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カグヤのきせき  作者: 桜海
弐の月

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17/22

拾陸

間が空いてしまった…

 魂が口から抜け出たように茫然とするイツキを、ユヅルが「仕方ないな」という顔をしてソファへ座らせる。

 その隣に、イサクがアオイを導いた。

 アオイの座る位置は変わらないものの、ソファに掛ける顔ぶれが変わった。

 イツキが来たことで、ユヅルは主の後ろへ控え、イサクはアオイの横に寄り添う。その傍らへおずおずと歩み寄ってきた夫婦を見上げ、アオイははにかむようにして唇を緩ませた。

 隣に座るイツキの視線が、アオイを貫く。

 目元を薄っすら赤く染めたアオイは、イツキの欲目抜きでも思わず見惚れてしまうほどに可愛らしい。

 そして、とうとうイツキはアオイをその両腕に囲い込んだ。


「アオイ……そんな顔を俺以外に見せちゃ駄目だよ」


「い、イツキさん……!?」


 アオイの首筋に、イツキが顔を埋める。スンスンという音が聞こえてきて、アオイの頬が鎖骨辺りまで真っ赤に染まった。


「くそ……なんでユヅルとデートなんか……」


「イサクを護衛に、アサギリも連れていきますが」


「うるさい許しません」


 横から冷静に飛んでくるユヅルの声を、イツキがバッサリ切り捨てる。

 軽い溜め息が聞こえ視線を向ければ、呆れたように頭を振る護衛剣士と目が合った。仕方なさそうに、口元が僅かに笑みを形作っている。

 長い人差し指が男の口元に当てられた。「しー」という表現とともに軽く片目を瞑って寄越されて、アオイは小さく顎を引いた。


「あ、あの……イツキ、さん。さっき、アサギリさんがわたしの侍女……になったと、聞いたのですが……」


「うん? ああ、彼女はアオイの力を見て、アオイが何者であるか気付いたみたいだったからね。ちょうどいいから、このままウチで引き取って、あなたのそばに置こうかなと思ったんですよ。イサクとユヅルは一次的にアオイ付きから外していましたが、本日をもって戻します」


 "ちょうどいい"

 その言葉に、アオイはなるほどと納得をした。

 イサクの言っていたそれは、こういうことだったのかと。

 アオイがカグヤであるということは、祭祀礼館の者でなければ知ることはない。

 祭祀礼館に仕える巫女や巫女見習い、祭祀官やその見習いは、基本的に外に出ることはない。

 ましてやアオイは出来損ないのカグヤとされ、神事にも参加させてもらえなかった。

 だから、普通の、一般の庶民には今代のカグヤの顔がまったく知れ渡っていない。今代カグヤの悪い噂ばかりが先行している状態だ。

 例外として名家八家の上層部あたりは、幼い頃のアオイを見たことはあるだろうが。

 故に、アオイがカグヤであるとを知ったアサギリを、口止めのために引き取ったということだろう。


(それで、アサギリさんをわたしの側に置くことにした……)


 アサギリがアオイに途轍もない感謝をしているから。アオイのためならどんなことでもするだろう。ということは、アオイには伝わらない。

 だが、イツキ、イサクにユヅルはその忠義を感じ取っていた。

 そして、アサギリの隣に立つ、見た目はそんなにパッとしない男も。


「それで……あの方は、アサギリさんの、ご主人……ですよ、ね?」


 イツキの様子を見ながら、アオイは目の前の男に手を向けた。

 市場で見たままの姿。短い黒髪に、青みがかった黒い瞳。コクウ領内では特段珍しくもない色合い。

 ただ、服装はとても洗練された上等なものに変わっていた。イツキが用意したものなのだろうか。アサギリの服装も、イサクとよく似たものに変わっている。

 流れの商人と言っていたが、険はなく、彼の目元は優しげだ。

 緊張しているようだが、アサギリの腰に回した腕には途轍もない愛情が籠もっているように見える。


「オ、オレ……いえ、私はヤゲンと申します。此度の件で、イツキ様の侍従になりみゃっ……した!」


 噛んだ。

 俯くヤゲンに、寄り添いながら手を添えるアサギリ。なにも言わないイツキ以下二人。

 そんな空気の中に、アオイの小さな声が落ちる。


「え、と……アオイと、言います。よろしく、お願い、します……っ」


「ヤゲンには、俺の仕事について来てもらうから」


 アオイを離すことなく、イツキはそう口にした。

 その言葉を聞いたヤゲンがピシリと背筋を伸ばす。表情は固いが、気負っているようには見えない。頑張りますと小さく呟いた彼を、アサギリが宥めるようにゆっくりと撫でる。

 寄り添い合う二人を擦り抜けるようにして、イサクが(テーブル)に茶器を置いた。

 イツキの目の前に置かれたそれは罅でも入ってしまったのだろうか。蜘蛛の巣のように継がれた金が、さらに器の美しさを際立たせている。

 さらに全員分の茶を配り終え、イツキが全員に座るように声をかけた。

 さっさと腰掛けた古参の二人とは違い、ヤゲンとアサギリは戸惑ったような表情で長椅子(ソファ)に腰を下ろした。

 おずおずとしながらも、二人支え合って座る様子に、アオイはふふっと笑みを零す。

 その様子をイツキの碧い瞳が見つめ、ふと甘くほどけた。

 徐ろに腕が伸び、アオイの頭を撫でる。

 ユヅルと同じく護衛剣士であるイツキの腕は、服の上からではそうとわからないほどに実は逞しい。物腰の柔らかさと頭の良さから文官と間違われるが、イツキは根本から武官なのだ。

 拳を握る手は、優美さとはほど遠いほど武骨だ。触れてみればわかる。

 壊さないように、慎重に。

 イツキがアオイに触れるとき、いつもそうやって気を遣っていることにアオイはとっくに気がついている。


「……イツキさん、くすぐったい、です」


「うん。アオイがかわいい顔をしていたから」


 ポッと花開くように染まるアオイの頬に、イツキが指を滑らせる。そのまま近づいてきた唇が髪の生え際を掠めていき、アオイの頬は誰にもわかるほどに熱くなる。


「んんっ」


「戻ってきていただけますかね、坊っちゃま」

 

 近くから、咳払いが聞こえた。続いて呆れたようなイサクの声。

 けれどイツキはアオイを離さない。辛うじて「坊っちゃまはやめなさい」といういつもの言葉がイサクを嗜める。

 普段ならこれでアオイから離れるイツキが、今日はいつになくベッタリだ。

 声にも少し張りがないように思え、アオイはイツキの頭に静かに指で触れた。


「イツキ、さん?」


 アオイの指先に、イツキが頬を擦り寄せる。大きな手のひらに、アオイの手などすっぽりと包み込まれてしまう。


「うん……アオイに隠し事はできませんね」


 甘えるように微笑まれた。手のひらに、唇を寄せられ、アオイの肩が跳ねる。


「ヤゲンを侍従にしたのは、ユヅルをアオイ付きにしたからなんだけど……まあ、それだけじゃなくて。さっきも言いましたが、アオイの力を見てアオイがカグヤだって気づかれたから、ちょうどいいかなって思って。アサギリと理由は同じです。それに、彼らはあなたに恩があるからね。絶対、裏切らない。――そうだろう?」


 アオイに説明しながら、最後にイツキは正面の二人に向かって視線を投げる。

 問われた二人は、揃って何度も首を縦に振った。若干青褪めていることに疑問を覚えながらも、アオイはまた出てきた"ちょうどいい"という言葉に首を傾げて瞬いた。


(……もしかして、口止めが、本質じゃ、ない……?)


「それで。坊っちゃ……イツキ様がこんなに急いで戻ってこられたのには、なにか理由がおありなんでしょう?」


 微妙に強張ったような空気を壊したのは、イサクのゆったりした声音だった。


「もしかして、護衛まで欲しくなったんですか?」


「なんでだ。俺が護衛を必要とするように見えるか? ヤゲンだけで十分です」


「え、でもオレ……あ、いや私は自分の身も守れませんけど……!?」

 

 カタンという音に視線を巡らせれば、イツキの隣に座ったイツキがちょうど茶器を卓上に戻したところだった。

 不満そうなイツキの声は、いまだアオイの上から聞こえてくる。

 いつ離してくれるのかなと思うが、その腕は一向にアオイを離さない。なんだかだんだんその状態にも慣れてしまいそうで、少し落ち着かない。

 恐る恐る、イツキとユヅルの会話に口を挟んだヤゲンに、アオイの上から呆れたような声が落ちた。


「せめて自分の身くらいは守れるようになりなさい。あと、もう面倒くさいので"オレ"でいい。ただし、殿下の前ではちゃんとするように。ユヅル、ヤゲンに護身術くらい叩き込め」


「ひえ……」


 承知しましたと頭を下げるユヅルから「あまり俺に仕事を押し付けないでくださいね。今度からヤゲンもいるんですから」という小声がアオイの耳に届く。当然、イツキにも聞こえただろうが、彼はそんなものをなかったかのようにして、話を続けた。


「それで、戻ってきた理由ですが……」


 イツキの手のひらが、アオイの頭をゆっくりと撫でる。抱きしめる腕がさらに強くなり、そのまま体を持ち上げられた。


「きゃ……っ。ぇ、い、イツキ、さん……?」


 横抱きに、膝の上に座らされてしまう。


「はぁ……嫌だ……」


 再び首すじに、イツキの顔が埋まった。グリグリと額を押しつけられ、アオイの頬に熱が上がる。


「ちょっと坊っちゃま?」


「ちょっとイツキ様?」


 体をしっかりイツキの腕の中へと収められたアオイは、オロオロしながら手の先だけを彷徨わせる。そこしか動かせなかったのだ。

 イサクとユヅルのピタリと合った声が呆れを含んで聞こえてくる。

 視線を巡らせてみれば、困ったような顔のアサギリと目が合った。おっとりと微笑まれ、逆になんだか羞恥を覚えてしまう。

 その隣に座っているヤゲンはどこかソワソワと落ち着かない様子だ。頻りに出入り口の扉(壊れている)とイツキとの間を見て眉を下げている。

 その困ったような――どちらかというと焦ったような表情を、アオイは不思議に思った。


「あの、イツキさん……なにかあったんですか……?」


「うん? どうして?」


「えと、その……ヤゲンさんが、なにか……言いたそう、で……」


 アオイの一言で、室内の視線がすべてヤゲンへと向いた。


「ヤゲン……なにか言いたいことでも?」

 

 イツキにまで目で射抜かれたヤゲンは血の気を引かせながらも、首を振る。横に。ぶんぶん音が聞こえそうだ。

 それでも、落ち着かない様子を隠せない彼に、イツキは仕方なさそうに息を吐く。

 そして、アオイからほんの少しだけ体を離す。横抱きにされイツキの服の袖を握っていたアオイの手を、見た目よりもゴツゴツした手が掬い上げ、彼は頬を擦り寄せた。


「アオイ……すみません。本当は、あなたに話があったんです」


 一呼吸で真剣な表情に鳴ったイツキに、アオイも背筋を伸ばしてコクリと頷く。


「まだ本調子ではないでしょうが、これから俺と一緒に皇王城へ行きましょう。――殿下に、呼び出されました」


「……へ?」


「「はあ!?」」


 アオイの間の抜けた声に重なるように、イサクとユヅルの声が二重音声のように迸った。

 イサクの隣ではアサギリが手で口を覆ったまま固まっている。

 ヤゲンだけが、ようやくといったように安堵の息を吐いたのだが、誰も気がつくことはなかった。


 ◆ ◆ ◆


 それから数刻後、アオイはユヅルとともに馬車に揺られていた。


 イツキの落とした爆弾のせいで、応接間――だけではなく、コクウ家は俄に騒がしくなった。

 イツキに関しては、イサクから特大のお説教が待っていたようで、そうとわからないけれど暫くゲッソリした顔をしているように見えた。

 別室から『呑気にお茶なんか飲んでいる場合ではないでしょう!?』という叫び声が聞こえてきていた。茶を淹れたのはイサクだったのに。

 そして、ヤゲンはユヅルから、


『そういうことは、真っ先に言うべきだろう! イツキ様を恐れて遠慮などしていたら、あの方の侍従なんか務まるか!!』


 と盛大に叱られていた。ユヅルの怒鳴り声というとても珍しいものを聞いてしまった。

 ヤゲンは『理不尽です!』と嘆いていたが、アオイにはどうすることもできなかった。

 慌ただしく皇王城へと行く準備をしていたのはアサギリだったが、途中からイサクも支度に加わってくれた。

 イツキへのお説教が一段落したのかもしれない。


 そして、ドタバタしているコクウ家の門を蹴破るようにして侵入してきたのは、皇王城からの使いだという人物だった。

 アオイは、イツキから『あ、彼も殿下の護衛剣士ですよ』と言われたが、名乗られなかった(彼は名乗ろうとしたがイツキが許さなかった)ため、馬車に乗ったいまもその剣士の顔以外の情報がわからない。

 ただ、怒り狂いながらもイツキに敬意は評していた……と思う。たぶん。


『イツキ様のアホンダラーーーー! 殿下に呼ばれてるからやってきたのに外でこんな長い間立たされ待たされ寒いし時間は過ぎていくし!! 怒られるのは俺なんですよおおおお!! なに呑気に茶なんかしばいてんすか!!』


 という訴えには、アオイは恐縮するしかなかったが。

 当のイツキは半泣きの使い(同僚)へ嫌そうに一瞥を向けただけだったが。


「……やっぱり、似合いますね、それ」


 そしていま、馬車に揺られながら、アオイはイツキの胸に凭れかかっている状態である。

 イツキに手を取られ先に馬車に乗り込んだアオイを、イツキは問答無用で膝に乗せたのだ。


(な、なんか……イツキさんとの馬車は、ちゃんと乗ったこと、ないかも……)


 祭祀礼館からコクウ家にやってくる馬車の中でも、イツキはアオイを腕に抱いたまま離さなかったから。

 そのことを思い出し、アオイの頬が無自覚に染まる。

 桜色に上気するその表情をイツキが食い入るように見つめていることに、アオイは気が付かない。

 俯きながら、頭の横に手をやる。髪は、バタバタしながらもアサギリがかわいらしく結い上げてくれた。

 留めているのは、以前皇都中央の工房でイツキがアオイに似合うと問答無用で購入した簪だ。

 月と白鴉の意匠のものではない。

 指に触れた月夜桜の淡い色の飾りが、ゆらりと揺れる。シャラ……という涼やかな音がアオイの耳に届いた。

 その揺れる飾りを目で追いながら、イツキがゆっくりと目を細めた。

 そしてまた「うん、似合う」と嬉しそうに笑うから、アオイの心臓はもう休むことを忘れてしまったように動き続けていた。


 そんなふうに甘やかされながら馬車は皇都中央へと入り、祭祀礼館を通り過ぎ皇王城の門を止まることなく潜り抜けた。

もうストックはない…

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