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カグヤのきせき  作者: 桜海
弐の月

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16/22

拾伍

宣言した日付を大幅に超えて更新……うっ

 その日、コクウ家は俄に騒がしくなった。

 

 アオイとイツキが遠乗りから帰ってきて、すでに週がひとつ過ぎていた。

 イツキの腕の中で目覚めたあと散々甘やかされたせいか、それとも久しぶりに全力を出して――出しすぎて疲れていたからなのか。アオイは、あれから四日ほどイツキの部屋から出られなかった。

 体がとても重かったのだ。だから、理由としては後者なのだろうが、その間イツキがアオイのそばを離れることはなかった。

 イツキがどれくらいの休みを取っていたのか、アオイは知らない。けれど、若干青い顔をしたユヅルがイツキの部屋を訪ねてきたことを考えると、確実に日数を過ぎていたのだと思う。

 名残惜しそうにイツキが屋敷を出ていったのが、昨日。

 今朝もまだ、イツキは戻ってきていない。

 皇王城からの遣いだと言う役人がゲッソリしていたから、きっと休んだツケが回ってきているのだろう。

 アオイは、今までのように菜園へ向かおうとイツキの私室を出たところで、ユヅルに呼び止められた。

 いつもなら、アオイの身の回りの世話をするイサクの姿が、ここ最近見えない。

 イツキの部屋に入り浸っていたからと言って、イサクが彼を窘めに来ないのはおかしいと、アオイは思う。イツキとユヅルほど、イサクとともに過ごした時間は長くはないが、彼女であればイツキにチクリと嫌味のひとつでも言いに来そうなものなのだが。

 首を傾げながらもユヅルの先導に従い、アオイは階下のとある一室へと赴いた。

 玄関口からほど近いその部屋は、来客を通すための場所のようだ。

 一つ上の階――イツキやアオイの部屋の下の階――は客室のため、本当に応対だけを目的とした部屋のようだった。

 通された室内には、二つの人影があった。一人は、先ほどまで考えを巡らせていたイサクだ。

 久しぶりに目にしたような彼女の姿に、アオイの口元に安堵のような笑みが浮かぶ。

 そして、もう一人。

 椅子に腰掛けていた人影が立ち上がり、アオイの目の前へと歩み寄ってくる。

 赤茶の髪に、穏やかな緑色の瞳。ここコクウ領内では、いっそ珍しいほどの色合い。

 果敢なく消えてしまいそうだった様子から一転して、温和な雰囲気を纏う美女を目にして、アオイは「あ!」と声を上げた。

 そして慌ててその口を両手で塞ぐ。


「ご、ごめんなさい……」


「なぜ、お謝りになるのですか?」


 俯いたアオイの耳に、涼やかな声が届く。そろそろと顔を上げたアオイの目の前で、彼女は困ったように微笑んでいる。

 大きな声を出してしまって恥ずかしくて。

 その一言を告げることもできずにいるアオイに、緑の瞳が不思議そうに揺れる。

 嫋やかな白い手がアオイに向かって伸びてくる。口元を押さえていた彼女の手を優しく包み込むと、美女はアオイの前に膝を突いた。


「え、あの……っ」


 驚くアオイを下から見上げ、美女はまた微笑む。眩しそうに目が細められる。


「お会いしたら、お礼を申し上げたいと思っていたのです。あの日、貴女様がわたしの病をすっかり良くしてくださいました。今ではこうして外を出歩くこともできます。一週間(五日)前までがまるで夢の中の出来事のようです」


 潤む緑の瞳を見下ろして、アオイの目の前もぼやけ始めていた。


「お、お体の具合は……もう……大丈夫なんです、か?」


「ええ! もうすっかり。本当に、ありがとうございます。カグヤ様」


「ぁ……」


 "カグヤ"と呼ばれた瞬間、アオイの体がビクリと震える。

 バレていた。バレてしまっていた。

 ずっとなにもできないカグヤだった。今まで神事に参加しないカグヤはいなかったのに、アオイはこれまでどの神事にも参加させてもらったことがない。だから、巷で"神事にすら参加しない我が侭で役立たずな出来損ないカグヤ"と噂されていることを、知っていた。

 教えたのは、祭祀礼館のいつもの巫女見習いたちだ。

 今まで誰の目にも触れたことのないカグヤが、外でこんな風に力を使ったとなれば、なにを言われるかわかったものじゃない。

 きっと、イツキはそれを危惧したからアオイの存在を隠したのだ。そうに違いない。

 ここで、この美女に罵倒されるのか、蔑まれるのか。――なにを、言われるのか。

 カグヤとして、みんなの期待に応えたかった。みんなの役に立ちたかった。

 カグヤとして、もっとちゃんとできたら良かったのに――。


「アオイ様、大丈夫ですよ。――さぁさ、肩の力を抜きましょうねぇ」


 横から、イサクの声がした。視線を向けると、水色の瞳が優しく微笑んでいた。

 肩を抱かれ、ゆっくりと擦られ、アオイは詰めていた息を少しずつ吐き出していく。いつの間にか呼吸を止めていたらしい。


「大丈夫、大丈夫。彼女はお礼を伝えただけです。そうでしょう? ですから、怖いことなんてなにもありはしないんですよ」


 床に膝を突いたままの女が、イサクに視線を向けられ小さく頷く。

 二人の間のそのやり取りを見て、アオイも静かに女の前に腰を下ろした。


「……すみません。ちょっと、祭祀礼館のことを、思い出してしまい、ました。あの……お体、治って良かったです」


 繋がれた手を、もう片手でも包み込む。

 女の目が大きく見開かれた。そのまま包まれた手に額を押し当て、なにかを囁く。おそらく、祈りの言葉だった。


 床に座り込んでいた二人を、イサクとユヅルがそれぞれに長椅子(ソファ)へと誘導する。

 四人が腰を落ち着けたところで(ユヅルは固辞したがアオイには勝てなかった)、イサクが湯呑みに茶を淹れ始めた。

 ふわりと緑の香ばしい香りが部屋に満ちる。


「アオイ様。まずは、彼女のことを紹介しますね」


 温かな緑茶で、主の緊張がほぐれた頃を見計らい、イサクが切り出す。

 その言葉に頷くようにして、アオイの目の前に座った女が自らの胸に手を当てた。


「わたしは、アサギリと申します。カグヤ様……いえ、アオイ様に助けていただいたあの日から、研修をしておりまして、今後、アオイ様専属の侍女となることが決まりました」


「え……じ、じじょ、ですか?」


 じじょ。――侍女。

 咄嗟に言葉の意味がわからず、アオイが大きな瞳をパチリと瞬く。

 その様子に、アサギリが微笑んだ。


「そうなんですよー。坊っちゃまも、アオイ様の側仕えが私だけなのを気にしていたようでして。ですから、ちょうどいいと思ったようです」


「ちょうどいい……?」


 なにが? と思いイサクを見たアオイは、にこりと笑みを向けられてしまい口を閉ざした。

 ユヅルには淡く微笑まれたまま首を傾げられ、アサギリも似たようなもの。


(こ、これは……聞いちゃだめってこと、かな……?)


 よくわからないままコクコクと首を縦に振り、アオイは意味もなく湯呑みに口を付けた。

 少し微温くなった緑茶を飲みながら、考える。

 イツキと皇都中央まで遠出をしたこと。途中で市場に寄って、串焼きが美味しかったこと。もう立ち入ることもないと思っていた月嶺森林で、イツキと両想――っ。

 そこまで思い出し、顔が熱くなった。

 ふるふると頭を振るアオイを、三人の目が不思議そうに眺めている。


「あ、あの……アサギリ、さん……には、確かご主人が、いました、よね……?」


 イツキとの夜のアレコレや道中のアレコレを頭の中から追い出して、アオイは尋ねた。

 帰りの市場で騒ぎがあったが、その時の男性はどうしたのだろうか。


「あ、はい。主人も共にこのコクウのお屋敷におりますよ。いまは……その、ちょっと」


 微笑みながら言葉を濁したアサギリに、なにか不都合でもあったのかと不安になるが、そうではないと言う。

 なにもわからないでいるアオイの横から、菓子折りが差し出される。隣のソファには、無理矢理座らせたユヅルがいた。


「そのうちおわかりになります。今はまだ、このままで。ほら、アオイ様。この茶菓子は美味ですよ。イツキ様がわざわざ俺に買いに行かせたものです」


「なんでアンタはそれを堂々と言うのさ」


「いや、せめて労力に見合ったお褒めの言葉(見返り)が欲しい」


 わざわざというところを強調しながら話すユヅルに、イサクが呆れたような声を出す。それにポンポン言葉を返すユヅルがおかしくて、アオイは口元に手を添えると笑みを漏らした。


「……ありがとうございます、ユヅルさん。これ、甘くて、ホロホロしてて、おいしい……です」


「ああ、お口に合ったようで安心しました」


 皇都の南に位置するツキウ領で、今流行の茶菓子なのだそうだ。

 なるほど、とアオイは頷いた。

 皇都に隣接している領の商品は、比較的皇都中央で手に入りやすいのだ。そして流行も、皇都に隣接しているというだけですぐに中央に広まっていく。

 中央で広まれば、それはすぐに皇王城へと伝わる。

 皇王城には皇王や皇子だけではなく、この国の美女が集まる後宮がある。そこまで噂が広がれば、その流行りが国全体のものになるのもすぐだ。

 だが、これはまだきっと、そこまでではない。

 ユヅルの口ぶりからして、ツキウ領まで買いに走ったのかもしれない。

 だとしたら、本当に大変だったのだろう。


(コクウ領からツキウ領までどれくらいかかるのかな……?)


 距離がわからないせいで、どの程度の苦労があったのかアオイには想像もできない。

 けれど、いつも寡黙なユヅルがこんなふうに愚痴を零していることが、その大変さの象徴のような気がして、アオイはへにょりと眉を下げた。


「あ、あの……っ、ユヅルさん……!」


「はい?」


 見返りが欲しいというユヅルにアオイがあげられるものがなにかわからない。

 ユヅルは寡黙だから、話したこともそう多くはない。

 けれど、いつもアオイの少し後ろで守ってくれていて、たまに目が合えば小さく微笑んでくれる。そこにとても安心感を覚えている。

 そんな彼に、なにを差し出せば良いのか検討もつかないから。


「あ……その。お、お礼……」


「え、お礼ですか?」


「は、はい! なにか、してほしいこととか……ありますか? わ、わたしお金は、持ってないので、なにかあげることは……できないのですが……」


 意気込むようなアオイを見返したユヅルの瞳が、大きくなった。いつも冷静で、静かに佇んでいる男にしては珍しい表情だった。

 両手を握りしめるアオイを見つめ、ユヅルが小さく笑うように吐息を零す。その手を下から掬うように持ち上げて、小首を傾げるようにする。


「そうですね……では、俺とも逢い引き(デート)してくれませんか?」


「…………へ? デー、ト?」


 アオイを見つめたまま、ユヅルが片目を瞑る。その伺うような水色の瞳に面白そうに光るなにかを見つけ、アオイもつられて首を傾ける。


「ええ、実は――」

 

「ユヅル! おまえーっ!」


 その途端、突如として開かれた扉の音に、アオイの細い肩がビクリと跳ねた。

 目の前のユヅルが片眉を上げ、出入り口の方を見る。

 反対側ではアサギリが口元を両手で隠しながら目を瞠り、イサクがやれやれとでも言うように額に手を当てて首を振っている。

 客間の入口には、肩で息をしているイツキが鬼のような――まさに鬼人というに相応しい――形相で立ち塞がっている。

 片手で押さえられた扉がガタリと鳴った。

 もしかしたら蝶番が外れているのかもしれない。

 ヅカヅカと室内に入ってきたイツキが、ユヅルに詰め寄った。


「ユヅル! おまえ、なに軟派してるんです!?」


「していませんよ、軟派なんて」


「なにしれっと嘘吐いてるんだ! どう見てもいましていたでしょう!? デートに誘うとかなにを考えている!」


 両手を上げながら立ち上がり、ユヅルがイツキに落ち着けとばかりに押し付ける。

 その隙にアオイはイサクに腕を取られ、二人から距離を取らされた。

 視界の隅でアサギリが慌てた様子でソファを立ち、入口に向かって歩き出している。

 壊れた扉の隙間から、ヒョコリと男が顔を出していた。


「ぁ……」

 

 かわいそうなほど青い顔をした男に、見覚えがあった。

 あの、市場でアオイの果実を求めて騒ぎを起こした男だ。アサギリの夫でもある。

 傍らではイツキとユヅルが未だに口論している。――と言うよりも、イツキが一方的にユヅルへ詰め寄っている。

 イサクはアオイの肩を自身に引き寄せ、離そうとはしてくれない。


(と、とめ……止めなくて、いいのかな……っ)


 中途半端に上げた両手をオロオロと彷徨わせる。そんなアオイに、イサクがそっと顔を寄せた。

 他の誰にも気づかれないような小声で、アオイの耳元に言葉を落とす。


「アオイ様。心配はいりませんよ。坊っちゃまのアレは気にしないでくださいな。そんなことよりも、」


「そんなこと……」


 イツキの常に無い様子をイサクが一刀両断する。

 

「はい。そんなことよりも、ユヅルが()()()()()を申し上げたのには理由がありまして、実は――」


 続くイサクの言の葉に、アオイは零れそうなほどに目を見開いた。


 

「さて、ではアオイ様。あの通りポンコツになってしまっている坊っちゃまを、宥めてきてくださいませ」


 それだけ言うと、イサクはアオイをいまだ剣呑な――剣呑なのはイツキだけだが――雰囲気の男二人の元へとそっと押し出した。

 とてもいい笑顔だった。

 アオイに気づいたユヅルが、イツキを押し留めていた両腕を下げる。

 口は出しても手を出すことのなかったイツキが、怪訝な顔で眉を上げた。

 その腕に、アオイはそっと触れる。

 ピクリと、服越しの筋肉が手のひらの下で揺れる。


「イツキさん……あの、」


「あ、あ、アオイ……まさか、ユヅルとデートに行くなどと、言いませんよね……?」


 触れた指先が、勢いよくイツキの手の中に包み込まれる。

 その力強さに驚きながらも、アオイは小さく頷いた。


「あの、はい……それは、行くんですけど、それよりも……」


「いく!? それよりも!?」


 この世の終わりのような顔で、イツキがアオイの前で棒立ちになる。

 その表情を見て、ユヅルとイサクが二人同時に吹き出した声が、客間の空気を震わせた。

いつも余裕でアオイに溺れてるイツキが好きな人はゴメンナサイ……彼はポンコツです。

…………いないか。

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