はじめての魔術28
モヤモヤした気持ちのまま1限を終え、ちょっと迷ったけれど急いで旧館近くのベンチへと戻った。
「いない……」
大きな体格の男子学生が横たわっていたベンチは空になっていた。
軽く見回してみても、山田さんらしき姿はない。講義中にどこかに移動したようだ。
具合が悪かったなら、ここにいるよりはどこかに移動した方がずっといい。だけど、もしいたなら何が原因なのかもっと詳しく聞けたかもしれないとも思ってしまう。
山田さんはいい人だし、きっと飲み過ぎか何かで体調を崩しただけなのだろう。バイトで無理をし過ぎただけかもしれないし。体力もあるし健康そうなのですぐに回復するだろうし、そうなってからも疑わしいと思ったら直接訊けばいいだけだ。具合が悪い人にわざわざ変なことを言って困らせるのもよくないし。
シノちゃんが一緒にいてくれたら、何か分かったのだろうけれど。
朝寝坊をしたシノちゃんはのんびりした様子で調子が悪そうではなかったけれど、いつも元気で食欲の権化なだけにちょっと気になった。
魔力とか魔術とかをよく知らない私にとってシノちゃんは「なんか知らないけど強い」くらいの認識なので、どう強いのか、シノちゃんが昨夜みたいな状況になる時はどういうレベルの戦いなのか、今朝の状況は本当に心配ないものなのかもわからない。
もっと魔術について詳しくなれば、わかるようになるのだろうか。
「ゲヒーッ」
「あ、2限」
バッグからこっそり声を掛けられて、私は慌てて引き返した。2限の講義室まではただでさえ移動距離が長いのに、こんなところでボーッとしている場合じゃない。
しかも学科の必修科目だ。人数が少ないので後から入れば絶対に目立つし、教授に顔を知られているのでチェックされる。3回サボるとレポートが課されるという噂は真偽不明だけれど、厳しそうなので本当かもしれない。
スジャークさんを抱えて走った時と同じくらいに本気を出して構内を走り、階段を2段飛ばしで駆け上がる。
足を止めずにスマホで時間を確認すると、ギリギリ大丈夫そうだった。急ぎながらもちょっと息を整える。踊り場で折り返して次の階だ、と思った瞬間、目の前にヌッと人影が現れた。
「キモい!!」
パーンと音が鳴る。
人影が現れた、気がしたのだけれど。
思わず叫んだ瞬間に、それが最初からいなかったように消えた。
「……?」
なんか今、大きめの影があった、ような。
それがヌッと顔を近付けてきた、ような。
反射的に嫌悪感に襲われ思わず手を出した、ような。
そしたらいい感じにビンタが決まってしまった、ような。
そういう気がしたけれど、その証拠はどこにもなかった。
大きな風船を割ったような破裂音がした筈なのだけれども、それすら本当か分からなくなっていく。思わず立ち止まった私を、後ろから知らない学生が追い越していった。
白昼夢だろうか。
混乱していると、チャイムが鳴り始める。
「もー!!」
再び走り出し、それから途中のトイレに入って乱暴に手を洗ってから講義室まで走る。
ろくに手も拭けず、向こう側から歩いてくる教授と目が合いながらも3秒差くらいで講義室に滑り込めた。
息を整えながらノートと教科書を取り出して、ペンを握る。
早速話を始める教授は、出席を確認するように室内を見渡していた。その視線に見咎められずにすんだことに安堵しつつ、そっとノートに文字を書く。
さっき、変なやつが飛び出てきてビンタで消えた気がするけど現実?
サッとページに移動してきた謎生物ゲヒゲヒは、文章の周囲をぐるぐると移動しながら、曲線だらけの自らの体から取り出したマークをサッと掲げた。
マルだ。
つまり、あれは幻でも気のせいでも白昼夢でもなかったのだろう。
思い出してみると、黒い影は昨日のような濃い闇に近い黒ではなく、黒炭で塗りつぶしたようなぐちゃぐちゃした黒色だった気がする。
そしてなんか、例えようもなく気持ち悪かった気がする。
あとビンタが当たったときにちっちゃく「へぶっ」って言ってた気もしてきた。
「……」
まあ、人が急いでるときに邪魔するから悪いんだよね。
わざと攻撃したんじゃなく、ぶつかりそうで反射的に手が出ただけだからしかたないよね。
必修落とすと留年だし、大学生としては当然の反応だよね。
なんかよく分からないけど勝ったっぽいし、魔女見習い(仮)としても良いことだよね。
話しかけるために書いた文章を持ち去ろうとするゲヒゲヒを手で追い払いつつ、何となく言い訳をした。
ノートの隅っこでは、ゲヒゲヒの子分的存在の動く誤字が「つ」の文字をゲットして嬉しそうに頭に装備していた。




