はじめての魔術24
窓の外に広がる夜の景色の中で一際黒いものが揺れ、それと連動するようにドアのカギのところがバチバチと音を立てる。
その異様さに、私は思わず後退りながらポケットのお守りに手をやった。
どうしよう。
窓の外にいる何かは、この部屋の中まで入ってくるだろうか。テピちゃんたちとヒナたちとニンニクとノート類を抱えて逃げられるだろうか。
逡巡しているうちに、バシッと大きな音が鳴り、同時にレバーが動いた。左側のガラスが勢いよくスライドする。
「シノチャンノオウチニショボイ仕掛ケシタノハ誰ダァッ!!」
「……シノちゃんかよっ!!!」
聞き慣れた声に、私は思わずシノちゃん以上の音量を出してしまった。
人騒がせなトロピカル鳥をしまいこんで窓を閉めようと我に返った瞬間、その異様な様子に気付く。
「シノちゃんそれどうしたの? なんかめちゃくちゃ汚いんだけど」
「シノチャンハドンナトキモ清楚ナノッ!!」
「いや物理的にすごい汚れてるし」
トルコブルーにピンクの差し色が入った明るい羽根色が、べったりとタールのような黒いものに覆われている。原油の海にダイブしたか、工事したてのアスファルトで昼寝でもしないとこうはならないのではないか、というくらいに、ギトギトした黒いもので羽根がべちゃっと潰れていた。
「アー疲レタ〜チョット〜シノチャンノ留守ニ変ナ鳥連レコンデナイデショウネェ〜」
「いや私が知ってる中で一番変な鳥はシノちゃん……ちょっとそのまま入ろうとしないで!」
サッシを掴んでいる脚も、よく見たらギトギトに汚れている。私は部屋を見回して見つけたジッパーバッグを広げて中に手を突っ込み、部屋に入ろうとするシノちゃんの前に差し出す。
「頑張ッテキタシノチャンノコト汚物扱イスルナンテヒドイッ」
「いや部屋掃除大変になるから。お風呂で汚れ落として」
「ユイミーちゃんガ洗ッテヨネ〜」
ヨッコラショとビニール越しに手に乗ったシノちゃんは、臭い油のようななんともいえない匂いがした。シノちゃんの足を伝って、粘性の高い黒いものがビニールに垂れる。
なぜ1日に2回もゾワゾワするような状況に遭遇してしまうのか。
とりあえずシノちゃんをお風呂場に連れていき、一度引き返してサッシを掃除してから窓を閉め、またお風呂場に戻ってお湯を出す。
「あ、鳥ってお湯掛けたらダメなんだっけ」
「シノチャンハ江戸ッ子ダカラ45度クライガ丁度イイダヨ〜」
「いや死の森出身だから江戸っ子ではないでしょ」
「アンダト〜コチトラ人間三代分ハ軽ク越シテ生キテルッテンデェコノスットコドッコイメッ!!」
「いやこないだ16歳とか言ってたじゃん」
「シノチャンハ揺レ動ク永遠ノ18歳ナンダヨッ!!」
「ちょっと年齢上がってるし」
ぬるめの温度に設定し、シノちゃんを入れた洗面器にお湯を溜めていく。
浴室の入り口のところで、テピちゃんやニンニクが心配そうにこっちを窺っていた。
「やっぱりお湯だけだと落ち切らないね……石鹸付けていい?」
「ネ〜セッカクダカラ貰ッタママ放置シテルドィオールノ試供品使ッテェ〜」
「えぇ……存在忘れてたしいいけど」
なぜ私がブランド物の試供品シャンプーを持っていると知っているのだろうか。友達がくれたのはバイト始める前だというのに。
脱衣所の引き出しをテピちゃんたちと協力して開け、ニンニクが小さな試供品を一生懸命運んできてくれた。シノちゃんの体に付いた謎の汚れで手がぬるついているので開けにくい。なんとか開けて、シャンプーをシノちゃんの背中に少しだけ垂らす。
1度目は全然泡立たなかった。一度流してからもう一度シャンプーを使う。
「シノちゃん、どこでこんな汚れ付けたの? 大丈夫なの?」
「相手ガ超デカカッタカラネ〜腹立ッテ内側カラブチノメシタノヨ〜」
「ぶちのめした……?」
「シノチャンノ圧勝ダッタダヨネ〜アーソコソコモウチョットカイテ〜」
翼の内側にシャンプーを馴染ませつつ、内心首を傾げる。
内側からぶちのめして圧勝した結果のこの汚れ。どういうことなのだろう。
「あの大学で見た変な長方形みたいなやつ? と戦ってきたの?」
「シノチャンハアンナ雑魚デ羽汚シタリシナイッ!!」
「そうなんだ。じゃあ別のやつ? この近所で?」
「ン〜」
訊ねながらシャワーをかけると、シノちゃんは片翼を上げたまま動きを止めて目を瞑る。
まだぬめりが残っているので、試供品の残りを全部背中にかけていると、シノちゃんがクチバシを開いた。
「シノチャンコノ匂イアンマリ好ミジャナイネッ」
「え、あ、そう」
「アトデユイミーちゃんノコンディショナーデ仕上ゲシテ!」
「それは別にいいんだけど」
「チョット! モットシッカリマッサージシテッ! 頭モッ!」
「鳥って水浴びするよね? 自分でやってくれない?」
「ユイミーちゃんノ浮気者ッ!!」
「関係ないでしょそれは」
細かい汚れも全て落とし、綺麗になった洗面器にシノちゃんが仰向けで浮かぶ頃には私も疲れてしまい、結局何があったのかを聞きそびれてしまった。
「ネーモット熱イオ湯ニシテ〜」
「もう出なよシノちゃん。のぼせるよ」
洗面器から盛大にはみ出ている尾羽を突きながら促していて気付く。
シノちゃん、帰ってきたとき地味に「シノチャンノオウチ」って言ってたな。
「いやここシノちゃんのおうちじゃないから!」
「エ〜ナンノコト〜???」
白々しいシノちゃんは、いつも通りトロピカルなすっとぼけ顔に戻っていた。




