廿弐
カタカタと小気味良い車輪の音を響かせながら、馬車が止まった。
外から扉が開かれ、穏やかな表情のユヅルが顔を覗かせる。
彼の背後には、とても大きな木が見えた。葉は付いておらず、花は蕾。しかし、淡く蒼い色が見て取れるので、きっと夜には見事に咲き誇るのだろう。
あれは、蒼月桜だ。
春の初めのひととき夜に花を咲かせる、月夜桜の突然変異。
とても珍しいその花は、このルナティリス月皇国の国花に指定されている。
実は、月嶺森林の月の杜――特に月の社の周りには蒼月桜がたくさん植わっている。他では一、二本あるかどうかの蒼月桜を、アオイは毎年眺めに夜中月の社に通っていたこともある。春だけの話だ。少し前までの、冬の間も月の社で泣いているなんてことはそうそう無かったから。
けれど、ここまで大きな蒼月桜を見るのは初めてだった。
爽やかな風が、外から吹き込んでくる。同時に、ユヅルがアオイに向かって手を差し出した。
「アオイ様、どうぞ」
「あ、ありがとう……ございます……」
口元に淡い笑みを浮かべて降りるのを手伝ってくれるユヅルに、アオイの頬も微かに染まる。
イツキとは違うけれど、洗練されたその所作にドギマギしてしまう。
アオイが地面に降り立つと、その後ろからイサクも顔を出した。無言で手を差し出す彼女に、ユヅルは無表情で自身の手を貸す。
最後に出てきたアサギリには、アオイと同じ表情で対応していた。
姉弟間の力の差を感じさせる光景に、アオイはクスリと笑みを浮かべた。
「さて、ではアオイ様。本日はイツキ様の大切な日のために、張り切って贈り物を探しますよー!」
地面に降り立ったイサクが、アオイの元に駆けてきて高らかに宣言をした。
拳を振り上げる彼女の姿に驚くものの、その背後でユヅルが真顔で片腕を上げるので、アオイも倣って「お、おー!」と声を出す。
クスクスと笑うアサギリに恥ずかしそうに目を向ければ、視界の端でユヅルが片目をパチンと瞑って見せる。
「アオイ様……気をつけてくださいね。我が弟ながら、あんな堅物そうな見た目して、女性の扱いにやたら長けてるんですよ! コロッといっちゃ駄目ですからね!」
イサクに両肩を掴まれたアオイは、言葉を発することなく、何度も頷いた。
そんな、ことには、ならない。
イサクの後ろで「姉さんのせいだろ」とボソッと呟いたユヅルの言葉は、アサギリにだけ届いて空気に溶けていった。
アオイたちが馬車を降りたのは、コクウ領の都の中心ということだった。
以前、アオイがイツキと見て回った市場は、領都の端のほう。
いま目にしているところは、皇都中央の商人街や職人街とはまた違う、華やかな場所だった。
コクウ領は木と水が他領よりも豊かな土地。それは、初めてコクウ領にやってきたときにアオイは思い知った。圧倒されたと言ってもいい。
人々は、木々の合間に家を建て、そのなかで何世帯もの家族が生活しているのが、通常だ。
けれど、ここは違う。皇都中央のように、地面には石畳が敷かれ、木々は切り拓かれ都の様相を呈している。
アオイたちが普段から住まうコクウ家は、本家でありながら領都から離れた森の中に居を構える珍しい例なのだ。
ユヅルによれば、この領都にも一応のコクウ家本家があるのだと言う。
『そちらはまたいずれ。イツキ様と参りましょう』
そうユヅルに言われ、アオイは小さく頷いた。
領都の入り口には、見上げるほど背の高い大門があった。綺羅びやかなそれは見上げているだけで首が疲れてくる。そしてその門の奥に、多種多様な店が軒先を連ねる大通りが見えた。市場以上に人通りが多く、行き交う人同士の肩が触れてしまいそうだ。
そんな事を考えながらきょろきょろとあたりを見渡すアオイは、小動物のようで可愛らしい。その様子を微笑ましげに見ながら何人もの人間が近づいては、さりげなくユヅルの体に遮られ進路を変えていく。
一度は明確な意思を持って近づいてきた手癖の悪そうな男がいたが、ユヅルの放つ気を真正面からぶつけられすごすごと立ち去っていった。
気が付いていないのはアオイだけである。
「ところで、イツキさんの"大切な日"ってなんですか?」
イサクとアサギリと共に見事な飴細工を作る職人をキラキラした目で見ていたアオイが、徐にユヅルを振り返って尋ねる。
飴屋の隣の屋台で袋いっぱいの肉まんを買ったユヅルは、アオイの質問ににこりと笑みを浮かべた。
彼は紙袋をイサクに手渡すと、肉まんをひとつ手に取ってかぶりつく。ふわりと温かそうな湯気が塊となって空へと駆けてゆく。
ユヅルから袋を受け取ったイサクが、肉まんをひとつ割った。こちらも熱々だ。
その半分を差し出され、アオイは咄嗟に受け取ってしまう。
熱いですからね、と言われたら「はい……」としか答えられず、結局アオイは小さな口を開けて肉まんに口を付ける。
熱い肉汁が口の中に広がった。香辛料の香りが鼻を通っていき、朝餉を平らげたはずなのに途端に腹が空腹を訴え始める。
「おいひい……っ」
はふはふしながら言うアオイに、アサギリがどこかで買ったのか飲み物の入った器を渡す。
中身は清涼な緑茶だった。熱くなった口の中を冷たい飲み物がすっきりと冷やす。
イサクは、アサギリにも袋の中身を分けていた。
アオイの質問は宙に浮いたまままだ返ってこない。
今朝、ユヅルにお出かけに誘われイツキのイヤイヤを振り切るようにして出てきたのは、先日皇王城に行く前にユヅルに「茶菓子の見返りにデートしてください」と言われたからだ。
その時に、イサクから「イツキ様の大切な日のための贈り物を皆で選びたいのですよ」と小声で聞かされていたため、アオイは素直にユヅルの提案を受け入れたのだ。
デートかどうかは……置いておくとして。
「アオイ様は、先日ユヅキ様と誕生日の話をしたでしょう?」
四人で袋いっぱいの肉まんをあっという間に食べてしまい、今度は果物を飴で固め串に挿したものを買い込む。
両手に持った串の片方をアオイに手渡しながら、ユヅルが言った。
戸惑った表情で飴串を受け取ったアオイは、コクリと小さく頷く。
「イツキ様の誕生日が、もうすぐあります」
「え……っ、けほっ」
姫月林檎のような果実をひと口齧った瞬間そんなことを言われ、思わず噎せてしまう。
大丈夫ですか? と背中を擦ってくれるのはアサギリだ。イサクはユヅルの鳩尾に肘をめり込ませている。
「……申し訳ありませんアオイ様。間が悪かったですね」
軽く鳩尾を擦りながらも、表情の変わらない――いや、微かに眉を下げたユヅルが、アオイに頭を下げる。
それにぶんぶん首を振ってアオイが否定すれば、手に持った茶器と串をイサクとユヅルにそれぞれ奪われた。その行動がさり気ないせいで、首を振っていて危なかったのだという事実がアオイに伝わることはない。
「あ、あの……! わたし、誕生日って、まだよくわからないですが、イツキさんの生まれた日……なんですよね? それって、やっぱりなんだか……特別な感じがする、ので。……イツキさんが、この世に生まれてきてくれた日、ってことがなんだか、嬉しいような、そんな気がするので……だ、だから! い、一生懸命、贈り物を探します!」
意気込んで空いた両手を握るアオイに、イサクとユヅルが嬉しそうに笑う。アサギリは「そうですね。わたくしもそう思います」とアオイの横で頷いていた。その脳裏に浮かんでいたのは恐らくイツキではないだろうが。
「それでは、食べ歩きが一段落つきましたら、プレゼント探しに参りましょう」
大通りの端に置かれていた長椅子にアオイを座らせ、ユヅルが彼女から取り上げていた串を返しながらそう言った。イサクから器も戻ってくる。
ついでにとイサクとアサギリがどこかの店で購入してきた、果実の盛り合わせや一口大の饅頭などを四人で食べて笑い合う。
すっかりお腹の満たされた一行が通りを練り歩き始めると、大きめの飯店の瀟洒な屋根飾りから真っ黒な大鴉が羽を広げて飛び立った。
空を見上げるユヅルに、アオイが首を傾げる。目を細めてやれやれと首を振るユヅルに対し、イサクが「なにもありませんよー」と笑いながらアオイの肩を両手で包んで前へ進ませる。
不思議そうな顔のアサギリにも、ユヅルは仕方ないという顔を見せ、小さく息を吐いた。
「嫉妬深い主を持つと気苦労が絶えないな……」
その一言だけで、すべてを察したアサギリがなるほどと頷いてからくすりと笑みを漏らした。
バサッバサッという羽音が後ろから横から付いてくる。一度遠のいては、しばらくするとまた近付いてくる。通りを歩くたび視界の端を黒い鴉が掠めていくことに、さすがのアオイも気がついていた。
それで尋ねてみた返答が、それだったのだ。
「嫉妬……?」
それでもなお首を傾げるアオイに、ユヅルはどこか困ったような笑みを向けるのだった。
「あ! これなんかどうです?」
手近に店を構えていた小間物店に足を踏み入れたアオイたちは、思い思いに店内を見て回った。
手近な店と言っても、値段は手頃ではない。
コクウ家の嫡男――次期当主となるイツキに安価なものは渡せないとシウ姉弟は考えているのだろう。
しかし、根っから平民以下の思考のアオイは、下げられている値札に視線を這わせ怖くて触れることすらできなくなった。
(こ、こ、この筆ひとつで、わ、わたしが死ぬまで生きていける……!)
割と真剣なアオイのその考えを知ったら、「いや、無理。生涯年収にはまったく届かないし、老後資金にも全然及ばない。まあ、一ヶ月一食にして、誰にも会わずなにもせずおとなしく生きているなら……足りる、かも? でもその前に一週間経たずに死んじゃうよねー!」と結月あたりは真面目に返してくれたかもしれない。
残念ながら、そんな結月はここにはいないので、アオイの頓珍漢な考えは誰にも気づかれてはいないのだが。
「そちらの筆になさいますか? アオイ様のお財布にはたんまり売上金が入っていますので、その筆ひとつ購入したとしてもまったく萎みませんよ」
アオイの表情に何かを感じ取ったのか、ユヅルが口を開く。
その言葉の内容に慄きながらも、アオイはぶんぶんと首を振った。横に。
恐ろしいことを言わないでほしい。金銭の概念が無いとは言わないが、アオイは令嬢とは別の意味で財布を持ったことがないのだ。
祭祀礼館に引き取られるまでは、アオイは平民以下の自給自足生活だった。浜辺で採れた貝などを見様見真似で装飾品擬きにして、行商に行く親に渡すような仕事とも言えないような仕事をしていた。
その売上金で得られた食事を親から食べさせてもらい、仕事のないときは近所の子どもたちと走り回っていたのだ。
それが、祭祀礼館に連れてこられてからは働かなくてもいい生活。綺麗な着物を勝手に着せられ、食事は自動的に巫女見習いが持ってくる。
――そんな生活も二年も経たずに祭祀礼館の倉庫に押しやられ、あとは食べられるか生きていけるか明日死ぬのでは? と思うようなどん底生活だ。
故に、金銭を手にしたことがない。
相場は分かっていても――だからこそ、金を使って何かを買うということが、アオイは怖い。
「ち、ちなみに……そのお財布の中は……小貨、ですか?」
アオイがポソポソと尋ねる声に、ユヅルがゆるりと首を振る。
「え、と……じゃあ、中貨……?」
「いいえ」
「ふえっ……もももももしかしなくても、だ、大、貨……っ」
動揺するアオイに、ユヅルがにっこりといい笑顔を向ける。
「ち、ちなみに……色、は……?」
「さぁ……なんでしょうねぇ」
「ゆ、ゆ、ユヅル、さん……っ」
色は! 色はなんですか!
思わずユヅルの袖を掴んで揺するアオイを、ユヅルはどこか微笑ましげに眺めている。けして、懐に忍ばせている財布の中身がどうかは言わない。
貨幣の大きさが大貨と聞いただけで動揺するアオイに、その色が白――白金だと告げたら、恐らく彼女は真っ青になって気絶したに違いないから。
今だってすでに顔面が白くなっている。
あわあわとしながら纏わりついてくる少女を、まあまあと宥めながら、ユヅルはアオイの背を押して店の奥まで誘導することにした。
そちらには値札のない品が置いてある。値段が分からなければ、あとは物だけを見て選ぶしかないのだから。
「赤……じゃなければ、黒? で、でも、えと……ままままさか白……なんてことは、ないよね……え、白……? 白大貨……? ……ひえ……っ」
この国の貨幣は小貨、中貨、大貨と大きくなり、価値は色で分けられている。一番下の色は赤――赤銅だ。そこから黒と呼ばれる黒鉄、そして白と呼ばれる白金へと価値が上がっていく。
白大貨一枚は、赤大貨一万枚の価値があるたいそう貴重なものだ。
年始にイツキがアオイを連れて皇都中央の職人街へ向かったとき、そこでいくつものアオイの装飾品を買っていた。
その際に見えたイツキの財布のなかには、大貨がいくつも入っていた。その時の色が白だったことを、今さらながらに思い出してしまう。
混乱しながら呟くアオイを気に留めず、ユヅルがアオイをどこかへと連れて行く。気がつけば、入り口からだいぶ奥まで歩を進められていた。
照明が少しだけ落ち薄暗く感じるが、陳列されている商品は逆に輝いて見える。
客を呼び込むために明るくしていた入り口側とは反対に、奥の方はじっくり品物を見られるようになっているらしい。
「アオイ様、こちらでお品を選ぶのはいかがですか?」
入り口近くに置いてある品とはまた違う洗練された品々の佇まいに、アオイの目が輝いている。
その様子を見て、ユヅルは一人頷いた。
イツキから皇都中央での話を聞いてから思ってはいたが、アオイの審美眼は確かなようだと確信したのだ。
「ユヅルさん……でも、お値段がわからない、です……」
輝く瞳に微かに不安を露わにして、アオイがユヅルを振り向いた。
涼やかな相貌に淡い笑みを浮かべ、ユヅルは主の想い人の手を掬い上げると、さらに奥まった場所へと移動する。
「値を表すほどのものではないのですよ」
価値が高すぎて、という本音はユヅルの喉の奥へと沈んでいく。
「ですから、アオイ様がイツキ様に贈りたいと思ったものを、素直なお心で選んで差し上げてください」
きっとそのほうが、イツキ様も喜ぶはずだから。
そう微笑んで言われ、アオイはポッと頬を染めた。
ユヅルの顔は綺麗すぎる。イツキとはまた違う意味で。うっかりドキリとしてしまったのを誤魔化すように、アオイは壁際に設えられた棚へと視線を巡らせる。
そして、ある一点を食い入るように見つめたのだった。




