迷宮小旅行19
ガヤガヤと騒がしい中でも、そのやや低い声はしっかりと聞こえた。
「ねえそうでしょ? そこのあなたよ」
最奥エリアのお店の人をやっていて、かつ、ここを歩いている人が他にいるという確率は結構低そうだ。
サフィさんも私を見たので、やっぱり私に声を掛けているらしい。周囲を見回すけれど、筋肉成分の高い壁によって声の主は見えなかった。私の背が低いのではなく、ここの平均身長が高いのである。
「ちょっとおどきなさい。邪魔よ」
「ってえなあ」
前方から声が近付いてくる。掻き分けられたらしい男の人が文句を言うけれど、声の主がガァッと威嚇すると舌打ちをして離れていった。
そりゃそうだろう。相手は二足歩行のトラである。ちょっと腹立ったくらいで喧嘩を売るにはハードルが高い相手だった。
二足歩行のトラは、ヒゲを持ち上げるように牙を剥いてグルルと周囲を威嚇しながらゆったり歩いて私たちの前に立つ。中心に線があり、横縞の走る額には大きな羽根と宝石、それからいろんな小物を付けた紫色の派手な帽子を被っている、顔周りのフサフサした毛の下からは、ゴールドチェーンのネックレスが見えていた。
なんかこのマダム感漂うトラ、見たことある気がする。
金色の目とじっと見つめあったままそう思っていると、ヌッと大きな顔が近付いてきた。そしてすぐにバチンと音がする。
「ハイハーイ売り子さんに手を触れないでくださーい」
私に触れようとしていたらしい、どっしりと太くて黒い爪が垣間見えている手を叩き落としたのはサフィさんだった。マダムトラは私の隣に立つサフィさんに大声で吠えたけれど、サフィさんはニコニコしたまま怯むことなく立っていた。2度ほどガオッと吠えたマダムトラは、それでもサフィさんには手を出そうとせず。フンと睨んでから私に視線を戻す。ちょっと顔を近付けてフンフンと匂いを嗅ぐように鼻を動かした。
「やっぱりあなたそうでしょ。最奥の店の良い店員ね」
「あ、はい。こんにちは」
「どうしてこんなところにいるの。あなたとても弱いんだからこんなところ歩いちゃ駄目でしょ」
とても弱い認定されていた。事実だけれども。
マダムトラは「ここにいるようなのは弱いけど、あなたはもっと弱いのよ」とさりげなく周囲を殺気立たせていた。舌打ちや野次が飛んできてもスルーしているあたり、マダムトラはこのエリアの人たちより強いのだろう。トラだし。
「早くお店に帰りなさい。送ってあげてもよくてよ」
「あの、お気持ちは嬉しいのですが、人探しをしに来てるので」
「どんなのを探してるの?」
ユウの特徴を説明するとマダムトラは「知らないわ、人間なんて区別つかないし」とそっけなく言った。なんで訊いたんだろうと思いつつも、私もトラの区別がつかないのでしょうがない気もする。
「私はもっと奥から戻ってきたけれど、そういう弱いのは見なかったわよ」
「そうですか」
「そんなことよりあなたいいところにいたわね。これを売って頂戴」
マダムトラがこれ、と差し出したのはビニール袋の成れの果てだった。
びらびらに引き裂かれ、持ち手も底もなく、ただの薄くて細長い透明なビニール片と化している。マダムトラがビニール袋を気に入って買っていったお客様だと気付いたので、かろうじてそれがビニール袋だと気付いたレベルだった。
「あの店行くの大変だからあちこち探したけど、売ってないのよ」
「でしょうね」
色んな意味で、迷宮内のお店を回って商品を探すのは難しかっただろう。このビニール片を差し出されて困惑した店員は少なくなさそうだ。
「いっぱい頂戴」
「えー、今持ってないしお店もやってないんですけど」
「ひとつくらいないの? 1枚だけでも売ってくれるなら小銀貨1枚出すわ」
「あるかなあ」
前に抱えているリュックのチャックを開けて探ってみる。テピちゃんが隙間から周囲を見回したけれど、マダムトラを見つけてテピッと隠れていった。
「あ、あった」
いつも持ち歩くリップなどの小物を入れたポーチに、ビニール袋がひとつ入っていた。三角形に折り畳まれたそれを取り出すと、マダムトラがグルグルと喉を鳴らす。唸っているのではなく、喜んでいるようだ。
「じゃあそれを頂戴。はい小銀貨」
「これ売り物じゃないんですけど」
「あなた中々頑固ね、じゃあ小銀貨2枚でもいいわ」
「そういう意味でもないんですけど」
私が買い物のために持ち歩いていたものだけれど、マダムトラはそれでもいいらしい。迷宮で買い物する予定もないし粘られても困るので売ることにした。サフィさんは「ユイミーちゃん真面目だねー」と笑いながら見ている。
「他に持ってないの?」
「ないですね」
「じゃあ仕方ないわ。また稼いだら買いに行くから、ちゃんと店に戻るのよ」
「はい、毎度ありがとうございます」
前と同じように、ビニール袋を広げてバサバサと膨らませると、マダムトラは上機嫌でそれを受け取った。ギュッと両手で抱えているのはちょっと可愛いけれど、爪ですぐにダメになりそうな気がして心配だ。
「そうそう、この先に道が分かれているところがあってね、左が奥に行く道よ。右は気持ち悪いのが集まっているから、行かないようになさい」
いいわね、と念を押されてちょっと思った。
なんかそれ、フラグっぽい。




