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「お前、名前は?」
目の前にいる銀髪の少女が、健太をじっと見つめている。
「……田中。田中健太です」
少女は首を傾げた。
「タナカ? ケンタ?」
「そうです。」
「ふーん。変な名前だな」
いきなり失礼なことを言われた。
もっとも、言葉が通じているわけではないので、健太には少女が何を言っているのか分からない。
少女は立ち上がると、健太に手を差し出した。
「ほら、立て」
「……?」
「立てと言っているんだ」
言葉は分からない。
しかし、手を差し出されていることは分かった。
健太はその手を取って立ち上がる。
少女は健太の服装を眺め、ため息をついた。
「まったく、こんなところで何日も過ごしていたのか?」
「えっと……」
「まあいい。ついてこい」
少女は歩き始めた。
健太は少し迷ったが、ほかに頼れる人もいない。
慌てて後を追った。
少女に連れてこられたのは、街の外れにある小さな家だった。
周囲には木々が生い茂り、少し離れた場所には小川が流れている。
街の喧騒から離れた、静かな場所だった。
「ここが俺様の家だ」
少女は扉を開ける。
健太は恐る恐る中に入った。
室内には本棚が並び、机の上には何冊もの本が積まれている。
薬草のようなものや、見たことのない道具も置かれていた。
「座れ」
少女が椅子を指差す。
健太は言われるままに座った。
少女は向かい側に腰掛けると、健太をじっと見つめた。
「まずは会話ができないと話にならんな」
もちろん、健太には理解できない。
少女は少し考えた後、机の上に置いてあった紙とペンを取り出した。
「よし。今日から言葉と文字を教えてやる」
こうして、健太の勉強が始まった。
「これは?」
少女が紙に文字を書いた。
「…………?」
「これは?」
再び文字を指差す。
健太は困った顔をした。
「えっと……」
もちろん分からない。
少女は自分の胸を指差した。
「俺様」
続いて健太を指差す。
「お前」
どうやら、人称を教えているらしい。
健太は何となく理解し、頷いた。
少女は今度は机を指差した。
「机」
「……つくえ?」
「そうだ」
次に本を指差す。
「本」
「ほん」
「よし」
少しずつではあるが、覚えていく。
しかし、問題はここからだった。
「これは?」
少女が文字を書いた。
「……本?」
「違う」
「えっと……机?」
「違う。さっき教えただろうが!」
少女が額を押さえる。
健太は苦笑いした。
「すみません……」
「まったく。物覚えが悪いなぁ」
少女は大きなため息をついた。
「こんな簡単なことも覚えられないのか?」
健太は少し申し訳なくなった。
だが、仕方がない。
今まで見たことも聞いたこともない言葉なのだ。
簡単に覚えられるわけがない。
それからも勉強は続いた。
単語を覚え、発音を覚え、簡単な文章を学ぶ。
健太は何度も間違えた。
少女はそのたびに呆れた顔をする。
「違う! そこはそうじゃない!」
「えっ、さっきはそう教えてくれたじゃないですか」
「だから発音が違うと言っている!」
「難しいですよ!」
「うるさい! 黙って繰り返せ!」
なかなか大変な師弟関係になりそうだった。
それから数日が経過した。
健太は毎日、少女から言葉を教わっていた。
まだ流暢には話せないが、簡単な会話なら少しずつ理解できるようになってきた。
少女の名前も分かった。
ルーナ。
本人によれば、かなり長生きしているらしい。
見た目は幼い少女だが、実際の年齢は数百歳を超えているという。
最初に聞いたときは冗談かと思ったが、本人は至って真面目だった。
そして、ルーナは魔法にも詳しいらしい。
家にある本の多くは魔法に関するものだった。
ある日の夕方。
勉強を終えた健太は、ルーナにこれまでの事情を話すことにした。
「ルーナさん、ちょっといいですか?」
「なんだ?」
「俺、自分がどうしてここにいるのか分からないんです」
「ほう?」
「昨日まで普通に生活していたんです。仕事をして、家に帰って、寝て……」
健太は少し言葉を選びながら話した。
「それで、朝起きたら知らない場所にいたんです」
「…………」
「最初は夢だと思いました。でも、どう考えても夢じゃない。ここは俺の知っている世界じゃないんです」
ルーナは腕を組み、興味深そうに健太を見つめた。
「なるほどな」
「信じてくれるんですか?」
「嘘をついているようには見えん」
ルーナは顎に手を当てた。
「おそらく転移だな」
「……転移?」
聞き慣れない言葉だった。
「転移って何ですか?」
「何だ、お前。そんなことも知らないのか?」
「いや、俺がいた世界にはありませんでしたよ」
「…………は?」
ルーナの表情が変わった。
「魔法でもあるんですか?」
「当たり前だろ。常識だぞ」
ルーナは当然のように言った。
「魔法陣を使った転移術や、空間を繋げる魔法もある。使い手は限られるがな」
「へぇ……」
健太は驚いた。
この世界には魔法があるらしい。
それも、物語やゲームの中だけの話ではない。
「じゃあ、俺も魔法で元の世界に戻れるんですか?」
健太は期待を込めて尋ねた。
しかし、ルーナはすぐには答えなかった。
「そう簡単な話じゃない」
「……そうですか」
「転移してきた場所と元の世界の繋がりが分からなければ、戻すことも難しいだろうな」
「そんな……」
健太の表情が曇る。
せっかく帰れる可能性が見えたと思ったのに。
ルーナはそんな健太を眺めていた。
そして、少し身を乗り出した。
「待て」
「はい?」
「お前、元の世界と言ったな?」
「そうです」
「この世界とは違う世界から来たということか?」
「はい。日本という国です」
ルーナの銀色の瞳が細くなる。
「……異世界人か」
「そういうことになるんですかね」
ルーナはしばらく黙り込んだ。
そして、口元に笑みを浮かべる。
「面白いな」
「え?」
「異なる世界から人間がやってきた。しかも、魔法の存在しない世界だと?」
ルーナは楽しそうに健太を眺めた。
「おい、ケンタ」
「はい?」
「お前の世界について、もっと詳しく聞かせろ」
「ええ、別にいいですけど……」
「その代わり、俺様がお前にこの世界のことを教えてやる」
「本当ですか?」
「ああ。言葉も文字も、魔法も、この世界の常識もな」
ルーナは得意げに笑った。
「感謝しろよ。俺様ほど優秀な師匠はそうそういないぞ」
「師匠?」
「そうだ。今日から俺様がお前の師匠だ!」
健太は思わず苦笑した。
どうやら、面倒見のいい人に拾われたらしい。
もっとも、本人はかなり偉そうだが。
「よろしくお願いします、師匠」
「うむ!」
こうして、健太とルーナの奇妙な師弟生活が始まった。
そしてルーナは、この出会いが自分にとっても長く記憶に残るものになるとは、まだ知らなかった。




