてあげなさい」


 嘴を指の腹で撫でられ、気持ちよさそうにうっとりとしていた鴉が、カァ! と大きく鳴いた。


「さて……ではクロツキ。アオイの様子を見させてくださいね」


 そう言って、イツキがクロツキの片脚に取り付けられているものに手を伸ばせば、大鴉は主人の揺れる髪を嘴で挟んでグイグイと引っ張った。


「カァ! カァー!」


「ああ、そういえば、まだお前をアオイに紹介していなかったな……わかったわかった。ちゃんと紹介するから、髪を食べるんじゃない」


 引っ張ったら痛いだろう。そう言えば、賢い鴉は口を離す。けれど、その表情はどこか不満そうだ。

 己の相棒の愛らしい様子に一つ笑みを零すと、こんどこそイツキはクロツキの脚に留めていたものを外した。

 それは、小さな水晶のような玉だった。

 外の高い陽に照らされて、水晶はキラリと光る。

 イツキは引き出しから同じような玉を取り出すと、またクロツキの脚に括り付けた。


「さぁ、クロツキ。もう一仕事お願いしますよ」

 

 腕に乗せた鴉を窓の外へと押し出し、空へと放つ。

 一声、大きな鳴き声が辺りに響き渡った。それは了承を伝えるようなものではなく、不服さを前面に押し出したような鳴き声だった。


 

「それで、イツキ様……これはなんですか?」


 羽音が完全に消えた執務室で、ヤゲンがイツキに問いかける。


(コイツ……だんだん遠慮がなくなってきましたね……)


 ビクビクしながらも顔に気になるとデカデカと書いた状態で、ヤゲンが水晶を見つめている。

 さすがに手を出そうとはしていないが、そのうち触り始めるかもしれない。

 元が行商で国内のあちこちを飛び回っていた男だ。好奇心はそれなりに持ち合わせているのだろう。

 アサギリと夫婦になっても、行商のみでなんとかやっていけてたのだ。アサギリが病魔に侵されていなければ、あそこまで落ちぶれることもなかっただろう。

 気の小さい男だが、慣れれば相手の懐にスルリと入り込んでくる。

 臆病だからこそ慎重で、危ない橋を何の対策もなしに渡りはしない。

 そういう大胆さはユヅルとイサクだけで充分だ。

 侍従にそれは求めていない。

 主であるイツキに従順で、仕事が早く、時に諌めるような視野を持てるものであればそれでいい。

 ヤゲンにはそれが確実に備わっている。付き合いは短いが、なんとなくわかる。

 元国中を歩いた行商人だったせいか、はたまた性格のせいか。この男は厄介な相手と交渉する術もあるようだ。

 イツキの仕事は皇太子の護衛剣士であり、本来なら体力と腕力を使うものだ。

 本家の嫡男という立場もあり、事務仕事や折衝までさせられているが――まあ、性格にもあっているので断る余地もないが、恐れられすぎて相手と同じ土俵に立てないのだ。

 その時に、ヤゲンがいれば何かと便利だろう。交渉事をこの男に丸投げすることも追々考えるべきか、とも思う。


「……これは、記録水晶だ。俺が開発した魔法道具」


「えっ……。そんなもの、オレ……わた……オレ、知りませんが。今までいくつも商品を仕入れ売ってきましたけど、見たことないですよ」


 驚いた声を上げ、顔を近づけるヤゲンから隠すように、イツキはサッと水晶を片手で攫った。

 やはり、好奇心が先に出てきていたか。

 残念そうな顔をするヤゲンに氷のような一瞥を向け、イツキは手の中のそれをクルリと回した。

 硬直する男を無視して、魔光燈の灯りに水晶をかざす。


「当然です。これは、俺が開発して、俺だけが使っているもの。魔法院に登録はしてますが、流通はさせていません。大体、こんなものが世に出回ったら大変だろう」


 イツキの言葉に、そんなもったいない! という顔をしたヤゲンが、何かに気がついたように、イツキを見つめた。

 その視線に、イツキの眉が不快そうに歪む。なんだか、失礼なことを思われているような気がする。


「まさか、それでアオイ様を尾こ……いや、盗さ……いえ、監視していたわけですか!?」


「監視じゃない。見守りだ」


 小声でも素っ頓狂な声を上げるヤゲンを、イツキは睨みつける。

 監視などという言葉選びがあまりに不快だ。


(しかもこの男、尾行やら盗撮やら言おうとしてたな……一度シメるか?)


 そんな不穏なことを主が考えていると気付いているだろうに、今のヤゲンの目にはイツキの手のなかの記録水晶しか見えていない。

 仕方ないかと嘆息し、イツキは渋々手を開いて水晶をヤゲンに見せた。


「手は出すなよ」


 言い置いて、手のなかに魔力を集める。

 魔法道具とは、言葉そのまま、魔力を使用して動く道具のことだ。

 この執務室のなかにある魔光燈も、魔法道具だ。こちらは魔力値の低い者であろうと使えるように、大衆向けに改良されている。

 以前イツキがアオイと共に宿泊した旅館にあった、魔術行灯も魔法道具の一種である。あちらは、純粋な魔力だけではなく何かの術式を組み込んで使用するので、魔法とは似て非なるものだが。

 そして、開発された魔法道具はすべて、この世界の中心の大陸――そこに建つ魔法院に保管される。

 イツキの開発した記録水晶もまた、同様だ。


「なぜ、一般流通させないんですか?」


「記録と投影の発動のための魔力が膨大だからだ。簡単に誰でも使えるようなものだと困るだろう」

 

 手のなかに集めた魔力を、水晶に集めて注ぎ込む。必要な魔力量は、上級祭司官以上の保有量に匹敵する。

 暫く魔力を注いでいると、ぼんやりとした映像が浮かび上がってくる。

 次第にはっきりと形作られるそれは、アオイたち以下三人によるデート(お出かけ)の様子だった。

 傍らから、「アサギリ……!」とうっとりするような声が聞こえてくる。

 それよりもイツキの目に映り込むのは、控えめな、けれど楽しそうに笑うアオイの姿だけだ。


「はぁ……アオイがかわいい。ああ、あんなにお菓子を頬張って。やっぱりアオイは兎ではなく栗鼠かもしれないな。――おいユヅル、近すぎるだろう。なんだその表情(かお)は。そんな表情、今までの女にも見せていないだろうが……って、アオイもなんでユヅルを見て頬なんか染めてるんですか!?」


「……ちょっ、アサギリまでユヅルさんにそんな顔見せて……っ」


 昼間の執務室内に、置いていかれた男二人の悲痛な声が響き渡る。


「あっ!? ちょっと、店の中に入っ……待ちなさい! 中に……そんな奥まで行ったら、アオイが見えないじゃないですか! ユヅル……おまえ……!」


 領都の大通りで食べ歩きをするアオイ。

 イサク、アサギリ、ユヅルに世話を焼かれるアオイ。

 楽しそうに、可愛く笑うアオイ。

 どのアオイも、イツキにはあまり見せない表情でいるものだから、彼の焦燥感は高まっていくばかり。

 アオイが楽しそうで嬉しいと思う反面、ユヅルに対するアオイの信頼感があまりにも露骨なので心配になる。どうしてそこまで懐いたのか。

 ――いや、わからないでもないのだ。

 ユヅルは、硬派で涼しげな顔をしているくせに、女の扱いがやたら上手い。それは姉であるイサクに幼少期から鍛えられたから……だけではなく、本人の資質もあったのだろうが。

 笑顔が怖いと言われるイツキより、微笑だけで相手を虜にできるユヅルが、イツキは正直羨ましかった。

 刀剣術ではユヅルに勝てても、人間性はどうしても勝てると思えない。

 だから、イツキはいつも焦っている。いつか、アオイがユヅルのほうに惹かれてしまうのではないかと。


(まあ、そんなこと考えられないくらいに、俺に溺れさせるつもりですけど!)


 ……でも、それはそれ。これはこれ。


「帰ってきたら、ユヅルにはアオイ接近禁止令を出してやります……っ」


「イツキ様ぁ……それ、アサギリにも適用してください。あと、できましたら……アサギリだけを切り取った水晶をください」


「図々しいなお前」


 いつの間にやら二人並んで食い入るように見ていた水晶から顔を上げ、イツキはヤゲンに向かって呆れたような視線を向けた。

 それでもこの男をそばに置くと決めたのは、行商で培っただろうその能力に期待したのと同時に、この男がアサギリしか目に入っていないから。

 アオイに感謝と信仰心はあれど、アオイを女として見ることのない安心安全な男だからだ。


「まあ、就職祝いとして考えておいてあげます」


 イツキの呟きに瞳を輝かせたヤゲンは、アオイの背後におっとりと佇むアサギリに、また蕩けるような視線を向けた。

 イツキは、その手前のアオイだけを見ている。

 こうして、再び戻ってきたクロツキから二つ目の記録水晶を受け取ったイツキは、出かけた四人が帰宅するまで映像のアオイの姿を堪能したのだった。

 ちなみに、最後に馬車まで手を差し出して誘導したユヅルには激しく嫉妬した。


 そうして逸脱しながらも仕事をなんとか終わらせたイツキが、今か今かとアオイを待つ執務室は、異様な雰囲気だったとコクウ家の使用人は言う。

 部屋中を落ち着きなく歩き回るイツキと、そこそこの魔力でも起動できるように調整された水晶を手に持ち恍惚の表情を浮かべたヤゲン。

 休憩のために食事を持って入室した使用人たちは揃って目を瞠り、一言も発することなく逃げるようにその場を去っていった。

 帰宅した四人が真っ先に執務室へ向かうと、イツキは待ち詫びたようにアオイを抱きしめたし、ヤゲンはアサギリを見て泣いた。

 混沌とした状況に首を振ったユヅルとイサクは、困惑したままヤゲンを慰めるアサギリを伴って、イツキの執務室から退散したのだった。


「イツキさん……あの、ただいま戻りました」


「アオイアオイアオイ……会いたかった。随分と楽しかったみたいだね?」


 イツキの腕の温もりに包まれながら、アオイは抱きしめる逞しい胸に頬を擦り寄せた。

 そうすることでイツキがどうなってしまうかは、彼女にはわからない。

 ぐぅ……と低く呻く声に首を傾げながらも、アオイは顔を上げて花が咲くような笑みを浮かべる。


「はい……! 楽しかった、です。それで、あの……今度はイツキさんと、一緒に行きたいなって、思いました……」


「〜〜〜〜っ、アオイ……!」


「あ、あの……それと、おみやげが、あり、ます……」


 服の袂をゴソゴソと探りながら、アオイが最後に購入した包みを取り出す。ふわりと香るのは、上質な茶葉の匂いだ。


「イツキさん……わたしと、またおでかけ……してくれます、か?」


 薄い色の瞳が、イツキを下から見上げて不安そうに揺れる。


「そんなこと……! 必ず、必ず行きましょう! 絶対に。一緒に出かけたら、絶対にあなたを俺のそばから離しませんから。アオイも、絶対に俺から離れないでね?」


「は、はい……!」


 嬉しい、とはにかむ表情にもう理性など効かなくて、イツキは淡く綻ぶ唇を獣のように貪ってしまった。

 まぁ、途中でイサクが乱入してきたせいで、一線を越えることは決してなかったのだが。

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