はじめての魔術22
「魔術ペンはどっちかというと具体化するよりも一体化する感じだから、自分で意図してやらせるとかじゃないと実体化しないよ」
ひとしきり笑ったサフィさんが深呼吸を繰り返しながら説明してくれた。
とりあえずうちに半透明人体が増えるといった事態は想定しなくていいらしい。
「そうなんですか……」
「まだ決めかねてる顔だねー。魔術ペンって使い込んでいくと魔術陣とか覚えてかなり便利なんだよ。安い魔術ペンだと盗まれたら覚えた魔術陣も盗まれたりするんだけど、このペンは所有者の魔力にかなり馴染むから他の人は使えないんだよー」
「へー」
「試しに使ってみる?」
ハイと渡された金のペンは、軸の部分に読めない文字が刻まれている。翻訳ブレスレットを着けているのに読めないのは、魔術がかかっているかららしい。ちなみに刻んであるのはサフィさんの名前の一部だそうだ。
「開けにくいですね」
「うん。俺のだからねー」
「ただ固く閉めてあるからじゃなくて?」
「違う違う。ほら貸して」
サフィさんにペンを返すと、片手で持ちながらキャップを軽く開けてしまう。何度かやってくれたけど、指で軽く押しただけでもキャップが外れていた。私が持っていたときには、開けにくいジャム瓶くらいの固さに感じたのに。
「なんか描いてみて。魔術陣はもう勉強した?」
「まだです」
「じゃあ文字でもいいかな。呪うとか、そういう気持ちが込めやすいの。殺すでもいいよ」
「呪うとか殺すとかの言葉に気持ちは込めにくいんですけど……」
もうちょっと穏便な言葉にしたい。そう思いながら紙を探して見回すと、魔術ノートがヒギャーと声を上げた。
「やめてくださいっ!! そんな穢れたモノで書かれるくらいなら、一生この透明の檻に入ったまま綺麗な本で生涯を終えますっっ!!」
「穢れたモノって……」
「いやーこのノートウケるねー」
魔術ノートは空気の少ないジッパーバッグの中に潰れた半透明の顔を出して、必死で拒否してきた。いつも早く使えいっぱい書けとうるさい魔術ノートが絶対に絶対にイヤと繰り返しているので、このペンで書かれるのがよっぽどイヤなようだ。
大学ノートを取り出すと、表紙に出てきたゲヒゲヒがバツマークを激しく振りかざしていた。ブンブン振ったあと、子分にしたらしい誤字の上にバツを乗せて消えたかと思うと、どこからか「否」の文字を持ってきてそれをアピールしてくる。
「……うん、そんなイヤなら書かないから。漢字はちゃんと戻しといて」
私がそう言うと、ゲヒゲヒはその場でぐるっと回る。直線部分で子分の上に乗せていたバツを回収して代わりにマルのマークを置いたあと、「否」を持って内側に消えていった。
「すごく嫌がられますね」
「そうだろうねえ。はい、紙切れあげる」
サフィさんがくれたごわごわの羊皮紙の切れ端を手元に伸ばす。
ちょっと考えてから、「静かにして」と書くことにした。最近はこれが一番気持ちを込められる気がする。
「……うわ、気持ちわるっ」
普通に文字を書こうと思っただけなのに、1文字目を書き終えたところで私は思わずペンを手放してしまった。
描いた瞬間、ぞろぞろっと手の内側をなんともいえない気持ち悪い感覚が這い回ったのである。そしてその感覚と共に、虫とかゴミとかそういうのを触ったときのような嫌悪感がぞっと湧き上がってきた。手放したのにまだその感覚が消えない気がして、握った右手をムズムズと動かしてしまう。
「気持ち悪い!」
「その感覚が他人の魔力に触れた感じね。気持ち悪いでしょー」
「めちゃくちゃ気持ち悪い」
「あははーわかるんだけど地味に傷付くなー。俺の魔力結構キレイなのにー」
表情に出るほどの気持ち悪さがある右手を持て余していると、魔術ノートが籠もった声で「ユイミーちゃんさまっ! 手! 浄化ですっ!」と叫んだ。慌てて立ち上がり、キッチンで手を洗う。浄化の呪いとやらを思い出しながら呟いていると、ゾワゾワした感覚が水の流れに溶け出して消えていくような感じがする。
3回くらいすると、心身ともにサッパリ不快感が消えた。その嬉しさで自然と笑顔になってしまう。
「なるほど、これが浄化かー」
「すっごい晴れ晴れしてるけど、俺の魔力気持ち悪いって浄化したんだからね。俺泣いちゃうからね」
「すみません、ものすごく気持ち悪かったので……」
「容赦ないなあ……まあ、他人の魔力に直接触ると気持ち悪いからねえ」
「はい。そのペンを盗めない理由がわかりました」
仮に盗めたとしても、開けにくいし、開けたとしても使えないのだ。どういう仕組みかはわからないけれど、セキュリティ的にはかなりしっかりしているというのが実感できた。
「ちなみにさー。結婚すると夫婦はむしろ魔力が気持ちよく感じるんだよー」
「へー」
「試してみる?」
「イヤです気持ち悪かったので」
「ひどっ」
「しばらく他人の魔力とか近寄りたくないです」
サフィさんは拗ねているけれど、あのゾワゾワは思い出すのもイヤである。
あの感覚がまた伝わるかもしれないと思うと、サフィさんに近寄るのもちょっとイヤだ。そういうとサフィさんが本格的に拗ね始めたので、お詫び代わりにニンニクを多めに出しておいた。サフィさんの機嫌は秒で直った。




