はじめての魔術12
すいすいと空中を泳いだニンニクが、白いヒゲ根で洗い桶のフチに留まる。中を眺めるようにニンニク本体を傾けると、そっとヒゲ根を伸ばして水面にちゃぷんと触れた。細長いヒゲ根で少し水面を掻き回してからそろそろと水の中に入り、厚みのあるジッパーバッグの上に座るようにヒゲ根を伸ばしてリラックスしていた。ちょうど本体が水面に出るような高さだったようだ。
ジッパーバッグの中から響くくぐもった声で、時々僅かに水面が揺れている。ニンニクはその揺れを楽しむようにヒゲ根を震わせていた。
「あー、おーもしろかったー。ここ500年くらいで一番笑った」
腹の傷開きそーと言いながら目尻の涙を拭いつつ、サフィさんが立ち上がる。
確かにヒィヒィ言いながら笑ってたけれど、この500年間にもっと面白いことはなかったのだろうか。吸血鬼はお笑い番組とか見た方がいいと思う。
「いやー前から思ってたけど最高だねユイミーちゃん! どう? イチから全部教えるから俺から魔術習わない?」
「習わない」
「えー、ちゃんと禁術まで教えるのにぃー」
魔術についてはまだ「まずは無機物に名前を書いてみましょう」の項までしか読んでいないけれど、禁術がヤバそうな響きだということはわかる。特に求めていない初心者にそういうことを気軽に教えようとしないでほしい。
「俺が独自で開発した呪語とかも全部教えてあげるのにー。商売道具だから、普通魔道士は生涯秘密にするものなんだよ?」
「じゃあ一生秘密にしといてください」
「ユイミーちゃんのケチー。ちょっとくらい魔術学んだって……ん?」
唇を尖らせていたサフィさんが、ふとドアの方を振り返る。
ドアの隙間から、黒い毛糸が絡まったような、不可解なものがスルリと入り込んできた。有機物か無機物かも判別し難いそれは、ゲヒゲヒと鳴きながらサフィさんの手の上に乗る。
「へー、珍しい」
サフィさんがポイッと手のひらを返すと、ゲヒゲヒ鳴く三次元謎生物がぴょんとカウンターの上に着地した。魔術ノートとニンニクの入った洗い桶を2周ほど回ってから、カウンターの内側に作られた棚へと降りる。謎生物は、そこに置いてあった大学ノートと激しくゲヒゲヒと鳴き交わしていた。
「どうかしたんですか?」
「んー、なんか家に訪問者が来たみたいだから、ちょっと行ってくるー。いや、帰ってくる?」
「そういうのもわかるんですね。ていうかサフィさんってどのへんに住んでるんですか?」
「えーとね、山の方だよー。最近の地図だと『呪いの山』って呼ばれてるかな」
「呪いって……この辺は大体危なそうだってことは知ってますけど、これまためちゃくちゃ物騒な名前のとこに住んでるんですね」
「いやー、なんか近付いてくる敵が鬱陶しいから攻撃魔術掛けまくってたら勝手に名前つけられちゃってた」
テヘッととぼけているけれど、呪いの山に山のような呪いをかけた張本人ということだった。なんか変に化学反応を起こしそうなので、その『呪いの山』が『死の森』の近くでないことを祈る。
「仕事であちこち移動するし訪問者もほとんどいないから、普段はあんまり帰らないんだけどねー」
「そりゃそれだけ物騒だったら誰も来ないっていうか来れないでしょうね……」
ちなみに大怪我で療養していたのは、このお店の近くにある隠れ家だったらしい。そのうち揚げニンニク目当てに近所に越してきて、このお店の周囲が『呪いのなんちゃら』にならないか心配だ。
「かけた魔術が面倒で家に入るのもちょっと手間なんだけど、まあ一旦帰ってみるー」
「本末転倒じゃないですか」
「でもちゃんと明日も食べにくるから! 明日もニンニクよろしくね!」
「あ、サフィさんちょっと待ってください」
平面と立体という壁を超えてゲヒゲヒ交流していた謎生物の立体の方を呼び寄せたサフィさんに、私は声を掛けた。
「何ー? やっぱ魔術教わりたくなった?」
「それはなってないしこれからもならないと思いますけど、これ、持っていってくれませんか?」
バケツに入れてあった蝋梅の枝を持ってサフィさんに差し出す。
「えー? なんかこれ前にも渡されなかった?」
「はい。もう1本どうぞ」
「でかいなあ色々と……これどうすればいいの? うちに置いとく?」
「それはまあ、お好きに」
なんとなく、またサフィさんに渡した方がいいかなとふと思ったのでそうしただけで、特にどうしてほしいという望みはない。そもそも蝋梅さんにもらったこの枝をどうすればいいのか私もよくわかってないのだ。
「これ全部持ってったら店のなくなっちゃうけどいいの?」
「ここに置いておくよりいいと思います。たぶん」
「たぶんって。やっぱユイミーちゃんウケるわー」
ケラケラと笑いながらもサフィさんは蝋梅を受け取ってくれた。ゲヒゲヒ鳴いている謎生物が、その枝に絡まるように掴まっている。
「じゃーまた明日ねー。魔術ノートによろしくー」
「おやすみなさい。気を付けて」
「おやすみー」
サフィさんを見送ってから、水の中に入れていた魔術ノートを取り出す。ニンニクが泳ぐように私の手とジッパーバッグを避けた。表面を布巾で拭くと、水から上がったニンニクも自分のヒゲ根を布巾で拭いていた。
二重になったジッパーを開けつつ、サフィさんの家を想像してみる。
「サフィさんに魔術ならうのは嫌だなあ……」
『………………ユイミーちゃんさまは、誰に習わずとも偉大な魔女になりま……』
「せん」
『なりま……なり…………なりンン』
取り出した魔術ノートが震え声でまた何か言い始めたので遮ってみたけれど、水面に近付けても『なりません』とは言わなかった。結構頑固なノートである。




